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2002年日韓W杯開催から18年…今も現役を続ける海外選手たち8選

2020.06.01

日韓W杯が開幕してから18年、今でも現役を続ける選手8人を紹介しよう [写真]=Getty Images

 18年前の昨日、2002年5月31日はアジアのサッカー界にとって歴史的な一日となった。日韓ワールドカップが開幕。アジアで初めて開催されたW杯は、初出場のセネガルが前大会王者のフランスを破る波乱で幕を開け、王国ブラジルの通算5度目の優勝で幕を閉じた。日本が初めて決勝トーナメントに進んだこともあり、国内でサッカーフィーバーが巻き起こった。

 あれから18年。日本では、当時のメンバー23名のうち、小野伸二(FC琉球)、稲本潤一(SC相模原)、中山雅史(アスルクラロ沼津)、曽ヶ端準(鹿島アントラーズ)の4名が現役を続けている。では、今も現役の海外選手と言えば誰だろうか。ここでは、若くして大舞台に臨み、現在まで奮闘を続ける8名を紹介する。

※カッコ内は(現所属クラブ/国籍/現年齢)
写真=Getty Images
 

スレイマン・カマラ(モンペリエ/セネガル/現在37歳)

2002年6月6日、韓国・大邱で行われた日韓W杯グループステージのデンマーク戦でプレーするカマラ

 W杯常連国以外の躍進が目立った日韓W杯。なかでも印象深かったのは、初出場ながら開幕戦でディフェンディング・チャンピオンのフランスを倒し、ベスト8に進出したセネガルだろう。カマラはチーム最年少の19歳でW杯に参加し、グループステージ第2戦のデンマーク戦に途中出場。堂々としたプレーを披露した。クラブレベルでは、モナコ、ギャンガン、ニースとフランス国内を転戦し、2007年に運命のチームとなるモンペリエに加入。以降13年にわたって活躍を続けてきた。しかし、先月中旬に来季の契約が交わされないことが明らかになると、新型コロナウイルスの影響を受けてリーグ打ち切りが決まったあと、現役引退を発表。公式戦433試合というクラブ最多出場記録を残し、ひっそりと第二の人生を模索中だ。
 

モハメド・アル・シャルフーブ(アル・ヒラル/サウジアラビア/現在39歳)

 サウジアラビアのレジェンドの一人として名前を挙げられる攻撃的MF。日韓W杯ではチーム最年少ながら10番を託され、グループステージ第3戦のアイルランド戦に途中出場した。2006年にはアジア年間最優秀選手賞の候補にもノミネートされている。母国の強豪アル・ヒラル一筋のキャリアを過ごしており、2009-10シーズンにはリーグ得点王のタイトルを獲得。サウジアラビアでMFの選手が得点王になるのは史上初の快挙だった。また、2000年と2019年のAFCチャンピオンズリーグ決勝ではジュビロ磐田と浦和レッズをそれぞれ下して、アジア王者の座を獲得している。
 

エムレ・ベロゾール(フェネルバフチェ/トルコ/現在39歳)

2002年6月22日、長居スタジアムで行われた日韓W杯準々決勝でベロゾールはセネガルと対戦した

 16歳でガラタサライのトップチームに昇格し、17歳でレギュラーに。19歳で代表デビューを果たすと、2年後にイタリアの名門インテルへ移籍した。若くして成功を収めたエムレは、日韓W杯にはチーム最年少の21歳ながら主力として参加。日本と対戦した決勝トーナメント1回戦は出場停止だったが、その他の全試合にスタメン出場し、3位入賞に大きく貢献した。昨年のEURO予選にも腕章を巻いて出場、9月のアンドラ戦では通算100キャップを記録している。現在はフェネルバフチェでキャプテンを務めており、来季は同クラブのスポーツ・ダイレクターに就任するのではないかと報じられている。
 

フリオ・セサル・カセレス(オリンピア/パラグアイ/現在40歳)

2002年6月15日、韓国・済州ワールドカップ競技場で行われた日韓W杯のドイツ戦に出場したカセレス

 W杯を3度経験しているベテランDF。日韓W杯の直前に代表デビューを飾ると、チェーザレ・マルディーニ監督(当時)の信頼を得て、本大会では全4試合にフル出場を果たした。ベスト16でW杯を終えた直後には、所属するオリンピアでコパ・リベルタドーレスを制覇。2002年はカセレスにとって、大きな飛躍を遂げた一年だった。しかし欧州挑戦は苦い結果に終わり、2004年に移籍したナントではケガの影響もあって目立った成績を残せなかった。その後、ボカ・ジュニオルスやアトレティコ・ミネイロなど南米の強豪クラブを経て、現在はキャリアをスタートさせたオリンピアに所属。15歳の息子も同クラブの組織でトレーニングを積んでいる。
 

ロケ・サンタクルス(オリンピア/パラグアイ/現在38歳)

2002年6月12日、韓国・済州ワールドカップ競技場で行われた日韓W杯のスロベニアに出場したサンタクルス

 1999年、正統派イケメン選手が彗星の如く世界のサッカーシーンに現れた。17歳だったサンタクルスは、南米ユース選手権、ワールドユース(現U-20W杯)、コパ・アメリカの3大会に参加するという快挙を成し遂げたのだ。その活躍ぶりは欧州中に広まり、名門バイエルンへ移籍。3年後に行われた日韓W杯では全試合に先発出場し、初戦の南アフリカ戦では先制点も記録した。その後2大会連続でW杯に出場し、パラグアイの歴代最多得点記録を保持している。バイエルン退団後は、マンチェスター・C、マラガなど欧州各国を渡り歩き、2016年にプロデビューを飾ったオリンピアに復帰。17年ぶりに戻った古巣でキャプテンに就任し、現在もレギュラーとして活躍中だ。
 

ホアキン・サンチェス(ベティス/スペイン/現在38歳)

2002年6月22日、スペインは光州ワールドカップ競技場で行われた日韓W杯準々決勝の韓国戦でPK戦の末に敗退。PKを外し倒れ込むホアキン

 ベティスと相思相愛のホアキンは、20歳で参加した日韓W杯で地獄を味わった。準々決勝の韓国戦ではフェルナンド・モリエンテスのゴールが取り消された“誤審”が大きな話題となったが、決勝点になるはずだったそのゴールを“アシスト”。またPK戦では両国で唯一キックを失敗し、母国の敗退を決めたのもホアキンだった。2006年のW杯後にベティスを退団すると、バレンシア、マラガ、フィオレンティーナでプレー。2015年に再びベティスのユニフォームに袖を通すと、主力選手として活躍しており、今季はリーガ史上最年長でのハットトリックまで達成した。ベティスとのラブストーリーはもうしばらく続きそうだ。
 

ジャンルイジ・ブッフォン(ユヴェントス/イタリア/現在42歳)

2017年11月13日、ロシアW杯欧州予選プレーオフでスウェーデンに敗れて本大会出場を逃したブッフォンは代表引退を表明した

 現在、ユヴェントスに所属するブッフォンも日韓W杯メンバーだ。W杯には1998年大会から2014年大会まで5大会連続でメンバー入りを果たし、2002年日韓W杯から4大会連続で正GKを務めた。1997年のデビュー以来、積み上げてきた出場数は「176」。もちろん、イタリアの歴代最多記録になる。昨季はパリ・サンジェルマンへ移籍して初の国外挑戦に臨むも、1年でユヴェントスに復帰。第2GKという立場ながらチームの精神的支柱として不可欠な存在であり、来季の契約にも合意したと報じられている。
 

ズラタン・イブラヒモヴィッチ(ミラン/スウェーデン/現在38歳)

2002年6月16日、大分で行われた日韓W杯セネガル戦で途中出場したイブラヒモヴィッチ

 名言集が作られるほど、その言動に注目が集まる個性派FW。行く先々で、口も出すが結果も出すストロング・スタイルを貫いてきた。スウェーデン代表では歴代最多の62ゴールという記録を残したイブラヒモヴィッチだが、実はW杯では一度もネットを揺らすことができなかった。ヘンリク・ラーションとマルクス・アルベックの控えで参加した日韓W杯は2試合に途中出場したのみ。2006年大会は3試合に出場したがノーゴールに終わり、その後2大会はチームが出場権を逃している。それでもイブラの辞書に“衰え”の二文字は存在しない。昨年12月に古巣ミランに復帰すると、中断前までの10試合で4ゴールを記録。アラフォーとなった今も、トップレベルで通用することを証明している。
    

By Footmedia

「フットボール」と「メディア」ふたつの要素を併せ持つプロフェッショナル集団を目指し集まったグループ。

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