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“韓国のファーガソン”も…Kリーグで在任期間が長い韓国人監督トップ5

2020.08.28

[写真]=Getty Images

 世界から注目を集める欧州5大リーグと同じように、Kリーグでも監督の入れ替えは激しい。今シーズンはすでに水原三星スウォン・サムスンブルーウィングスのイ・イムセン監督とFCソウルのチェ・ヨンス監督が、成績不振を理由に辞任に追い込まれている。

 では、Kリーグで在任期間が長い監督は誰か。逆に最も短命で終わった監督は誰か。ここでは、“長寿監督”ベスト5を紹介しよう。

●わずか15日で辞任…Kリーグで在任期間が最も短い監督は誰だ?

▼5位 1812日

ファン・ソンホン(浦項ポハンスティーラーズ/2010年12月13日~2015年11月29日)

 2013年シーズン、在任期間が1804日と7位につけるキム・ホゴン監督が指揮を執る蔚山現代ウルサン・ヒョンデとの優勝争いを制したのが、ファン・ソンホン監督率いる浦項スティーラーズだった。2011年から浦項を率いたファン・ソンホン監督は、就任2年目の2012年にFAカップを制覇、その翌年には韓国初のFAカップとリーグ戦の2冠に輝く偉業を成し遂げた。2015年シーズンを最後に契約満了で浦項を去ったが、浦項の監督を5シーズン務めたのは、彼と長寿監督6位のセルジオ・ファリアス(1809日/2005年1月6日〜2009年12月20日)だけだ。

▼4位 2364日

[写真]=Getty Images

チェ・ガンヒ(全北現代チョンプク・ヒョンデ/2005年1月1日~2011年12月21日)

 キム・ホ監督のもとでのコーチ生活を経て、2005年1月から全北現代の監督に就任。当時の全北は目立った特長がない地味な中堅クラブだったが、“タッコン”(「ひたすら攻撃する」という韓国語の略語)と呼ばれる攻撃サッカーで2006年にACL制覇へ導く。2009年と2011年にはKリーグのタイトルを勝ち取り、就任7シーズンで全北現代を強豪クラブへと押し上げた。

 KFAの要請を受けて2011年12月から韓国代表監督を務めたが、ブラジルW杯の出場権獲得を置き土産に2013年6月から全北現代に復帰。以降、2018年までの第二次政権では6シーズンでリーグ優勝4回、ACL優勝1回と栄光を積み重ね、2018年4月にはKリーグ歴代最多勝監督(211勝)となった。複数のKリーグクラブを率いたキム・ホ監督やキム・ジョンナム監督とは異なり、1クラブを率いての最多勝記録更新は意味深く、第一次と第二次を合わせると実に13シーズンも全北に在任したことから、“韓国のアレックス・ファーガソン”とも言われる。現在は中国スーパーリーグの上海申花で指揮を執っている。

▼3位 2755日

パク・ジョンファン(一和天馬イルファ・チョンマ ※現・城南ソンナムFC/1998年9月16日~1996年4月2日)

 1980年代から1990年代前半にかけて、韓国サッカー界屈指の“カリスマ監督”として有名だったパク・ジョンファン監督。1983年のワールドユース(現U-20W杯)で韓国代表をベスト4に導き、1988年から1996年まで指揮した一和天馬ではKリーグ史上初の3連覇(1993年〜1995年)を達成。スパルタ指導と人心掌握から“トクサ”(毒蛇)や“スンブサ”(勝負師)など、愛称も多かった。

▼2位 2855日

[写真]=Getty Images

キム・ホ(水原三星/1995年12月22日~2003年10月16日)

 現役時代は韓国代表DFとして釜本邦茂などをマークし、指導者としては1994年のアメリカW杯で韓国代表を率いた。1995年からKリーグに参入した水原三星の初代監督に就任すると、在任7年でリーグ優勝2回、FAカップ優勝1回、カップ戦優勝4回、アジアクラブ選手権優勝2回と多くのタイトルを獲得し、“常勝軍団”を作り上げた。

 若手の発掘や育成に長け、教え子たちは「キム・ホの子供たち」と呼ばれることも。2007年から2シーズン指揮した大田テジョンシチズンではタイトルを勝ち取れなかったが、Kリーグはもちろん、KFAにも意見することを辞さない名将として、今も根強い人気を誇る。

▼1位 3047日

[写真]= AFLO

キム・ジョンナム (蔚山現代/2000年8月22日~2008年12月25日)

 Kリーグでは在任期間が最も長い監督を“チャンス(長寿)監督”と呼ぶ。そのトップにいるのがキム・ジョンナム監督だ。韓国代表が32年ぶりのW杯出場を果たした1986年のメキシコW杯で代表監督を務めたあと、1990年代はKFAの技術委員長を務めていたが、2000年に蔚山現代で現場復帰。2008年12月まで長きにわたってチームを率いて、常に優勝争いを演じた。

 ただ、リーグ優勝1回(2005年)、カップ戦優勝1回(2007年)と、勝ち取ったタイトルは少なく、“準優勝専門監督”と呼ばれることもあった。

文=慎 武宏(ピッチコミュニケーションズ)

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