サッカー界がコロナ禍による財政難に苦しむ中、今オフには長年Jリーグのクラブで活躍してきたベテラン選手たちの退団・引退報道が相次いだ。そんななか、39歳の元日本代表MF松井大輔をはじめとするJリーグ経験者4人(松井大輔/元横浜FC、高崎寛之/元FC岐阜、ウ・サンホ/元栃木SC、苅部隆太郎/元FC岐阜)を相次いで獲得して注目を集めた東南アジアのクラブがある。サイゴンFCだ。
この連載では、急激に“日本化”が進み、にわかに注目を集めるサイゴンFCの野望に迫る。最終回となる第6回では、当初は選手としてクラブに加わったものの、その後、フロント入りした苅部隆太郎氏にインタビューを実施した。
文・写真=宇佐美淳
いつかベトナムに戻りたいという気持ちがあった
――開幕前、サイゴンFCに4人目のJリーグ経験者の助っ人として加入しましたが、先日突然のフロント入りが発表されました。ここに至る経緯をお聞かせください。
苅部 僕がサイゴンFCと契約した時点で、外国人選手がAFC枠も含めてすでに4人いる(松井大輔、高崎寛之、ウ・サンホ、ティアゴ)という状況でした。フロント入りの流れは、当初からある程度、想定されていたものです(サイゴンFCはAFCカップ出場のため、リーグ規定の外国人枠3人+AFC枠1人の登録が可能)。
――契約の時点で決まっていたのですね。
苅部 まずチャン・ホア・ビン会長が日本から助っ人を3人連れてくると決めて、その後に僕のことを知ったようで、「どうしても呼びたいから、とりあえず来てくれ」と。僕自身、以前ベトナムでプレーした経験があり、好きな国だったので、いつか戻りたいという気持ちがありました。現地のサッカー関係者と連絡を取り続けて、サイゴンFCの情報も知っていたし、クラブが日本化を進めているという背景もあり、クラブの可能性を感じておもしろいなと思ったんです。
――FC岐阜でプレーした後、若くして一度現役を退いていますね。
苅部 前十字靭帯をケガして復帰し、その半年後くらいに一度引退しています。その後はビジネスの世界に入って世界を回りながら勉強しました。いろいろな意見があると思いますが、自分がワクワクすることを一番の選択肢にしたいという気持ちで、ここまでやってきました。一度サッカーから離れたことでサッカーに対する見方が変わったし、現役復帰を決めたのも、やっぱりサッカーが好きだったから。これまで自分がしてきた選択は間違っていなかったと思っているし、今回サイゴンFCに来たことも、そう言えるように頑張っていきたいです。
――現役復帰はインドネシアでしたが、この間にはどんなことが?
苅部 もともとある程度は英語が話せたこともあり、世界中を回っていろいろな経営者の方々に学ばせてもらいました。そんな中、マレーシアに行ったとき、東南アジアのサッカー熱を初めて目の当たりにして、こんな中で仕事ができたら楽しそうだと思ったんです。日本の人たちはまだあまり知りませんが、日本人選手が東南アジアのトップリーグでやるとなると、外国人選手扱いになるので、単純に給料が上がるんです。僕はインドネシア、マレーシア、タイ、ベトナムでプレーしてきましたが、J1でも好待遇と言えるような条件でやらせてもらいました。今回、サイゴンFCが松井選手、高崎選手、ウ・サンホ選手を獲得したことで、日本の人たちも気づき始めているんじゃないでしょうか。
――初めてベトナムでプレーしたのはタインホアFCでしたが、当時はベトナムでプレーする日本人選手がほとんどいない状況でした。タインホア入りはどのように決まったのですか?
苅部 その前にプレーしたインドネシアである程度の結果を残し、その後の選択肢が増えました。行ったことがない土地で挑戦したかったので、AFCカップ出場を控えていたタインホア行きを決めました。当時はAFCカップがどんなものかも知らなかったのですが、東南アジアでプレーしていくにあたり、AFCカップやACL出場はステータスになると思いました。当時のVリーグの外国人枠は2人だったんですが、このことを知らずに入ったので、いざ来てみてびっくりしました。それでもリーグ戦にも何試合か出場して、AFCカップでも結果を残すことができました。
――インドネシア、マレーシア、タイ、ベトナムと4カ国を渡り歩きましたが、この経験を通してどんなことが得られたと感じていますか?
苅部 東南アジアの強豪4カ国のトップリーグを肌で感じての感想になりますが、レベルも徐々に上がってますし、現在所属しているサイゴンFCのビン会長のように本気でクラブ経営しようと考える経営者が増えているので、かなりの成長速度で伸びていくと予想しています。Jリーグもアジア戦略で交流を深めていますが、現状は互いにギャップがあって、Jリーグ側は東南アジアをかなり下に見ている。一方の東南アジア側もJリーグをそれほど高く評価しているわけじゃない。最近ではJ1、J2の選手が東南アジアでプレーしたいと言っても、いきなり好待遇のオファーがもらえるケースは減っています。その一方で、東南アジアで契約を狙う選手は、日本以外にもどんどん増えている。僕としては、これまでの経験を生かして、現在あるギャップを埋めるじゃないですけど、Jリーグのために働きかけていければと思っています。
――現地で得た人脈については?
苅部 例えば、日本ではエージェントを介してクラブと契約するんですが、東南アジアの場合はオーナーと直接交渉することが多いんです。そうすることで、交渉力も身につきますし、人脈も形成される。不測の事態が多々起きるので、それらに対応するタフさも育ちます。どうやってクラブに自分を売り込むかも分かってきます。
クラブの価値やブランドを高めることが仕事
――サイゴンFCでは今後フロントの一員として活動していくということですが、日本化を推進するクラブの中で、どのような役割を担っていくのでしょうか?
苅部 オーナーが現会長のビン氏に代わって、クラブを成長拡大させていくという彼の理念にスタッフ一同ついていっているんですが、なにぶん、人手が足りない状況でした。僕自身、3月にフロント入りして日も浅いのですが、すでに複数のプロジェクトを任されています。スピード感がある変化の中、今まで経験したことがない分野の仕事もあるので難しい部分もありますが、楽しみながら仕事をしています。今の仕事はプロモーションを通してクラブの価値やブランドを高めていくこと。これは僕がやりたかったことでもあるし、会長が求めていることでもあります。現在、日系企業だけじゃなく、ローカル企業からも関心を持ってもらっていて、おもしろい話がたくさん動いていますから、これからのサイゴンFCに注目してもらえればと思います。
――話せる範囲で構いませんので、どんなプロジェクトが進んでいるのか教えてください。
苅部 商品企画なども考えていますが、まだオフィシャルじゃないので具体的なことは話せません。ベトナムに関して一つ言えるのは、他の3カ国(インドネシア、マレーシア、タイ)と比べて、クラブのマーケティングやプロモーションの部分が絶対的に遅れていること。ベトナムでは新聞の影響力が大きくて、新聞がどう書くかで大衆の見方も変わってきます。これはタインホア時代も、サイゴンに来た現在も同じ。ただ、時代はどんどん変化しているので、これからはSNSでの発信を増やしていきたい。サイゴンFCをビッグクラブにしていくためには、10代やそれ以下の世代をいかに引きつけるかが大切で、将来サイゴンの選手になりたいと思ってもらえるように、若い世代の目に触れるSNSを活用すべきです。
――SNS上のインフルエンサーの存在が重要になってくると?
苅部 ベトナム代表のスターは広告もいっぱい取れます。それはベトナム人選手にとっての夢でもあり、広告の契約料はとんでもなく大きな額になる。それを見て憧れるのが普通だと思うし、そういう場、そういう選手を作ってきたい。サイゴンFCにも代表選手はいますが、スターと言えるような選手はまだいません。今回、松井選手というビッグネームが来ましたが、現在サイゴンFCが日本人選手に与えている待遇は、東南アジアでもトップクラスだと思います。でも、それも発信しなければ誰も知らないまま。松井選手や高崎選手は発信力が大きい選手なので、それを使わない手はない。僕自身、タインホア時代のこともあって、日本人選手としてはベトナムでの知名度があると思っているので、裏方に回るだけでなく、時には表に立って注目を集める必要があると感じています。