タイサッカー協会は2023年11月22日、Jリーグで鹿島アントラーズや大宮アルディージャを率いた経験を持つ石井正忠氏のタイ代表監督就任を発表した。
『FIFAワールドカップ26』のアジア2次予選、ホームで中国代表に敗れるなど1勝1敗という成績を受け、それまで指揮を執っていたアレシャンドレ・ペルキング前監督に代わっての就任だった。
石井氏は2019年にタイリーグ1部のサムットプラカーン・シティの監督に就任すると、月間最優秀監督を受賞するなど手腕が評価され、2021-22シーズン途中には同リーグ屈指の強豪であるブリーラム・ユナイテッドの監督に就任。ブリーラム・Uではタイリーグ史上初となる2季連続3冠の偉業を成し遂げ、タイ代表監督に推す声も高まっていた。
指揮官交代から2カ月足らずで迎えるアジアカップ。2大会連続の決勝トーナメント進出を目指すタイ代表の現状と大会への意気込みなどを、新指揮官・石井監督に聞いた。
取材・文=本多辰成
■タイ代表監督のオファーは即決で引き受けた
――3シーズンほどタイのクラブチームを率いた後のタイ代表監督就任となりましたが、代表監督のオファーは即決でしたか?
石井正忠(以下、石井) 3年以上タイのサッカーに関わってきて、タイの選手の能力、タイサッカーのレベルはわかっていました。タイの選手は能力が高く、レベルは上がってきていますから、それをさらに発展させてワールドカップに向かって行けるんじゃないかと思っていました。クラブチームの監督としてもどうにかそこに携わっていければという思いでやってきましたが、今度は代表監督として直接関わっていけるということで、オファーがあったときにはすぐに引き受けました。
――現状のタイ代表の強みや課題についてはどのように見ていますか。
石井 強みとしてはタイの選手のフィジカルの能力、たとえばスピードであったり体のぶつかり合いであったり、そういうものは日本人よりもあるんじゃないかと感じていますし、技術的にもそれほど劣っていない。ちょっと足りないところとしては、やはり個人戦術やグループ戦術の理解度の部分です。クラブチームでもその辺を改善しながらチーム力をアップしていくことができたので、それは代表でもやっていけるんじゃないかと思っています。
――『FIFAワールドカップ26』のアジア2次予選では、ホームでの初戦で中国に1-2と逆転負け。タイは技術面の優位性を生かして試合を優勢に進めながら、ワンチャンスをあっさりと決められて逆転を許すという展開でした。長年言われ続けていることですが、やはり守備面がタイ代表の課題でしょうか。
石井 本当にその通りで、タイリーグを見てもどこのチームも守備面が足りていないと思います。先ほど言ったように、まずは個人戦術のところがしっかりと理解されていない。一対一の守備もそうですし、組織的にどう守るかというとろこもあまり整理されていないんじゃないかと思っています。
――DFの人材がいないというよりは、全体として守備戦術を徹底できていないのが大きいですか?
石井 タイリーグはFWとセンターバック(CB)に外国人選手を使うクラブが多いので、人材的にもタイ人のいいDFが出てきていないように感じます。今回も代表メンバーを選ぶ上で一番難しかったのがCBでした。鹿島の監督時代にタイのクラブと対戦したときにも守備面の弱さを感じていて、最初にタイで指揮したサムットプラカーン・シティでも同じ印象を持ったので、まずは守備のところをやりました。タイ代表でも守備面の徹底ができれば、ある程度安定した成績を残せるんじゃないかと思っています。
■海外組増加による変化、タイには高いポテンシャルがある
――Jリーグをはじめ、国外のリーグでプレーするタイ人選手も増えてきています。彼らの存在によってタイの選手たちのメンタリティーなどに変化を感じますか?
石井 当然、変化はあると思います。キャラクターにもよりますが、海外での経験を積極的に継続して国内の選手たちに伝えようとアプローチしてくれる選手もいると思いますから。ただ、その部分は必ずしも日本やヨーロッパでプレーした経験がなくても、プロサッカー選手としての考え方やメンタル的な部分を変えられた方がいい。私もそういうところを手助けしたり、何かを伝えて行ければと思っています。
――もともとタイの選手は気質的に内弁慶であまり海外志向がないとも言われてきましたが、最近の選手たちはその面でも変化があるでしょうか。
石井 私もそういう気質があると聞いていましたけど、チャナティップ(元札幌/元川崎F)、ティーラトン(元神戸/元横浜FM)、ティーラシン・デーンダー(元広島/元清水)、スパチョーク(札幌)、エカニット・パンヤ(浦和)など、多くのタイ人選手たちが日本でプレーしたことで、今はJリーグをはじめ海外のリーグに目を向ける選手は確実に増えていると思います。若い選手たちも年上の選手にも遠慮しないで何かを要求したり、監督・コーチにも話をしたりということが以前よりも多くなっている。タイの選手たちのメンタリティは少しずつ変わってきていると感じています。
――ブリーラム・Uで監督と選手の関係だったスパチョーク選手の弟、FWスパナット・ムエンター選手は、今季からベルギーでプレーしています。以前、ブリーラム・Uでチームメイトだった細貝萌選手も早くから「彼はヨーロッパでできるポテンシャルがある」と高く評価していましたが、石井監督は彼をどう見ていましたか?
石井 彼は今、私が鹿島の監督時代に一緒にやっていた三竿健斗と同じチーム(OHルーヴェン)でプレーしていますよね。若いですけどフィジカル的にも強いですし、技術的にも高い選手だったので、ブリーラムの時は本当に頼りになる選手でした。そういう選手が直接ヨーロッパに行ったとなれば、他の選手にも刺激になると思いますし、実際、タイにはそういう可能性のある若い選手が他にもいます。そういった選手たちをしっかりと各クラブで育てて、まずは多くの選手たちが一番近い日本のJリーグにどんどん行ってほしいと思っています。
――今後、タイのサッカーがさらなる発展を遂げるにはどういった要素が必要だと思いますか?
石井 多くの選手が向上心を持って海外に挑戦することももちろん必要ですが、日本サッカーがそうだったように、やはり育成の部分の強化。指導者の育成も含めて、そこは継続的にやっていかなければいけないと思います。タイサッカー協会が引っ張るのか、タイリーグが引っ張るのかはわかりませんが、各クラブの考え方も含めて改善していかなければいけない部分があるように思います。
――タイから見た日本サッカーや日本代表は、どのような存在でしょうか。
石井 私がタイ代表を率いる上でも、今の日本代表は見本にしなければいけない存在だと思っています。本当に今の日本代表はアジアNo.1は当然ですし、もう世界の強豪国のひとつになってきているんじゃないかと思います。すぐにそこまでとは言いませんが、タイ代表もそこに近づいていかなければいけませんし、選手たちにその力はあると思っています。
■アジアカップはチャレンジする大会に
――まもなく開幕するアジアカップは、タイ代表監督として臨む最初の大きな大会です。タイはグループFでサウジアラビア代表、オマーン代表、キルギス代表との対戦になりますが、どんな戦いをしたいと考えていますか?
石井 サウジアラビア、オマーン、キルギス、3チームともFIFAランキングはタイよりも上ですし、簡単な試合ではないことはわかっています。でも、すごく差があるかと言えば、それほど大きな差があるとは思っていません。自分たちのやるべきことをはっきりとさせ、思いっきり戦っていく、チャレンジしていく大会にしたいと思っています。
――アジアカップに臨むタイ代表メンバーはどういった基準で選びましたか?
石井 一番大きな基準は、やはりチームの勝利のためにしっかりと自分の能力を出せること。自分のエゴとかではなくて、チームのために戦えるということが一番重要だと考えています。今回はケガなどで招集できていない選手もいますが、アジアカップのあとにはワールドカップ予選もありますから、私の基準はこうだよというのは伝えていきたいと思っています。
――ワールドカップは次回大会からアジア枠が拡大し、タイにとっても本戦出場のチャンスが膨らみました。悲願のワールドカップ初出場の可能性についてはどのように考えていますか?
石井 現在、タイのFIFAランキングはアジア内で21位ですから、ワールドカップ出場の8枠に入るのは簡単なことではないと思います。でも、そこに向けた準備をすれば近づいていきますし、それを始めなければいけません。タイサッカー協会もタイリーグも、どれだけの準備をしているのか、代表監督としてはまだ関わって間もないので、はっきりと見えてきていないところもありますが、私の方からもそこをどんどん動かしていければと思っています。
――実際、前々回大会ではタイはアジア最終予選まで進んでいますし、しっかりと準備をしていけば十分にワールドカップを狙えるポテンシャルはあるのではないでしょうか。
石井 そう思います。そのポテンシャルはありますが、そこまで持って行くには課題も多いと思っています。ポテンシャルはあっても、今までのやり方ではワールドカップに行けなかったわけですから、マインドのところも含めて変えていく必要はあります。協会、選手、我々スタッフも含めて、タイサッカー界全体が本気でそこに向かえるのかというところが一番重要じゃないかと思います。