冬の移籍市場で移籍した選手たち [写真]=Getty Images
冬の移籍市場が幕を開けてから13日目を迎えた。ニューカッスルはアトレティコ・マドリードからイングランド代表DFキーラン・トリッピアーを完全移籍で獲得。アストン・ヴィラはバルセロナからブラジル代表MFフィリペ・コウチーニョを期限付きで獲得した。
残留、あるいはタイトル獲得に向けて、即戦力として期待されることが多い冬の補強選手。しかし、シーズン途中に移籍をして、新チームで結果を出すのは並大抵のことではない。近年ではリヴァプールのオランダ代表DFフィルジル・ファン・ダイクやマンチェスター・Uのポルトガル代表MFブルーノ・フェルナンデス等が成功例の筆頭として挙げられるが、本領を発揮できないままチームを去った選手も少なくない。
イギリスメディア『ミラー』はプレミアリーグのクラブが冬の移籍市場で獲得した選手の中から、歴代ワーストイレブンを選出。チェルシーからは3選手が選ばれている。
※カッコ内は(冬の移籍をした年/移籍先)
※日本円は1月10日時点のレートで換算
[写真]=Getty Images
▼GKマーク・ボスニッチ(2001年/チェルシー)
ワーストGKに選ばれたのは、コカインが理由でチェルシーから解雇されたマーク・ボスニッチだ。マンチェスター・Uでは元フランス代表GKファビアン・バルテズの加入により居場所を失い、2001年1月にライバルであるチェルシーへ移籍した元オーストラリア代表GK。しかし新天地でも出場機会は訪れず、2000-01シーズンは公式戦で一度もピッチに立つことがないまま終了。
翌シーズンもカルロ・クディチーニ、エト・デ・フーイに次ぐ第3GK扱いで、カップ戦を含めても7試合しかゴールを守ることはできなかった。2002年9月に薬物検査で陽性となり、クラブを解雇されたボスニッチ。5年以上のブレイクを経て母国オーストラリアでプレーをした後、2010年に現役を引退している。
▼DFアラン・ハットン(2008年/トッテナム)
本人が望んだ移籍ではなかったそうだ。14年前の1月、レンジャーズはクラブ史上最高額となる900万ポンド(約14億円)の移籍金で生え抜きのアラン・ハットンをトッテナムに放出。元スコットランド代表の右サイドバックは、すぐにファンデ・ラモス当時監督の下でレギュラーの座を獲得し、リーグ・カップのトロフィーも手に入れた。しかし翌シーズンは負傷で出遅れ、ヴェドラン・チョルルカとのポジション争いに敗れたハットン。2009-10シーズンの後半はサンダーランドにローン移籍。2011年夏にアストン・ヴィラに移籍するまでに、トッテナムではリーグ戦51試合しか出場することができなかった。
今月4日に掲載されたイギリス紙『スコティッシュ・サン』のインタビューで、トッテナムへの移籍には乗り気ではなかったことを明らかにしたハットン。「ユースから所属していたレンジャーズでプレーを続けること」が望みだったと語り、トッテナムからの誘いを「3回か4回」も拒絶したという裏事情を明かしている。
▼DFクリストファー・サンバ(2013年/QPR)
高額な移籍金とサラリーを納得させる活躍はできなかった。2013年1月31日、プレミアリーグの最下位に低迷していたQPRは、1250万ポンド(約20億円)を費やしてロシアのアンジ・マハチカラからDFクリストファー・サンバを獲得。4年半契約で、ボーナス等を含めた週給は、約10万ポンド(約1570万円)と伝えられた。2007年から5年に渡ってブラックバーンの中心選手だった経験豊富なDFの加入を手放しで喜んだ当時監督のハリー・レドナップ氏。「信じられない補強だ。彼は空中戦に強く、スピードがあり、リーダーで、どちらのボックスでも強さを発揮する。素晴らしいセンターバックだ」と語り、残留請負人として期待を寄せた。
しかしサンバの加入後もQPRの調子は上がらず、降格の危機に直面したサポーターの不満は、高所得者にぶつけられた。サンバ自身もそんな状況にうんざりしていたようだ。2失点に絡んで敗れた2013年4月のフラム戦後、自らの不甲斐ないプレーをツイッターで謝罪した一方で、「お金に関するツイートには飽き飽きだ。10万ポンドのプレーを教えてくれよ」と胸の内を吐き出したサンバ。最終的にQPRは最下位で2部に降格。サンバは加入から半年でロシアに戻っている。
▼ウェイン・ブリッジ(2009年/マンチェスター・C)
出場機会を求めてチェルシーを離れた元イングランド代表の左サイドバック。しかし度重なる負傷が原因で、本領を発揮することが出来ないままマンチェスター・Cを後にした。サウサンプトンからチェルシーに加わった2003-04シーズンはリーグ戦で33試合にスタメン出場。しかし翌年、ジョゼ・モウリーニョ氏が就任すると、レギュラーの座を失った。
2009年1月に週給9万ポンド(約1400万円)の好条件でマンチェスター・Cに移籍。マーク・ヒューズ当時監督はそのシーズン、リーグ戦18試合中16試合でブリッジをスタメンに抜擢した。しかし2009-10シーズンは負傷で欠場が増えたことに加え、当時の恋人が、チェルシー時代のチームメイト、ジョン・テリーと浮気をしていたことが発覚。その後のプレーに精彩を欠いたブリッジは、3度のローン移籍の末、2013年にチャンピオンシップのレディングに移籍している。
▼フアン・クアドラード(2015年/チェルシー)
2014-15シーズン冬の移籍市場の最終日だった2015年2月2日。アンドレ・シュールレを2200万ポンド(約35億円)でヴォルフスブルクに放出したチェルシーは、直後にフィオレンティーナから2330万ポンド(約37億円)でフアン・クアドラードを獲得。その数時間後、モハメド・サラーをフィオレンティーナにローンで放出することを発表した。
当時監督のモウリーニョ氏は、シュールレの退団を惜しみながらも、一連のビジネスには「満足」という評価を下した。同シーズン中にクアドラードは公式戦で14試合に出場。チームはプレミアリーグとリーグ・カップの2冠を達成しており、ビジネスとしては失敗ではなかったのかもしれない。しかしクアドラードはプレミアリーグに馴染む間もなく、同年夏にユヴェントスにローン移籍。翌シーズンもユヴェントスでプレーを続け、2017年に完全移籍。現在もレギュラーとしてプレーを続けている。不完全燃焼に終わったチェルシー時代を振り返る暇はなさそうだ。
▼MFジャン・マクーン(2011年/アストン・ヴィラ)
移籍を決めた当時の監督が、シーズン途中にチームを離れたのは不運だった。2009-10シーズンにはリヨンのチャンピオンズリーグ(CL)ベスト4入りに貢献し、2010年ワールドカップ初戦では日本代表とも対戦した元カメルーン代表MFジャン・マクーン。2011年1月にジェラール・ウリエ氏が率いていたアストン・ヴィラに加入。順調に出場試合数を重ねていたが、ウリエ氏は体調不良で同年4月にチームを離脱。ガリー・マカリスター氏が暫定的に指揮を執った残りシーズン、マクーンはベンチにさえ入れない日々が続いた。
翌シーズンはギリシャのオリンピアスにシーズンローンに出されたマクーン。その翌年もポール・ランパード当時監督から構想外を言い渡されて、レンヌにローンで加わり、そのまま同クラブに完全移籍。イングランドではインパクトを残すことができなかった。
▼ジミー・ブラード(2009年/ハル・シティ)
プレミア史に残る“ゴール・セレブレーション”を披露したジミー・ブラードがMFの一枠を埋めた。2009年1月にフラムからハル・シティに移籍も、デビュー戦でひざの十字靱帯を断裂。手術を擁し、復帰は翌シーズンまで持ち越された。
2009年11月に一躍時の人となったブラード。アウェイでのマンチェスター・C戦で勝ち点1につながるPKを決めると、チームメイトをピッチに座らせ、“説教”をするジェスチャーを披露。これは前年度の同対戦で、4点ビハインドでハーフタイムを迎えたチームに対し、監督のフィル・ブラウン氏が行った“公開説教”を真似したもの。ブラウン氏もブラードのユーモアのセンスに賛辞を贈った。しかしその年のハルは19位に終わって2部に降格。2011年のプレシーズンで規定違反を犯したブラードは、同年8月にクラブとの契約を解除した。
▼サヴィオ・ヌセレコ(2009年/ウェストハム)
「ギャンブルではない」。2009年1月にセリエBのブレシアから19歳のサヴィオ・ヌセレコを獲得した際、当時監督のジャンフランコ・ゾラ氏は力強く断言した。ただ、将来を見据えた補強であり、辛抱強く見守る必要があると強調。期待を込めて、クレイグ・ベラミーがマンチェスター・Cに移籍して空いたばかりの背番号「10」を将来のスター候補に託した。
しかしチームになかなか馴染むことができなかったヌセレコは、同年8月にフィオレンティーナに完全移籍。プレミアリーグでは10試合に出場したが、先発でのプレーは1試合だけに終わった。ウェストハム史上屈指のワースト補強として、名前を挙げられることも少なくないようだ。
▼FWフェルナンド・トーレス(2011年/チェルシー)
リヴァプールではエースとしてサポーターから愛されたフェルナンド・トーレスだったが、ロンドンでは最後まで輝きを放つことができなかった。2010-11シーズン冬の移籍市場最終日、リヴァプールからライバルのチェルシーへ当時の英国記録となった5000万ポンド(約79億円)で加わったF・トーレス。しかしミランにローン移籍するまでの3年半で、プレミアリーグでは110試合に出場して20得点しか決めることができなかった。ほぼ同期間プレーをしたリヴァプールでは、102試合で65得点を決めた実力を踏まえれば、“失敗”の烙印が押されるのは致し方ないだろう。
高額な移籍金を正当化することができないまま、2014年夏にイタリアへ渡ったF・トーレス。その後は古巣アトレティコ・マドリードに加わり、サガン鳥栖で現役を引退。再びイングランドでプレーをすることはなかった。
▼アンディ・キャロル(2011年/リヴァプール)
F・トーレスを5000万ポンドでチェルシーに放出した2011年1月31日。リヴァプールはアヤックスからルイス・スアレスを2270万ポンド(約36億円)で、ニューカッスルからアンディ・キャロルを3500万ポンド(約55億円)で獲得した。前者は移籍金を補って余りある功績を残したのは説明するまでもない。対照的に後者はイングランド人史上最高額となった移籍金を証明することに失敗した。
ニューカッスルが生んだスーパースターは、アンフィールドでの1年目は公式戦9試合で2得点と低調なスタート。翌シーズンは47試合で9得点だが、リーグではわずか4ゴールしか記録することができなかった。2012年夏に就任したブレンダン・ロジャーズ氏の構想外となり、ウェストハムに放出されたキャロル。現在はチャンピオンシップのレディングでプレーをしている。
▼FWアレクシス・サンチェス(2018年/マンチェスター・U)
ワーストイレブンのトリを飾るのは、チリ代表FWアレクシス・サンチェスだ。2018年1月にヘンリク・ムヒタリアンとトレードの形でアーセナルから加入。ロンドンのクラブでは3年半で公式戦80ゴールを決めたが、マンチェスターではゴールが遠かった。
加入直後は出場機会にも恵まれ、9試合連続で先発出場。しかし翌シーズンはコンディションに問題がなくてもスタメンから外される試合が増加した。指揮官がモウリーニョ氏からオーレ・グンナー・スールシャール前監督に交代した後も状況は変わらず。マンチェスター・Uでの公式戦は45試合に出場して5ゴールという成績でインテルに移籍した。アーセナルから獲得した際に移籍金は発生しなかったが、およそ50万ポンド(約7860万円)とも報じられた週給はワーストイレブン入りの理由になるだろう。
(記事/Footmedia)
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By Footmedia