ガラタサライで人生初のリーグ優勝を経験。心身ともに最高の状態でロシアW杯に臨む [写真]=NIKE
旧市街の高台を上がると、眼下には表情豊かな街並みが広がる。観光客が行き交う大通りから1本入った路地裏には種々雑多な店がずらりと並び、カフェはチャイを片手に会話を楽しむ人で賑わう。その一方で、ブルーモスクやトプカプ宮殿などの美しい歴史的建造物が点在する。東洋と西洋が入り混ったイスタンブールには不思議な魅力がある。
この街に長友佑都がやってきたのは今年1月、集大成と位置付ける自身3度目のワールドカップを前に、クラブでの出場機会を増やすためだった。「やっぱりW杯は何度出ても夢の舞台なので、最高の結果を出したいという気持ちが強いです」。7年間在籍したインテルに別れを告げる決断をした長友は、そう言ってニッコリと笑う。
W杯への抱負を笑顔で語れるようになるまで、一体どれだけの時間を費やしたのだろうか。2014年夏、長友はブラジルの地で失意のどん底にいた。「今は何を言っても、勝てていないんで。何を言っても、言い訳になるかもしれないですけど……」。グループリーグ敗退が決まったコロンビア戦の翌日、テレビカメラの前には涙で言葉に詰まる長友の姿があった。
ブラジル大会が“失敗体験”であるなら、2010年の南アフリカ大会は“成功体験”だろう。当時まだJリーグでプレーし、「本当に海外でやれるのか?」と半信半疑だった長友は、自身初のW杯を実力を試す絶好の機会と捉えていた。
「それまでは自信と不安の両方があった。でもW杯ですべてが自信に変わりました。絶対に海外でやれるという強い自信になった。僕にとっては大きなターニングポイントですね」
そこからの出世は異例のスピードだった。南アフリカ大会後にイタリアのチェゼーナに移籍すると、わずか半年後には名門インテルに引き抜かれる。コッパ・イタリア制覇、初のチャンピオンズリーグ出場、インテルでの公式戦100試合出場……。長友の順応力や成長スピードの速さには誰もが驚かされた。2013年のミラノ・ダービーは忘れられない。この日、ゲームキャプテンを務めていたエステバン・カンビアッソは交代を告げられると、ベンチに退く際に黄色いキャプテンマークを長友に手渡した。インテルの長い歴史の中でアジア人がキャプテンマークを巻くのは初めてのこと。セリエAの舞台で物怖じせずに振る舞う姿はなんとも感慨深かった。
「(南アフリカ大会の)4試合ではそこまでの差を感じなかったけど、セリエAでは『まだまだ差があるな』と感じました。フィジカル、状況判断、プレッシャーがかかった時の技術の出し方……。世界のトップレベルはすごいなと」
何もかもが順調だった。世界との差を埋めるためにがむしゃらに走り続け、ブラジル大会前には「キャリアの中でも一番状態がいい」と言えるところまで自分を高めることができた。しかし、そこに落とし穴が待っていた。どこかで自信が過信に変わっていたのだろうか。二度目の大舞台は、0勝1分け2敗でグループリーグ敗退。“努力は裏切らない”という信念が揺らいだ瞬間だった。
「4年間、ブラジルW杯のためにすべて注いできたので、あの結果はなかなか受け入れられなかった。サッカーでは勝つ者がいれば、負ける者もいる。そこは自分の中で受け入れましたけど、やっぱり(アルベルト)ザッケローニを含め、スタッフに恩返しをしたいという気持ちがあったので、それができなかったことには今でも悔いが残っています。一番の挫折でしたね。4年間積み上げてきたものが本当に良かったのか。何度も自問自答しました」
湧き上がるさまざまな感情――。そのすべてを、時間をかけて消化するしかなかった。それでも長友は真っ直ぐな視線をこちらに向けてこう続けた。
「でもやり続けるしかない、と思った。4年後にまた、絶対にこのピッチに立つんだという強い気持ちが心の奥底から出てきましたね」
■固いと折れてしまうけれど、柔らかいと折れない
長友は中学を卒業すると福岡県の強豪・東福岡高校へと進学した。その時の決意が今でも原動力になっている。
「中学の頃は練習をサボることもあったんですけど、親元を離れてみて、感謝の気持ちが出てきた。ウチは母子家庭の3人兄弟だったので、母親に恩返しをしなくちゃなと。妥協しそうになったら、母の顔や、自分たちのために頑張っていた母の姿を思い浮かべた。恩返しするんだ、という気持ちがなかったら、間違いなく今の自分はいないでしょうね」
人生最大の挫折を味わってもピッチに立ち続けていられたのには、母親の存在のほかにもう一つ大きな理由がある。自分を貫き通すことだけが、本当の意味での強さではないという気づきだ。
世間の人の多くは、長友に対して「メンタルが強い」というイメージを抱いている。どんなに大きな壁にぶつかっても必ずはい上がってくる、と。インテルに在籍した8シーズンで監督交代は実に9回。その間、長期欠場につながるケガにも度々見舞われた。しかし長友は指揮官の構想外になるたびに、ケガで離脱するたびに、不断の努力でポジションをつかみ取ってきた。
では、本人が考える強いメンタリティとは何か。
「よく『屈強なメンタル』とか言いますけど、僕はスポンジのような柔らかさこそが一番の強さなんじゃないかと思うんです。目の前で何が起こってもそれを受け入れて、消化して、良いものを取り上げて、次につなげる。柔らかいメンタルが、結局は一番強いんじゃないかなと。固いと折れてしまうけれど、柔らかいと折れない。ブラジルW杯を体験して、屈強なだけのメンタルではこの先、この世界ではやっていけないと。そこからちょっと柔らかくなったと思いますね」
「ずっと自分を貫くことが大事だと思って生きてきました。ただ、それが折られた時にかなりのダメージを負った。あのままのメンタルでは、サッカーを続けていられたかどうかも分からない。多分、続けられなかったと思います」
■やっぱり「長友は世界で戦えるな」と思われるようなプレーがしたい
才能はない。けれども、努力する才能はある。長友は自分をそう表現する。今日できることは何か、今の自分に必要なものは何か。ブラジルで負けたあの日から、自問自答を続けてきた。4年という歳月をかけて積み上げてきたものが一瞬にして崩れる恐怖を知ってからも、「W杯で活躍したい。勝ちたい」という気持ちが完全に消えることはなかった。
「夢や目標を達成したいから努力できる。ブラジルの時はそれが見えなくなった時期もあって、モチベーションを保つのが本当に難しかった。やっぱり人間は、何か目的や目標がないと日々の苦しいトレーニングには耐えられないと思うんです」
23歳でW杯の舞台に立った長友も、今年で32歳を迎える。サッカー選手としてだけでなく、人間としても経験を積んできた。
「プレッシャーがかかると、人は恐怖を覚えて、『ミスをしちゃいけない』、『安パイなプレーをしよう』となってしまう。そうなると、体が固まって、良いパフォーマンスにはつながらない。でも自分を守ろうとすればするほど、ネガティブな方向に進んでいく。恐怖にはすべてを狂わす怖さがある。どれだけ良いトレーニングをして、良いコンディションで臨めたとしても、恐怖を抱いたらすべてが台無しになってしまう。そういうことを何度も経験してきたので、『ミスして当たり前だ、何も怖くない』という気持ちでやっています。ミスしたくらいで人生は変わらないよ、と」
今回、ブラジル大会を振り返ってもらうことには、少しのためらいがあった。4年前の出来事を堂々と話す姿をこれまで何度も見てはいたものの、どうしても傷口に塩を塗るような感覚があったからだ。しかし、目の前に座っていたのは小さな体で見たこともない高い壁を乗り越えた長友だった。
「僕のサッカー人生において、本当に必要な時間だったと思います。あの悔しさがあるから、今の自分がいる。サッカー選手としても、人間としても成長させてくれた」
弱さを認め、前を向くことができた長友は、本当の意味での強さを手に入れたはずだ。はっきりとした口調で語るその顔に、もはやコロンビア戦翌日のような悲壮感はない。最後にロシアで何を示したいかと問うと、ニヤリと笑って答えた。
「やっぱり『長友は世界で戦えるな』、『信用できるな』と思われるようなプレーがしたいです。目立つような派手なプレーはなくても、やっぱりチームには必要だなと。『この選手は戦える』と信頼してもらえるような、そんなプレーがしたい」
努力は裏切らない。次こそは、その信念を証明する舞台にしなければならない。
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By 高尾太恵子
サッカーキング編集部