【躍進するアジアフットサル】イラン/アジア最強国家の強さをひもとくキーワード

前回のFIFAフットサルワールドカップでアジア史上最高位の3位を手にしたイラン。“アジアの盟主”としてその強さは誰もが知るところだが、ではなぜ、イランは強いのだろうか。アジア最強国家の背景には、「環境」、「タレント力」、「進化」という3つのキーワードが存在する。

文=長谷川雅治(アジアサッカー研究所) 協力=アリ・タルゴリザデ、ハメド・モメニ、小森隆弘、小崎知広、
大矢丈之、スティーブ・ハリス、ミゲル・ロドリゴ 写真=ゲッティ イメージズ
Text by Masaharu HASEGAWA(Institute for Future Asian Football) Cooperated by Ali TARGHOLIZADE, Hammad MOMENI, Takahiro KOMORI,
Tomohiro KOZAKI, Takeyuki OYA, Steve HARRIS, Miguel RODRIGO Photo by Getty Images

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ブラジルと酷似する環境


 2016年9月、コロンビアで行われたFIFAフットサルワールドカップで、イラン代表は前回王者ブラジルや強豪パラグアイを破ってベスト4に進出。ロシアとの準決勝は惜敗したが、3位決定戦ではポルトガルをPK戦の末に撃破し、アジア勢として史上最高位の3位を手にした。

 アジアにおいてイランは、頭一つ飛び出た存在。W杯は、92年の第2回香港大会から7大会連続で出場し、その予選を兼ねたAFCフットサル選手権は、過去14大会のうち11回優勝(逃した3回はいずれも日本が優勝)するなど、他国を置き去りにしている。ではなぜ、イランは強いのか。

 79年のイラン革命以降、イランはアメリカを中心とした各国の経済制裁にあえいできた。世界有数の石油産出地であるにもかかわらず、高いインフレ率と失業率が国民の生活を圧迫。特に10年の“オバマ・ブロック”によって、時間を止められてしまった。

 元々、文化は豊かであり、スポーツも盛んな国である。12年のロンドンオリンピックでは、合計12個のメダルを獲得するなど、中東勢で最高のパフォーマンスを示した。人気スポーツは、サッカー、レスリング、バレーボール、バスケットボール、フットサルであり、サッカー以外は全て、アリーナスポーツである。これは、寒暖差が大きいことが理由であろう。国民が熱狂するサッカーのプロリーグも、12月と1月は寒過ぎるために試合が開催されないほどだ。

 サッカーは、1900年頃にイギリス人によってもたらされた。イランに埋蔵する石油確保のためにやって来た彼らは、その傍らでスポーツクラブを設立する。50年代には、サッカーは大人気スポーツとなった。そしてバレーボールやレスリング、バスケットボールクラブが、専用アリーナと共に併設され、今はそこに必ず、フットサルクラブがある。

 イランで「サッカーをしよう」と言う時には、11人制の屋外サッカーというよりもむしろ、スモールフィールドのサッカーのことを指すという。イランには日本のフットサルコートに近い屋外コートが数多く存在している。そしてもう一つ、ストリートサッカーを指す場合もある。道路に簡易ゴールを置いて遊ぶ「ゴル・クチク」というゲームを通じて、子供たちは自然とフットボールの駆け引きを覚えていく。つまりイランの子供たち全員が、フットサル選手の予備軍だということだ。

 イランが直面する経済停滞、ストリートサッカー、厳しい自然環境を見て、見識者たちは「イランはブラジルと似ている」と口をそろえる。

体格に由来するタレント


 スモールフィールドに親しんだ多くの子供たちが、学校教育とフットサルリーグによって磨かれ、ピックアップされていく。イランでは小学校、中学校、高校、大学の各教育過程の中にフットサルのトーナメントがあり、全国大会も開かれている。その頂点に立つのは、フットサル連盟が主催するプロリーグである。

 アジアで最も早い段階にフットサルリーグをプロ化したのがイラン。イラン・フットサル・スーパーリーグは、03-04シーズンから始まった。過去12年間で7チームが王者になっている、競争の激しいリーグである。さらに、全国リーグの誕生は96-97シーズンまでさかのぼる。シーズン前半に県選手権を開催してチームを選抜し、後半に全国リーグであるプレミアリーグを開催するという構造だった。時を経て現在は、14チームが所属するスーパーリーグと、その下に16チームが所属するディビジョン1、28チームが所属するディビジョン2があり、その下にはさらにローカルリーグが行われている。全リーグに昇降格があり、スーパーリーグの優勝チームがAFCフットサルクラブ選手権に出場する。

 スーパーリーグのサラリーと登録の規定は特筆に値する。選手は、プロ契約すると裕福な生活が待っている。代表クラスの選手の最低月俸は約40万円”60万円ほど。タイのチョンブリ・ブルーウェーブに所属するブラジル人選手シャパが、イスファハンにあるギティ・パサンに移籍した際、月俸約160万円だった。同じく、タイ代表のエース・スパウットがタブリーズにあるメス・サンガンに短期移籍した際の月俸は約100万円の契約だった。これはアジアのフットサル界ではホットな話題だ。

 以前チョンブリが、クラブ選手権を戦うために、当時のイラン代表GKイスマイルを補強したが、オファー額はイランのクラブの半分程度だったと言われている。これはつまり、イランの選手がわざわざ海外に出る必要がないことを意味する。為替レートも考慮に入れて相対的に考えると、ことフットサルにおいては、イランが世界一恵まれた環境を有しているのだ。

 当然そこには競争もある。スーパーリーグでは1チーム23名の選手登録ができるが、外国籍枠3名を含む通常の選手登録は13名のみである。この13名とは別に、U-23の選手が3名、そしてU-20の選手を7名まで登録できるのだが、23歳以下に10名の枠を設けることで、若手選手の参加を促している。13名で長いシーズンを戦うのは容易ではないため、各クラブはこの登録枠を使わざるを得ない。イランの若い選手がどんどん輩出されてくる背景には、こうした規定も作用している。

 イラン人は古代ヨーロッパを起源とした“アジアの中の白人”と呼ばれるペルシア民族。野球選手のダルビッシュ有をイメージすると理解しやすいと思うが、大人になると手足が長く、筋肉質になる。イランの強くて速いというプレーの特徴は、生まれ持った体格に由来している。さらに、ストリートでフットサルに親しんだ子供が競争に勝ち残り、プロになって夢をかなえるというハングリー精神をベースにしている。これは紛れもなく、イランの強さを支えるタレント力と言えるだろう。

“進化”を受け入れること


 およそ20年にわたってアジアで勝ち続け、世界の舞台でも一目置かれる存在となったイラン。プレースタイルはシンプルであり、攻守共に、選手の能力を生かしてゴリゴリと1対1で勝負する戦闘的なものである。これは長所であると同時に短所となるものでもあるため、代表チームレベルでは、要所で海外からの指導者を招き、学んでいる。

 04年のW杯台湾大会でスペインが2度目の優勝を飾り、組織フットサルの時代がやって来ると、ブラジルからジュランディール監督を招いて世代交代を図った。さらに12年、日本がスペインのミゲル・ロドリゴ監督を擁してイランから優勝を奪い取ったアジア選手権で4位に甘んじると、スペインの名将、ヘスス・カンデラスを招へいしてモダンな戦術を取り入れると同時に、育成カテゴリーも整理した。

 前回W杯で3位と飛躍を遂げたのは、このヘスス監督が構築した育成年代から現れた優秀な選手が、現代的な戦術を体現できるようになったことが大きい。そして、ヘススの指導に触れたコーチたちによって、オールドスタイルとモダンな戦術との絶妙な融合が奏功したと考えられる。

 現代フットサルにおいて、自国で完結するようなオールドスタイルや戦術の単純コピー、外国籍選手の国籍取得で勝ちにいく時代は終わりを告げた。プレースタイルも指導法も、世界の潮流をベースに自国に適した形に進化させていく必要があるのだ。こうしたフットサルの世界平準化とも言える波は、経済的にどんなフェーズにある国でも、宗教的にどんな価値観を持つ国でも、等しく訪れる。フットボールの世界で戦うためには“進化”が不可欠であり、イランはそれを受け入れることで、アジアで突出した実力を保っているのだ。

 イランのフットサルはすでにワールドクラスにある。だからこそ、フットサル界、そして国家自体がもう少し世界に開かれ、交流が活発になった時、彼らが世界を制することになるかもしれない。

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