2016年に実施したインタビューにて撮影 [写真]=野口岳彦
ピッチ内での輝かしい活躍とピッチ外での奔放なふるまいを見せたディエゴ・マラドーナの半生に迫る映画『ディエゴ・マラドーナ 二つの顔』が、2月5日(金)から新宿ピカデリー、ヒューマントラストシネマ渋谷、グランドシネマサンシャインなどで全国ロードショーされる。映画公開に先駆けて、1979年のFIFAワールドユース選手権決勝でマラドーナを現地観戦しているジョン・カビラ氏にインタビューを実施。マラドーナへの思いや映画を観た感想を聞いた。
インタビュー・文=武藤仁史
写真=野口岳彦
——2月5日に映画『ディエゴ・マラドーナ 二つの顔』が公開されます。映画ではマラドーナの中にある“二つの顔”が明かされているので、今回はカビラさんが抱くマラドーナの人間性についてお伺いできればと思います。
ジョン・カビラ(以下、カビラ) 残念ながら私はご本人にお会いしたがことないので、あくまで印象になってしまいます。弟は6秒間彼に抱きついていますけどね(笑)。
——あのエピソードはすごいですよね(笑)。
カビラ 本当に(笑)。マラドーナが優勝した瞬間ですよ。関係者を除くと、おそらく優勝直後のマラドーナに抱きついた人なんて、世界で5人もいないんじゃないかと思います(笑)。
——まずは、カビラさんがどのようなサッカーを見て育ってきたのかを聞かせていただけますか?
カビラ テレビ東京で『三菱ダイヤモンド・サッカー』が放送されていたころは、ドイツのブンデスリーガや当時まだプレミアリーグでなかったイングランドリーグですよね。ゲルト・ミュラーやボビー・チャールトンというレジェンドから見始めました。そこからアルゼンチン・ワールドカップで活躍したマリオ・ケンペスや、ヨハン・クライフの時代です。次に1985年のトヨタカップで幻の(ミシェル)プラティニのゴール。日本では釜本(邦茂)さんや奥寺(康彦)さんが活躍していました。その上には神様ペレ。そういう時代でしたね。1週目の放送で試合の前半を見て、次の週で後半を見る。テレビメディアも非常に牧歌的な時代ですよね。広州で行われた日本代表戦、水沼(貴史)さんのコーナーキックから原(博実)さんがヘディングで決めた試合も、NHKのニュースで出るんじゃないかとテレビにかじりついていました。現在の配信の社会とは全く違う世界です。ひょっとすると世界でも有数の動画や番組の世界が身近にある日本ということで、隔世の感はものすごくありますね。
——そういう時代の選手たちを見ていた中でマラドーナが登場しました。
カビラ 衝撃ですよね。なんと言っても79年のワールドユース。当時は『サッカーダイジェスト』や『イレブン』といった紙メディアしかないですよね。すごいプレーヤーがアルゼンチンにいるというのは伝わってきていました。アジア初のFIFA主催大会が日本で開催されるということで、当時は大学生だったんですけど、先輩と一緒に国立競技場に行きました。あのアルゼンチン対ソビエトを観られた思い出は本当に自分の宝物です。その後にラモン・ディアスがまさか横浜マリノスに来るなんて想像もできない時代でしたね。マラドーナは衝撃のプレーの数々を見せてくれました。その後、ありがたいことに都並敏史さんと仕事でご一緒する機会がありました。マラドーナと対戦経験のある都並さんから「異次元の存在だった」という話をダイレクトに伺うことができて、それも非常にうれしかったです。「ここは絶対に行かせないと角度を切ってガードしていても、一番警戒しているところをやすやすと突破されちゃうんだよね」と。それをまた悔しそうにではなくて、うれしそうに語る都並さん。それがやっぱりマラドーナたる存在なんだなと思いました。
——マラドーナのプレーを観たカビラさん自身のご感想は?
カビラ 小兵なんですけれども分厚い。独特の胸を張った状態でプレーができるというか。今でこそ「体幹が素晴らしい」とか「体幹をうまく使っている」という表現をしていますけど、当時は「体幹」なんていうボキャブラリーはなかったですからね。独特な左足からのドリブル、リズムやテンポ、閃き、そして力強さ。本当に小さいですからね。170センチもない。そうすると、僕らの国はサイズが云々ということをエクスキュースにしてしまいますが、それは関係ないというのがよく分かります。
——カビラさんがマラドーナに最も熱中していた時期というのは?
カビラ それは間違いなくメキシコ・ワールドカップです。伝説の山本(浩)アナウンサーのマラドーナ4連呼(笑)。おそらく、あれを超える実況はないんじゃないかな。
——映画『ディエゴ・マラドーナ 二つの顔』を観たご感想を伺っていきたいと思います。
カビラ 映画の中で追体験するものと、こんなにも彼の人生は過酷だったんだと……。僕らはとにかく「神の子マラドーナ」、「神の手マラドーナ」、「5人抜きマラドーナ」というキーワードに意識が向いてしまう。ナポリに初を含めた2度のスクデット、コッパとUEFAカップをもたらす頃までは追いかけていましたが、その後の転落はニュースで見ていて残念な思いがありました。パパラッチに向けて銃を向けるような、外伝で配信される“お騒がせのマラドーナ”によって、僕らが投影していたイメージが壊されていく。その悲しさを勝手に感じていたんです。しかし、この貴重な映画の中では衝撃の数々が明らかになる。こんなにどす黒い世界で彼はもがいていたんだと。僕らは何も分かっていなかったという印象が残りました。例えば、ナポリのチームメイトにブラジル代表のカレカがいて、アルゼンチン代表のマラドーナを堕落させるために、麻薬とマフィアの道に誘い込んだ。そんな都市伝説がまことしやかに語られていました。だけど、この映画を見るとそんなレベルじゃなかった。パーソナルトレーナーのフェルナンド・シニョリーニがいみじくも“ディエゴ”と“マラドーナ”という二つの人格があるんだと語るのですが、これはもう涙ながらに膝を打つというか、本当にたまらない瞬間でした。「そういうことか」とパズルがやっとはまった感覚でしたね。今でこそプロのサポートチームがメンタルからフィジカルからを整えて、プレスの広報もちゃんと整備されています。一方で当時のチームは全くそういうサポートシステムがなかったということと、それがどれだけ大切なのかを感じさせられますよね。(リオネル)メッシはこういうことにはならないですよ。もちろん彼も経済的な事件にこそ巻き込まれていますけど、マラドーナが見せてくれたサッカーにまつわるダークサイドというところからは、ようやく環境が整備されたんだなと思いました。
——環境が整備されたことで、今後はマラドーナみたいな選手が生まれる可能性は少なくなったと。
カビラ 僕もメディアの端くれですが、軽々しく「神」とか「神業」、「神がかっている」いう言葉を使うようになって、神様の価値が下がりましたね(笑)。サッカーがビッグビジネスになったことで、ご家族の方の期待値が上がっています。小さいころの動画が今はいくらでもSNSにアップされるわけですよね。それによって一体どれだけ神童と言われる人が世界に生まれたのだろうとすごく複雑な気持ちになります。メディアリテラシーの面で考えてみると、この映画はよくもあんなところまでカメラが入っていましたね。飛行機の中やドレッシングルームとか。本当に深いところまでよく撮られていました。フットボールが好きな方は当然ですが、スポーツにちょっとでも興味があったり、もしくはメディアというアングル、チームや組織を運営する立場にある方にも観てほしいです。
——映画ではマラドーナがナポリに在籍した7年間に焦点を当てています。この期間にフォーカスしたことでどのような効果が生まれたと思いますか?
カビラ ナポリというチームの歴史を塗り替え、経済的に疲弊していた街のプライドを復活させた。そしてあのイタリア・ワールドカップですものね。なんという祝福と皮肉を同時に降り注ぐんですかというくらい、そのドラマ性は考えられないほどのものです。この期間に集中したことでその素晴らしさが生まれたと思いました。もう泣きましたね。切なさ、悲しさ、それでも存在感があるというか。マラドーナは非業の死を遂げるわけですが、映画はその前に完成していて本当に良かったと思います。もう耐えられませんから。映画はそこまで映してくれなくて良かったと感じています。
——500時間にも及ぶ秘蔵映像を使用している点も魅力の一つです。
カビラ すごいですね。だって、電話の盗聴録音まで出ちゃうんですよ。サポートシステムという発想すらない時代のリスクが最悪な形で現れた。その例ですよね。別に管理を徹底して、選手の日常までもケアしないといけないとまでは言いません。一方で、あそこまでほったらかしにされてしまった。ナポリ特有のダークサイドがあるということは会長を含めて分かっていたわけです。だったら守ってあげなよと。不安定な“ディエゴ”に付け込んで、“マラドーナ”という偶像で甘い汁を吸う。本当に許せないですよ。
——あれだけのスター選手がマフィアとの交際や愛人とのゴシップ、コカインでの逮捕などダークな面に落ちてしまった。そういうマラドーナの人間性を理解できますか?
カビラ 一方的に「なんでマフィアとつるむの? なんでコカインに手を出すの?」と言うことは簡単なんだけど、映画を見ていると「なるほどね」と。おそらく僕らには想像できないプレッシャーやプライドがないまぜになって、その隙間に入り込まれてしまったという気がします。だけど、そこから“マラドーナ”という他人にコントロールされているブランドから“自分”を取り戻していく。とはいえ、それがリハビリ中でそういう状態になっていたというのは切ないですよね。
——マラドーナの家族をはじめ、元妻のクラウディアさんやチームメイトのチロ・フェラーラなど、関係者の証言がふんだんに使用されている点も骨太の映画になっている要因だと思います。
カビラ 分厚いですね。周辺の証言が本当に素晴らしい。そして(ハンス・ペーター)ブリーゲルやプラティニといった往年の選手もチラッと映りますし(笑)。そのころのオールドファンの方々、僕も60歳を超えてしまったので、僕が言うオールドファンというとみんな70歳くらいの方々になっちゃうんですけど、当時を思い起こさせてもらえると思います。
——アシフ・カパディア監督がドバイに住んでいたマラドーナに何度もインタビューして、制作に3年を費やした。生前にマラドーナ本人とコミュニケーションを図れたからこその仕上がりになっていると感じました。
カビラ 間違いないですよね。最初に「これは誰の声だろう?」と思ったら、ディエゴ本人の声ですものね。また、そのしわがれ声がたまらない思いを醸し出します。本当によくぞ作ってくれました。
——2020年11月25日にマラドーナご本人が亡くなられた。この一報を聞いたときの気持ちは?
カビラ 衝撃と悲しみと……これはなかなか表現しにくいですけど、「やっと休めるね、ディエゴ」という気持ちのないまぜな感じですかね。本当に晩年……この晩年とは亡くならないと使えない言葉なので、それを言うこと自体が悲しいんですけど、晩年の窮状はたまらないものがありました。麻薬との戦い、肥満との戦い、家族との軋轢、もしくは愛情の確認。最後のシーンがもう本当にね……今もやばいですよ。僕も人の親なので、たまらないですね。胸が締め付けられるというのはこういうことだなっていう。僕のような遥か彼方、東アジアの端にいるおっさんがこんな勝手なことを言ってもいいのかというおこがましさを感じつつ、とはいえ「良かったね」と。だって、ディエゴのつらさなんて想像もできないですね。彼の日々はどうだったんだろうって。喋っているだけでつらくなってきますよ。つらいんだけど、やっぱりディエゴはすごかったなって。
——1本の映画という観点からはどう評価していますか?
カビラ よくありがちな栄光を極めた人の転落劇。1行で表現するとしたらそうなる。だけど、そこにどんな人間の顔が見えてくるのか。すべての人間がまっすぐの道を歩んでいるわけではありません。どういった紆余曲折があるのかを、この映画はちゃんと映像で拾っています。当時のマスメディアがパーソナルスペースを犯していく、心をえぐるような貴重映像も観ることができます。あとは生前の本人の声でも拾っています。ドキュメンタリーの手法としてもすごいですよね。いろいろな角度からの証言集が織り込まれているので、秀逸な出来だと思います。
——この映画をどのような方に観ていただきたいですか?
カビラ サッカーファンはもとより、スポーツが好きな方に見てほしい。ディエゴ・アルマンド・マラドーナは歴史上の人物ですからね。現代スポーツ史の1ページを綴ってくれた男の生き様をぜひ見ていただきたい。すごい旅でしたね。「たられば」は禁句ですが、もしもマフィアや薬物といった道を歩んでいなかったら、彼はどうなっていたのかなとファンタジックに考えてみるのも救われます。それに座学ではないですが、イタリアの北と南でこんなに差別がすごいのかと当時の文化を理解するきっかけにもなります。ユヴェントスのチャントなんて、今では絶対に許されないですよね(笑)。南北の差別が一番醜い形で出てくるのが、残念ながらカルチョの応援なんです。本当に整備されて良かったですね。牧歌的というと文学的だけど、当時は荒れすぎていますよね。貴重なものを観させていただきました。映画史にもサッカーのメディア史にも残る作品だと思います。僕は観終わったあとすぐに、二人の弟に連絡して「絶対に見てくれ」と伝えました。J-WAVEの朝の番組スタッフにも「切なすぎるけど、これは絶対に見て」と。
——映画を観終えたあと、マラドーナに対してどのような気持ちを抱きましたか?
カビラ 安かれ、ですね。天国では素晴らしいレジェンドたちと、神様が整備してくれたこの上ないようなピッチの上で、ものすごいプレーを連発してることでしょう。僕ももし天国へ行ければ、そのスタンドで彼のプレーを見たいですね。
——一緒にプレーするのではなくて、スタンドで見ると。
カビラ また魅せてほしいですね(笑)。
映画『ディエゴ・マラドーナ 二つの顔』
2月5日(金)より新宿ピカデリー、ヒューマントラストシネマ渋谷、グランドシネマサンシャインほかにて、緊急ロードショー
『ディエゴ・マラドーナ 二つの顔』
監督・製作総指揮を手掛けたのは、『アイルトン・セナ ~音速の彼方へ』で英国アカデミー賞 受賞、『AMY エイミー』でアカデミー賞®受賞を果たした、イギリスの俊才アシフ・カパディア。 また、製作にジェームズ・ゲイ=リース、編集にクリス・キング、音楽にアントニオ・ピントなど、前作と同じスタッフが集結。さらに、マラドーナ本人の完全な協力を得て、500時間の貴重な秘蔵映像と共に、栄光と挫折を繰り返す天才の光と影が明かされる。カンヌ国際映画祭オフィシャルセレクション、英国アカデミー賞ノミネート、ロッテントマト89%大絶賛など、世界中で高く評価された波瀾万丈な人生ドラマが遂に日本公開。
【ストーリー】
1984年、世界的な人気を誇るアルゼンチン出身のサッカー選手ディエゴ・マラドーナは、熱狂的な観客が集うイタリア南部の弱小クラブSSCナポリに移籍する。ピッチでは“神の手”“5人抜き”でメキシコW杯優勝、“クラブ史上初”のセリエA優勝により、スーパースターとして崇め立てられたかと思いきや、プライベートではマフィアとの交際、愛人とのゴシップ、コカインでの逮捕により、トラブルメーカーとして忌み嫌われてしまう。やがて、サッカーを愛するピュアな“ディエゴ”、マスコミを騒がせるダークな“マラドーナ”という、相反する二つの顔が浮かび上がる……。
映画『ディエゴ・マラドーナ 二つの顔』オフィシャルサイト
By 武藤仁史
元WEB『サッカーキング』副編集長