名将・森保一の原点には日本中が悲しみに暮れた”ドーハの悲劇”があった [写真]= Jリーグ
「君、どこのポジションをやっているの?」
1992年4月、森保一が初めて日本代表に招集された時、代表の常連だった井原正巳に真面目な顔で聞かれた言葉がこれだ。井原だけでなく他の代表選手もほとんど森保のことを知らなかった。所属チームであるマツダ(現サンフレッチェ広島)は、日本リーグ1部に前年復帰したばかり。特別に目立った活躍をしていたという自覚も森保自身にはなく、代表招集を伝えた河内勝幸コーチ(当時)に「冗談はいいから、何の要件なんですか?」と聞き返したという。
それほどの無名選手だった森保が一気に注目を集めたのは、初の国際試合出場となったキリンカップのアルゼンチン戦だった。試合は0−1で敗れたものの、同国のスーパースター、クラウディオ・カニーヒアが「日本の17番が本当にイヤだった」とコメントした。アルゼンチン代表のアルフィオ・バシーレ監督も「17番が日本代表でもっとも印象に残った」とコメント。言うまでもなく、17番とは森保一のことだ。
それまで、日本のサッカー界では三浦知良のようなストライカー(正確にいえば、当時はチャンスメイカーだったが)やラモス瑠偉のようなゲームメーカーばかりが注目されていた。しかし、アルゼンチンのスーパースターや名将が森保に言及したことで、彼のポジション「ディフェンシブハーフ」、今でいうボランチが注目を集めることになった。中盤でアグレッシブに動いてプレスをかけ、相手攻撃の数手先を呼んでパスをカットしたり、センターバックのプレーを助けたり。それまではマニアが注目していたこのポジションの役割に、森保の頑張りによってスポットライトが当たったのだ。もし、このエピソードがなかったら、山口蛍や井手口陽介のような「ボールハンター」は生まれてこなかったかもしれない。
「僕が行かないといけなかった」…悔いが残るラストプレー、逃したワールドカップ初出場
代表初招集の翌年、いわゆる「ドーハの悲劇」で日本中が悲嘆にくれた時、森保一もピッチに立っていた。1993年10月28日、カタール・ドーハの地で行われたその試合は、日本サッカー史に永遠に刻まれることとなる。
当時のアジア最終予選は今のようなホーム&アウェイ方式ではなくセントラル方式だった。開催地のカタールにここまでの予選を勝ち上がってきた6カ国が集結して総当たりのリーグ戦を行い、上位2チームがワールドカップ出場権を勝ち取る。そう、この時代にアジアに与えられたワールドカップの出場枠は、たった二つしかなかったのだ。
日本は初戦のサウジアラビア戦に引き分けた後、イランに敗戦。しかし、続く北朝鮮、韓国と撃破し、首位で最後のイラク戦を迎えた。勝てば文句なし。しかし、引き分け以下だと韓国、サウジアラビアの結果次第では3位に落ちてしまう。そんな瀬戸際の戦いに森保は先発した。
一方的にイラクに攻め込まれながらも三浦、中山雅史のゴールで2-1とリードし、試合は最終盤を迎えた。時計の針が45分を指した時、イラクはコーナーキックを得た。この時代、アディショナルタイム表示はない。後半45分を過ぎれば、主審の判断でいつでも試合を終えることができる。
イラクはショートコーナーを選択。この時のことを、森保は今も悔やんでいるはずだ。少なくとも2005年、この時の話を聞いた時の彼はそうだった。
「あの時、カズさんがショートコーナーに対応したんです。でも、問題はたった1人で行ったこと。2人じゃないといけない。僕が行かないといけなかった。1人で行くのなら、僕が行くべきだった。カズさんは相手にプレスをかけたんだけどかわされ、縦に走られた。自分は出遅れていたから、何もできない。結局、僕の頭上にクロスを通された。失点。ゴール前に人数もいたのに、みんなボールを見てしまった」
森保もカズも井原も、誰もが膝をついた。倒れた。ベンチに聞く。韓国は?サウジは?
そして、絶望が訪れた。日本は韓国とサウジアラビアに抜かれ、3位に転落。手の内に入れていたワールドカップ初出場は、露と消えた。
森保の記憶はそこから飛ぶ。どうやってホテルに着いたのかも分からない。同部屋だった柱谷哲二の証言によれば、ベッドに突っ伏してずっと泣いていたという。ふっと立ち上がってベランダに向かって落ちかけたこともあった。まるで夢遊病患者のように、森保は意識のないまま、部屋の中をさまよったという。
人々を魅了する気配り、懐の大きさ…広島に栄冠をもたらした“絶対に諦めないメンタリティ”
ドーハの悲劇の翌年、森保はサンフレッチェ広島の中心として、Jリーグ1stステージ優勝の立役者となった。京都、仙台でも活躍して、2003年に現役を引退した。翌年から指導者の道に入り、2007年のワールドユース(現U-20ワールドカップ)ではコーチとして吉田靖監督を支え、内田篤人、槙野智章、柏木陽介、香川真司ら“調子乗り世代”と共に闘ってベスト16進出に貢献。2008年からはミハイロ・ペトロヴィッチのもとで学び、新潟のコーチを経験した後、2012年に広島の監督となった。そして古巣を4年で3度の優勝に導いた実績が買われ、東京五輪代表監督、そしてフル代表の監督を兼務する重責を担うことになった。
周囲に対する気配りの厚み。若者から「ポイチさん」と呼ばれても笑っていられる懐の大きさ。自分の実績を誇らず、常に周囲への感謝を欠かさない。接した人間が魅了される優しさ。人間性の豊かさは当然、彼のメリットだ。だが、広島の監督時代に何度も見せ付けた勝負強さの源泉は、間違いなく1993年10月28日にある。「こんなに悲しい出来事ってあるのか」と何度も自問自答を繰り返した悲劇の真ん中にいたから、自分の頭上を越えていった白いボールによって夢が破壊された光景を目の当たりにしたからこそ、森保一は稀代の勝負師となった。2015年Jリーグチャンピオンシップ第1戦、後半アディショナルタイムに入ってから2得点を奪ってガンバ大阪を逆転した広島の奇跡は、指揮官・森保一がドーハで学んだ「絶対に諦めない」メンタリティが、選手の身体の隅々までたたき込まれた、その結果なのである。
≪後編に続く≫
文=紫熊倶楽部 中野和也
写真=Jリーグ、ゲッティイメージズ
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By 中野和也