飛ぶ鳥を落とす勢いでハイパフォーマンスを披露し続け、欧州中のビッグクラブから熱視線を集める存在に成長したサンチョ[写真]=Getty Images
[サッカーキング No.001(2019年4月号)掲載]
1年半前、イングランドからドイツへ渡った一人の若者がいる。
期待の新星は瞬く間に才能を開花させ、今やヨーロッパ中のフットボールファンが熱視線を送る存在となった。
しかし、彼の“爆発”は偶然ではない。マンチェスター・シティで直面した現実、家族との別れ……。
困難や逆境を力に変えたジェイドン・サンチョが、胸の内を語る。
インタビュー・文=アンドリュー・マリー
翻訳=加藤富美
写真=ゲッティ イメージズ
ジェイドン・サンチョは途方に暮れていた。
カセットを入れてみて。写真を撮ってみて―。ラジカセやポラロイドカメラを手にした彼に次々とリクエストして、あどけない表情を狙うカメラマンを前に、サンチョは苦笑いを浮かべる。その姿を見て、僕は時代を感じてしまった。彼は2000年生まれ。ウラジーミル・プーチンがロシア大統領に初めて選出された年だ。自分が老人のように思えてくる。
ドルトムント期待の星は、色あせたオレンジと白のダイヤル電話を手に取り、指を入れてそのまま押した。今度は僕が苦笑いする番だ。「こうやって7番の穴に指を入れるだろう? そしたら時計周りに回すんだ。行き止まりまで回したら手を放して……」
“That’s LIT!”
ダイヤルが元の位置に戻った瞬間、サンチョは叫んだ。
18歳の彼がダイヤルの回し方を知らないように、僕はその言葉の意味を知らなかった(「超ヤバい」とか「マジ最高」の意味だと教えてくれた)。いつもの調子を取り戻したのか、その後は楽しそうに撮影用に置いてあった小道具を触り始める。
彼はカメラのレンズを鏡替わりにしてヘアスタイルを整えると、椅子に腰掛けた。隣には代理人もいなければ、クラブのお目付け役もいない。目の前には、サンチョただ一人だ。
「何と言っても、あの『FourFourTwo』の取材だからね!」
フットボールは楽しむためにある
この取材は、スペインのマルベーリャにあるグラン・メリア・ホテルで行われた。ブンデスリーガがウインターブレイクの間、ドルトムントの選手はキャンプのためにこの地へ訪れていた。
「みんなが『君は昨年“爆発”した』と言ってくれる。正直、僕も同じ気持ちだ」。サンチョは話し始める。「人生で最高の年だった。『FourFourTwo』のインタビューを受けているなんて、1年前には夢にも思っていなかったよ」
少し前まで学生だった彼は、今やイングランドのみならず、ヨーロッパ中で話題の中心になっている。
「すべての理由はハードワークだ。言い古された言葉かもしれないけど、僕にとってはトレーニングがすべてなんだ。練習でも試合でも、常に全力を尽くしている。それから、チャンスは絶対に逃さない」
ホテルでの取材の前に撮影した練習風景を見ても、それは明らかだった。サンチョは90分以上にわたり、目まぐるしく動き回っていた。そして、水分補給をするときも指示を聞くときも、彼の足元からボールが離れることはなかった。
「小さい頃からそうだよ。ボールに触れていないと落ち着かないんだ」。ストレッチするように、椅子の下で足をクロスさせながらそう答える。「昔、動画でロナウジーニョがボールを足に絡ませながら練習場に向かう姿を見たとき、『これだ!』って思った。バルセロナやミランにいた頃のプレーもよく見ていたよ。相手の頭上にボールを蹴り上げるトリックは大好きだ。ディエゴ・マラドーナも試合の前にボールで遊んでいたよね。彼らは、フットボールは楽しむためにあると教えてくれた」
目を輝かせてそう話す彼に、まずシーズン前半戦について聞いてみることにした。
「前半戦終了時点で首位に立って、2位に勝ち点6ポイント差をつけているのは悪くない。でも、12月には16位のデュッセルドルフに負けている。何となく気を抜いていたんだと思う。でも、これもフットボールだ。失敗から学ぶこともある」
悔しい敗戦から3日後の試合で、サンチョは教訓を生かした。ボルシアMG戦で相手DFを振り切ると、ありえない角度にゴールを突き刺す。ドルトムントは2-1で勝利し、SNSには彼への称賛の言葉と、勝利を祝福する絵文字があふれた。
「あのゴールは直前にひらめいたの?」という質問に、彼はスタッズのついたイヤリングを光らせながら答える。
「相手が何人も前にいて、フェイントをかけながらシュートコースを探した。角度が厳しいことは分かっていたけど、ゴールの位置だけは確認できたから、低いボールを思い切り蹴ってみたんだ。セオリーどおりならクロスを選択すべきだけどね。後からビデオを見直して、我ながら無謀なことをしたなと思ったよ(笑)」
ゴールの瞬間を思い出しながら、サンチョは視線を右に上げる。
「スタジアムDJが『ジェイドン……』と言うと、サポーターが『サーンチョ!』と叫んでくれた。最高だったね。フットボールって、そういう瞬間のためにあると思うんだ。ドルトムントのサポーターの熱気はマジですごいよ。毎週、どんなに寒くてもゴール裏は超満員で僕らのために歌ってくれる。試合中は集中しているからあまり気づかないけど、ゴールを決めたときは応援のすごさを全身で感じられる」
18歳の選手がクリスマス前までに6ゴール7アシストをマークするというのは、驚異的と言うほかない。彼は「それがブンデスリーガだから」と得意げに言う。
ここで、彼にある数字を伝えてみる。昨年末までの欧州5大リーグの歴史の中で、2000年以降に生まれた選手がマークしたゴールとアシストの合計は47本。その半数以上がイングランド人によるもので、サンチョは全体の38パーセントを占めている。
「マジで? 知らなかった!」。彼はのけぞった。「それを聞いてますますやる気が出た。ただ、僕はいつもチームの勝利のためにベストを尽くしているだけだ。マルコ・ロイスやパコ・アルカセルとは相性がいい。もちろん、うまくやるためには分析もする。一緒に練習をすれば、どこにパスを出されるのが好きだとか、僕が何をすれば動きにくいとか、いろいろ見えてくる。パコはジョークばかり言ってるよ。楽しくてしょうがないね!」
チャンスはどこにだってある
今となっては、2017年8月が遠い昔のことのように思える。サンチョがマンチェスター・シティを後にして、ドルトムントへの移籍を決めたときのことだ。ジョゼップ・グアルディオラは、当時17歳のサンチョの才能を認めていたと言うが、彼の去就については「残りたくない選手について何も言うことはない」と述べるにとどまった。
当時の選択に迷いはなかったとサンチョは言う。「なんでドルトムントを選んだかって? 理由はただ一つ。若手にチャンスをくれるからだ。ホームゲームに8万人も入るクラブで若手をこんなに信頼してくれるところはないよ。信じられないくらいたくさんのクラブが声をかけてくれた。スパーズもその一つだ。誇らしかったけど、ドルトムントを選んだのは正しい選択だったと思う」
サンチョは3部に所属するセカンドチームでの試合や、ユースリーグを経験しながら新しい環境に慣れていった。
「ドイツのフットボールに慣れるという意味では助けになったよ。イングランドのチームが前線からプレスをかけないとは言わないけど、ブンデスのほうがずっときつい。ボールを持ち続けることが難しいんだ」
その年の10月、クラブは彼をグループステージのみの出場という条件つきでU-17ワールドカップに送り出した。インドで行われたこの大会で3得点を挙げ、母国を決勝トーナメントまで導いたサンチョは、ドイツに戻ってすぐの第9節フランクフルト戦でトップデビューを飾ることになる。
「大会の途中で仲間と別れるのはつらかったけど、ドルトムントのトップチームでデビューできたんだから十分ご褒美だよね(笑)。緊張、いや、恐怖という感覚に近かったかもしれない。(ウスマン)デンベレが去った直後で、サポーターはこう思っていたはずだ。『7番をつけているあいつは誰だ?』ってね。実は、クラブからは9番を提示されていた。でも、イングランドではセンターフォワードの番号だからって言ったら7番を薦めてくれたんだ」
彼は初舞台に思いをはせる。「ドリブルしたシーンは忘れられないよ。相手のセンターバックを振り切ろうとしたら、タックルを受けて倒れてしまった。『大人の世界へようこそ』って感じだよね(笑)。もっと時間をかけて仕掛けることができると思っていた。その後はビビってボールを早く放すようになった」
その後も途中出場を続けていたサンチョに転機が訪れたのは、12月だった。ピーター・ボスに代わりチームの指揮官に就任したペーター・シュテーガーは、サンチョの成長に大きな役割を果たすことになる。
「シュテーガー監督は半年しか在任しないことを分かっていて、選手に伸び伸びとプレーさせてくれたから、いろいろなことを試せたよ。監督は『自分の思うようにやってみろ。君ならできる』とピッチに送り出してくれた。僕の存在価値を認めてくれた気がして気が楽になった」
しかし、サンチョがワールドクラスのポテンシャルを発揮するようになったのは、ルシアン・ファヴレ監督が指揮を執るようになってからだった。今シーズンから就任したファヴレ監督は、サンチョに厚い信頼を寄せている。その様子は、練習中に彼の肩を抱きながら話し込む姿を見れば一目瞭然だ。
「もちろん、外国でゼロからスタートすることに大きなリスクはあった。友達や家族にはイングランドに残ってほしいと言われたよ。だけど、僕はこう答えた。『これが正しい選択だって直感してるんだ。とにかくやってみる。それでもいいだろう?』ってね。新しいことに挑戦するのは好きだし、不安な気持ちは全くなかった。見てのとおり、うまくやってるよ」
とはいえ、シティとの契約を延長していたら、今頃はプレミアリーグでも活躍できていたのでは?
「仮定ではなく、事実が大事だと思っている」。彼の口から迷わず出てきた言葉は、その場にいた取材陣をうなずかせるものだった。「今ではトレンドセッターになったような気がする。国外に活躍の場を求めた若い選手は他にもいるけれど、僕のレベルに達している選手はまだいない。若手は自分自身の才能を信じて、もっと視野を広げたほうがいい。チャンスをくれるのは自国のクラブだけではないって早く気づくべきだ」
シティはすべての試合で勝利を求めていた
現在、アーセナルからホッフェンハイムにレンタル移籍しているリース・ネルソンとは幼なじみで、互いに刺激し合う仲だという。SNSのチャットアプリでは、国外でプレーしている選手たちと“Brits Abroad”(海外組)というグループを作って会話しているそうだ。「いつもお互いの試合のゴール数を予想するんだ。昨年11月に、3-2でバイエルンに勝ったときは盛り上がったね!」
経済的に恵まれない地域とされるサウス・ロンドンで育った仲間はネルソンだけではない。フルアムのMFライアン・セセニョン、リヴァプールのDFジョー・ゴメス、クリスタル・パレスのDFアーロン・ワン・ビサカといった有力株がトップチームでしのぎを削っている。サンチョは「将来、彼らとイングランド代表を引き継いでいけたら最高だね」と言って笑う。
ロンドンで最も人口密度が高く、低所得者層が住む地域の一つとして知られるケニントンで育ったサンチョは、金網の柵で囲まれたバスケットコートでボールを蹴っていた。ゴールを支えるポールが青かったから、“ブルー・パーク”と呼んでいた。
「学校が終わるとすぐに友達とブルー・パークへ向かった。コンクリートのピッチで金網をゴールネットに見立ててミニゲームをしていた。懐かしいなあ」。そう言って、彼は視線を右に上げた。昔のことを思い出すときの癖なのだろう。
サンチョは、幼なじみのリース、シティのリザーブチームでプレーするイアン・ポベダとともに、ケニントン公園でイアンの父親が教えるラテンFCに入り、厳しい練習を重ねた。ほどなくしてサンチョとネルソンの二人は、ケニントンの隣町サザークのU-11メンバーとしてロンドンの大きな大会に出場する。当時、コーチを務めていたアーメット・アクダグは、二人の印象をこう語る。「有名なクラブのアカデミー生たちよりずっと素晴らしかった。両足の使い方が上手で、判断力に長けていた。一つ先を読んで、完全に相手を翻弄していたよ」
「リースとは、あの大会で優勝してから親友と呼べる関係になったよ。すべてはサウス・ロンドンから始まった。プロフットボーラーとして地元の子供たちに何かできるとしたら、『君には無限の可能性がある』と伝えたいね」
サンチョはやがてワトフォードのアカデミーに加入し、クラブと提携する寄宿学校でも技術を磨いた。ワトフォードのアカデミーでは、スティーヴニッジやバーネットといったライバルクラブと上位を争うなか、時おりアーセナルとの試合も組まれていた。そしてサンチョがスカウトの目に止まったのは、その試合での決勝ゴールがきっかけだった。
14歳の少年の争奪戦を制したのはシティだった。「ついにステップアップするときが来たと思ったよ。ワトフォードでは選手一人ひとりの成長が重視されていたけど、シティではすべての試合で勝利が求められた。試合に負けると翌日はランニングが待っている。ユースでも厳しさはトップチームと変わらないんだ。シティにはいい選手がそろっていたから、僕もアピールしようと必死だったよ。でも、次第にシティでは一番になれないってことに気づいた」
めちゃくちゃに引っ張り出されたカセットテープを元に戻すことができないように、シティでの日々は思いどおりにならなかった。しかし、彼はそこで受けた教育と、才能あふれる友人たちとの出会いに感謝していると言う。
「フィル・フォーデンは素晴らしい選手だったよ。一緒にプレーするのが本当に楽しかった。U-17W杯のメキシコ戦では、僕が左サイドから中に切り込んでパスを出して、彼がワンタッチで決めた。あれはマジでいいゴールだった! あの大会に出た選手はみんなクラブで活躍しているよね」
リヴァプールのFWリアン・ブリュースター、チェルシーのFWカラム・ハドソン・オドイ、セセニョン、ネルソン、フォーデン、サンチョ……。確かに、この世代はタレントの宝庫であり、各年代のイングランド代表で結果を出している。「みんなの仲が良くて、新しい選手が入ってきてもすぐに家族みたいになる。精神的に大人になった証拠かな」。サンチョはそう言うと、A代表への思いも語ってくれた。
「18歳でA代表に選ばれるなんてね。両親には一番に連絡した。二人とも大喜びだったよ。『努力を怠るな。これからはイングランド中の人々の思いを背負う存在になるんだ』という父親の言葉は胸に響いた」
デビュー戦はUEFAネーションズリーグのクロアチア戦だった。この試合は、3年前のクロアチアサポーターの不祥事によるペナルティとして無観客で行われた。78分、ラヒーム・スターリングに代わって出場したサンチョは「あまりに静かだった」と振り返る。
「初出場の選手は、普通なら相手サポーターの『どんなものか見定めてやろう』っていう独特の雰囲気に呑まれそうになるのに、それがなかった。ある意味、僕が一番落ち着いていたかもしれないね。だって、最近まで観客が少ないユースの試合に出ていたから(笑)。シティにいた頃、ラヒームから『お前は将来すごい選手になる。だから頑張って練習しろよ』って言われて、僕はその言葉を励みにやってきた。そんな彼に代わってピッチに入るのは感慨深かったね。彼も同じロンドン出身だし、人柄もキャリアも尊敬している」
今年6月にはネーションズリーグ準決勝のオランダ戦が控えている。
「楽しみだよ。もちろん、選出されればの話だけど」とサンチョは言う。「勝ち上がればスイスと当たる可能性がある。スイス代表には友人がいるから対戦できたらいいな。ドルトムントでもよく代表戦について話すんだ。パコは昨年10月のグループステージでイングランドからゴールを奪ったことを長々と話していたよ(笑)。だけど、まずはドルトムントでの試合に集中して、ブンデスリーガの優勝を目指すよ。うまくいけば僕にとって初めてのトロフィーだ。想像するだけで胸が熱くなるよ」
左腕に刻んだ家族への思い
サンチョは5歳のとき、生まれたばかりの弟を失った。彼は弟への思いをノートに書き留めたんだと言って、その内容の一部を聞かせてくれた。
「大きくなって、一緒にボールを蹴る日が来るのが待ちきれなかった。でも君は天国へ行ってしまった……。君に出会えて幸せだった。僕の特別な弟、大好きだよ……」
サンチョの左腕には、鳩の絵とともにその詩が刻まれている。「自慢の兄になりたいんだ。いつも弟のことを思いながらプレーしている」
12月のシャルケとのダービーマッチで決勝ゴールを挙げたとき、彼は涙を流した。「弟と、その週に亡くなった祖母に捧げるゴールだった。僕がフットボールをしている理由は、家族を幸せにするためなんだ」
「彼の精神力をリスペクトしている」。ドルトムントでキャプテンを務めるロイスはこうコメントしている。「本物のプロだよ。家族の不幸があっても、いつもどおり練習していた。試合後には笑顔を見せていた」
目の前に座っている少年はただ者ではない。時おり見せるあどけなさを除けば……。
「発売まで待ちきれないよ!」。1時間以上に及ぶインタビューに終始笑顔で応えてくれたサンチョは、別れ際に手を差し出した。そして、いたずらっぽい表情を浮かべてこう言った。
「写真もばっちりだよね?」。もちろん。“That’s LIT”だ!
※この記事はサッカーキング No.001(2019年4月号)に掲載された記事を再編集したものです。
By サッカーキング編集部
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