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【インタビュー】加藤恒平(日本代表)“戦う選手”のルーツにある「責任を取る覚悟」

2017.08.01

[写真]=野口岳彦

 5月25日、ヴァイッド・ハリルホジッチ監督の口から続々と日本代表メンバーの名前が呼ばれる中、一人の選手の名前が呼ばれたことで会場がざわついた。ブルガリアのベロエ・スタラ・ザゴラでプレーする加藤恒平だ。

 2016年9月にハリルホジッチ監督が「チェックしている」と口にしたことから、突然注目される存在となった加藤。その約1年後には実際に代表に選出された。

 日本でのプロ生活は町田ゼルビアでの1年間のみ。大学時代にはアルゼンチン、町田退団後はモンテネグロ、ポーランド、ブルガリアでプレーしてきた苦労人が日本サッカーの最前線に突然降り立つことになった。

『サッカーキング』では6月の代表戦後、都内で加藤に話を聞き、代表というステージに立った経験を振り返ってもらうとともに、サッカーのルーツなどについて聞いた。

インタビュー=小松春生
写真=野口岳彦

■代表メンバーはピッチ外においても、人として素晴らしい方たち

加藤恒平

[写真]=野口岳彦

―――まず、改めて日本代表初招集のことをおうかがいします。代表招集が決まった時のお気持ちから聞かせてください。

加藤恒平(以下、加藤) 最初は少し驚きがありました。もちろん、自分が目標にしていた場所ではあったんですけど、このタイミングで自分が呼ばれるという期待はしていませんでした。驚きと嬉しさと感謝です。でも、今までやってきたことが評価されて代表に呼ばれたので、そこから特別何かを変える、準備をするという思いは全くありませんでした。今まで通りしっかりと準備をして合流しようという思いでした。

―――発表されてから、いろいろな方から連絡も来たと思います。

加藤 何年ぶりくらいかに連絡がくる友達もいました。よく言う「親戚が増えた」ということは、こういうことなのかと思いましたね(笑)。でも、それはありがたいことです。

―――代表合宿では選手として、新しい発見はありましたか?

加藤 単純に個々が選手としてトップレベルなので、当たり前ですけど「うまいな」と思いました。一番感じたこととしては、ピッチ外においても、人として素晴らしい方たちで、それがないと代表に呼ばれ続けられないのかなと。僕が初招集だからと言って、上から物を言うとかではなく、本当にフラットな目線で聞いたことに対して真摯に答えてくれました。溶け込めるように積極的に声をかけてもらったり。気を遣わせてしまったとは思いますが、そのおかげでストレスなくやれました。

加藤恒平

海外組合宿にて、久保と話しながらリラックスした表情でランニング [写真]=野口岳彦

―――顔見知りだった選手はいましたか?

加藤 全員初対面です。ユースの時に試合をしたことがあって、今思えば対戦相手にいたな、という話はしていました。向こうは僕のことを覚えてなかったですけど、僕はしっかり覚えていましたね(笑)。

―――代表合宿初日では久保(裕也)選手と積極的に会話していましたね。

加藤 最初はそうですね。僕は京都の立命館大学出身なんですが、彼は京都サンガのユース出身で、大学にユース選手だった共通の友人がいたので、その話題から入っていきました。宇賀神(友弥)選手とも、お互い初招集でいろいろ感じることもあったので、話が合いましたね。

―――ヴァイッド・ハリルホジッチ監督とは招集前に会ったりされましたか?

加藤 合宿が初めてでした。チェックをしているという話は以前からもらっていて。それだけでもありがたかったですね。ブルガリアなどでやっていて、チェックしていると連絡をいただいたことが今まではなかったので、東欧を含めて周辺国でプレーしている選手にもチャンスがあるんだなとすごく感じました。実際に合宿で会うと要求がすごく高く、厳しい監督ですが、緩ませるところは緩ませて、たまにジョークを言ったり、オンとオフの切り替え方は上手だと思いました。

―――監督が繰り返して使っていたり、印象的だった言葉はありますか?

加藤 やはりデュエルという言葉は使っていました。僕も記事ではよく見ていましたけど、実際にデュエルへこだわることは普段の練習でも、試合でも言っていました。僕に対しても、そこが求められている部分でありますし、そこが評価されて呼ばれたと思うので自信を持っています。

■理想とする自分の姿はまだまだ先。完璧な選手になりたい

加藤恒平

シリア戦直前の練習にて [写真]=Getty Images

―――一方で、招集されたものの、シリア戦は出番なし、イラク戦はベンチ外となりました。

加藤 当然、悔しかったです。サッカー選手である以上、常にピッチに立ちたいですし、ベンチに座って試合を見たいと思っている選手は誰もいないと思います。単純に試合に出たかったですし、それを隠す気持ちもありません。なぜ出られなかったかを考えれば、単純に自分の実力不足だったので、練習からのアピールが足りなかったと思います。結局は自分がうまくなるしかないので、誰よりも練習して次、代表に呼ばれるかわかりませんが、呼ばれた時にはしっかりピッチに立っていられるように、またゼロからやっていかないといけないと思っています。

―――「足りなかった」ところは具体的に何でしょうか。

加藤 簡単に言って全てだと思います。全ての能力をもっと引き上げないといけない。守備は自信を持ってやりますけど、もっと良くなれますし、もっとやらないといけません。攻撃面でももっと監督の意図をくみ取って、チームの動きを見ながらしっかりやっていかないといけないと思います。

―――逆に通用すると思った部分は?

加藤 ミニゲームの機会は結構あったんですが、デュエルという部分ではやれるという思いがありました。

―――ただ、そこも含めて引き上げないといけないと。

加藤 理想とする自分の姿はまだまだ先なので、完璧な選手になりたいです。守備も攻撃も全て高いレベルでこなせる選手になりたい。そこにはまだまだ程遠いと思っています。

―――代表戦を終えてから心境の変化はありましたか。悔しさという部分が強く出てきたと感じたのですが。

加藤 そうですね。悔しさもそうですし、もっとうまくなりたいという欲がさらに出てきました。自分の立ち位置や課題が出てきたことが僕にとって一番大事なことです。それを見つけられたことはすごく良かったと思っています。僕が一番下であることは明らかなので、あとは上に行くしかない。それはすごく楽しみな挑戦ですね。また、8月呼んでもらえるように、クラブでも今までと変わらず積み重ねてやるしかないと思います。

■12歳で親元を離れ、自分で全て責任を取らないといけないと覚悟した

加藤恒平

[写真]=野口岳彦

―――ここからは加藤選手のキャリアについてうかがいます。まず、サッカーを始めたきっかけは何だったのでしょうか。

加藤 僕は5人兄弟で兄が2人いて、サッカーをやっていたので小さい頃からずっと試合について行っていました。その傍らで試合を見ずにボールを適当に蹴っていたんですが、それがすごく楽しくて飽きないなと思ったのがきっかけです。兄は高校くらいまででやめましたが、僕は続けましたね。

―――サッカーのどこに楽しさを感じられたのでしょうか?

加藤 やっぱり成長を感じられたときですね。できなかったことができるようになった時や、勝てなかった相手に勝てるようになったり、小さな積み重ねが自分を幸せにしてくれるというか。今までもそうですけど、サッカーをやっていて9割くらいがしんどいことばかりなんです。特にプロに入ってからはその割合が強くなって。小学校の頃はただサッカーが楽しくて、好きでやっていたことが、いつの間にかすごく苦しいものになっている。でも一番喜びを感じられる存在になっているので、すごく表裏一体だなと思います。

―――その表裏一体の部分をうまく好転させていくメンタリティーはサッカーを通じて得たものでしょうか。

加藤 僕は12歳で親元を離れたので、そこからは自分で全て責任を取らないといけないと覚悟していました。「プロになる」と言って出て行ったので、最低でもプロにならないといけないと。そのために必要なことは何なのかと考えながら小さいなりにやってきました。でもサッカーだけをやっていてもダメだと自分ではわかっていたので、まずは学生のうちはしっかりと勉強をして、それプラスアルファでサッカーもやっていかないといけない。自分が好きなことだけをやっていて、うまくいくことなんて正直少ないですし、今後の人生においてもうまくいかないことや嫌いなことのほうが多いと思うので、幼少期からそういうこともわかりながらしっかりやって、大好きなサッカーも続けてきました。とにかく親に迷惑をかけたくないという思いで小さい頃はやっていたので、その影響は大きいと思います。

―――ご両親は今喜ばれていると思います。

加藤 そうですね。代表に選ばれたことを最初に報告した時は「嘘でしょ?」みたいな感じで言っていたんですけど、「良かったね」と言ってくれて。でも、試合ではベンチ外だったので「まだまだやな」みたいな感じて言われました(笑)。

―――「自分で全て責任を取る覚悟」とおっしゃいましたが、海外でプレーすることについてご両親から何か言われたりしませんでしたか?

加藤 親から「これをしなさい」と言われた記憶は特にないです。いつもそうですけど、「楽しんで生きていればいいよ」というか「サッカーを楽しんで。死ななきゃいいから」みたいな(笑)。基本的に僕がやると決めたことを事前に相談することはないですね。例えば大学時代、サッカーのためにアルゼンチンへ向かった時も「行きたいんだけど」という相談ではなく「行くから」という報告で。決めたことを僕は変えないということを知っているので、それに対して「じゃあ頑張って、楽しんでおいで」という感じですね。とにかく自由に好きなことをずっとやらせてくれていました。収入面で全く自立できてない時期でも援助してくれて、感謝の気持ちでいっぱいです。

■アルゼンチン時代、味方のサポーターが猟銃を持ってロッカールーム入ってきた

加藤恒平

[写真]=野口岳彦

―――アルゼンチン時代のお話が出ましたが、生活はいかがでしたか?

加藤 アルゼンチンは人生で一番しんどかったです(笑)。

―――それはやはりピッチ内外ともにですか?

加藤 両方ですね。まず、ビザの問題で公式戦に出られなかったんです。選手として、試合に出ることが一番の思いなのに、その舞台が無いとわかりながら毎日練習に行くことで、どこに自分のモチベーションを持っていけばいいのかなとすごく考えました。サッカーがうまくいっていれば、どんな街でも自分にとっては素晴らしい街に見えるんですが、当時は街の景色も全然綺麗に見えなかったです。どんなに綺麗なところへ行っても、サッカーでうまくいってなかったら、その景色が全く真逆に見えてしまう。自分はサッカーに左右される人間なんだなという気持ちがあの時にすごく芽生えました。そういうところでアルゼンチンは一番しんどかったです。

 あとは、本当にサッカーが文化として根付いているということで、一番熱を感じる国でした。ピッチ外での生活で言えば、本当に危険なところもあって、一番最初に言われたのが「警察も信じるな」でした。「何言っているんだ?」って思ったんですけど、その3日後くらいに日本でいう白バイの警察官2人が信号を左右確認して信号無視していたので、「確かに信用しないほうがいいのかな」と思いましたね(笑)。

―――ちなみにアルゼンチン時代、ロッカールームにサポーターが入ってきたというのは本当ですか?

加藤 味方のサポーターがロッカールーム入ってきたんです。猟銃を持って。「俺たちはアウェーにも応援に行っているんだから金出せ!」って言われて。「死ぬよりいいか」と思って、みんなでお金を出して。そうしたら上機嫌で帰って行ったので助かりましたね(笑)。アルゼンチンで様々な経験があったので、ヨーロッパで起きるようなことは普通のことって思えるようになりました。

加藤恒平

[写真]=野口岳彦

―――アルゼンチンではビザの問題もあって帰国を選ばざるを得ず、その後は町田ゼルビアに入団したものの、1年で退団し、モンテネグロ、ポーランド、ブルガリアと東欧のクラブを転々とされます。加藤選手が“戦える選手”となれたルーツは、自立した生活を心がけてきたからでしょうか?

加藤 もともと小さい頃からとても負けず嫌いで、サッカー以外にもゲーム、運動会、全てにおいて勝ちたかったんです。そこが自分の根本にあって。それに加え、環境が自分をそうさせてくれました。中学校の時に入団したジェフ(ユナイテッド千葉)のジュニアユースでは、みんな僕よりうまくて。それこそベンチ外でスタンドから試合を見ることもありましたし、出たり出なかったりを繰り返していました。そういう経験は小学校の時になく、ずっと自分が一番で、キャプテンとして試合に出続けてきて、初めてジェフで「自分って全然うまくない選手なんだな」ということに気づきました。

 そこで、誰よりも練習をやらないといけないし、考えないといけないと思っていました。さらにアルゼンチンやいろいろな国に行って、目の前のボールを奪うこと、奪われないことの大切さ、目の前の試合にかける思いなど、日本では味わえない経験をして。全ての経験が今の自分に形成する上でつながっていると思います。

―――プレー面で日本と海外の一番違いを感じる部分は何でしょうか。

加藤 ディフェンス面で言えば、僕は「とにかく飛び込まない、相手と距離をとってどちらかに追い込んでチームで取りに行く」という指導を、育成年代の時に国内で受けていました。でも、海外の小さい子どもたちの練習を見ていると監督は口すっぱく「ボールを取りに行け」と言っているんです。話をたくさんしていますし、それを見てボールを取りきる力が育成年代から鍛えられているのかなと思いますね。個人でボールを取りきる能力が備われば、チームで相手を遅らせることも可能になるんですが、チームで相手を遅らせることしかできないとなると「ボールを取りに行け」という時に個人で行けないと思います。まずどっちを先に身につけるかと考えた時に、個で取りに行ける力を身につけた方が、グループ戦術になったときも対応しやすいのかなと思います。

―――語学面はどのように?

加藤 個人的には英語を一番勉強しました。そのあとにスペイン語もすごく勉強しましたね。ただ、アルゼンチンはスペイン語、モンテネグロはモンテネグロ語、ポーランドはポーランド語、ブルガリアはブルガリア語を使いますが、それぞれの言語の基礎とピッチ上の言葉はできます。モンテネグロは2年間いたので、言っていることの理解や、自分の思いは伝えられますし、ブルガリア語やポーランド語の簡単な言葉はできます。なるべく現地の言葉を話したいと思っているので。日本に来た外国人選手が日本語で話してくれたら、嬉しいじゃないですか。打ち解けようという努力をしてくれる姿が見えるので。どうしても足りないところは英語で補っています。英語の勉強もモンテネグロに来て始めて、もとは中学校英語ができるかできないかくらいだったので、ゼロからしっかりやり直しました。

―――英語はモンテネグロへ行ってから勉強ということですが、アルゼンチン時代はどうされていたんですか?

加藤 大学の第二ヶ国語でスペイン語を学んでいました。ただ、現地に行ったら何を言っているか、全くわからなくて。毎日テレビを見たり、新聞を読んだり、チームメートに聞いて言葉を拾ったりしました。ノートは常に持ち歩いていましたね。

 モンテネグロに移ってからは、英語を話せる選手はチームに何人か絶対いるので、ずっとそこでプレーするつもりもなかったので、英語をメインにモンテネグロ語もやりつつという形でやっていました。本当にやっておいてよかったと思います。先生をつけてやったこともないので、全部独学でYouTubeを見たりするのを繰り返していました。文法もあまり正しくないと思いますけど、ある程度自分が言いたいことを言えて、相手の言っていることも理解できて。サッカーの話だったら大丈夫なので、そこは問題なくやれています。

■ピッチで恩返しをすることが僕のできること

加藤恒平

[写真]=野口岳彦

―――サッカー以外で大切にしていることや時間、場所はありますか?

加藤 オフも基本的にトレーニングしていますし、予定を組むときもトレーニングの予定を見て絶対に被らないように入れています。サッカーしか考えてないですね。趣味も正直無いです。サッカーを見ているか、プレーしているか。ストイックというわけでもなく、それが好きなことなので、ストレスにもならないですし、むしろ一番リラックスできることがサッカーですね。

―――トレーニングで重視されていることは何でしょう。

加藤 体の動き方とかですね。どうやったらボールを取れるのか。体を大きくすることが目的のトレーニングというわけではなく、どうしたらボールが奪えて、どうしたらボールをうまく扱えるかを理論的に説明してもらって。それをトレーニングしていくという感じです。座学というわけではなく、説明してもらいつつ、実践をする感じです。

―――他の選手の映像を見たりは?

加藤 めちゃくちゃ見ます。YouTubeもそうですし、ヨーロッパにいるときは土日のどちらかが休みの場合、その日の試合をチェックして、それをメインに予定を立てます。海外だと、1時、3時、5時という具合に続けて試合があるので、午前中までにジムへ行って体を動かして、試合前に昼ご飯を食べ、試合を見ながら夕飯の準備をして、ハーフタイムに食べたり風呂に入ったり。1日に3~4試合見ることもあります。

―――プレーを参考にされている選手はいますか?

加藤 カゼミーロ(レアル・マドリード)や、アルトゥーロ・ビダル(バイエルン)、ラジャ・ナインゴラン(ローマ)とかですね。攻撃と守備の両面でチームに効果を与えられる、特に守備からゲームメークできる選手がトップクラブにはいるので、そういう選手を目指してやっています。

加藤恒平

[写真]=野口岳彦

―――ご両親以外に恩人と呼べる方はいらっしゃいますか?

加藤 町田ゼルビアを退団したあとに所属チームが半年間くらいなかったんですが、そのときに出会ったトレーナーの方や代理人の方には、一生頭が上がらないですね。知り合いだったわけではなく、無所属の時代に出会いました。僕が「日本代表になりたい」という話をしたときに、普通の人だったら「何を言っているんだ」って思うところを、その方たちは「一緒に頑張ろう」と言ってくれて。トレーナーの方は半年間、毎日一緒に付き合ってくれ、今でもそれは続いていますが、夜遅くまでトレーニングをしてくれました。その方たちがいなかったら、絶対に今の自分はないと言い切れます。おかげで僕は成長できましたし、今ここにいることができています。本当に感謝しています。  その方たちがすごいなと思うところは、見返りを求めずにサポートをしてくれることです。今は代表に入って、「これからサポートするよ」という人が出てくると思いますが、見返りなんか求められない、一番つらい状況であった僕に一緒に頑張ろうという思いだけで支え続けてくれました。家族といる時間よりも長かったですし、家族よりも僕のことを信じてくれたと思います。

 僕が代表になるとは正直、家族は思っていなかったと思います。家族の思いは単純に「元気でサッカーをしてくれればいい」って。親はそういうものだと思います。「生きていて、楽しくやってくれればいい」という考え方を僕の親は持っていました。でも、トレーナーの方たちは「本気で目指すなら俺も一緒にやるよ」と引っ張ってくれた方たちなので、しっかりピッチで恩返しをすることが僕のできることだと思います。それは今後も継続していかないといけないと思っています。

―――今現在の将来像を教えてください。

加藤 もっとヨーロッパの西へ行きたいです。5大リーグですね。それが叶わなければ、ベルギーやオランダなどの5大リーグの一つ下のカテゴリー。レベルはものすごく高いですし、代表での試合に出たいと思ったときにそういうところで常日頃から練習していないといけないと思うので、もっとレベルの高いところに行きたいです。満足はしていないですし、まだまだこれからです。

―――最後に、ファンの方に向けてメッセージをお願いします。

加藤 僕から言えることはないんですけど、応援してもらえるような選手になれるようにまたゼロから頑張っていくので、少しでも見ていただけたらなと思います。

By 小松春生

Web『サッカーキング』編集長

1984年東京都生まれ。2012年よりWeb『サッカーキング』で編集者として勤務。2019年7月よりWeb『サッカーキング』編集長に就任。イギリスと⚽️サッカーと🎤音楽と🤼‍♂️プロレスが好き

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