また1人、サッカー界のレジェンドがスパイクを脱ぐ決断を下した。
元スペイン代表FWラウール・ゴンサレスが15日、現役引退を表明。現所属クラブであるアメリカのNASL(北米サッカーリーグ、アメリカ2部相当)ニューヨーク・コスモスのシーズンが終了する11月限りで、選手生活にピリオドを打つと宣言した。
現在38歳のラウールがプロデビューを果たしたのは、今から21年前のこと。レアル・マドリード在籍当時の1994年10月29日、敵地でのサラゴサ戦で初めてリーガ・エスパニョーラのピッチに立った。以来、21年間に及ぶキャリアで積み上げた記録は、「圧巻」の一言である。代表戦を含めて、通算の公式戦出場数は1059試合を数え、その間に462ゴールをマーク。獲得したタイトルは、22に及ぶ(注:個人タイトルは除く)。
もっとも、ラウールの偉大さは、記録に残らない部分にこそ存在している。ピッチに立てば、ゴールを狙うのはもちろん、前線からのチェイシングや楔のパスの引き出す動きなど、常に足を動かしてチームのためにプレーする。その献身的な姿は、ジネディーヌ・ジダン、ロナウド、ロベルト・カルロス、ルイス・フィーゴらが在籍した“銀河系軍団”で、特に異彩を放っていた。
自分の立場でどうであれ、誰よりも汗をかき、誰よりもファイトする“働き者”。そんなラウールに、多くのファンが心を奪われたのはもちろんのこと、同業者からも多くの賛辞が送られた。
「ラウールは飾らない人柄で、常にチームのためにプレーし、決して自分優先になることがない。だから好きなんだ」
そう語ったのは、2002-03シーズンのチャンピオンズリーグ準決勝で、当時ラウールが在籍するレアルと対戦したユヴェントスMFパヴェル・ネドヴェドである。また、シャルケで2年間にわたってチームメイトだった日本代表DF内田篤人も、「献身的で守備もしてくれるが、それでいて点も取る。ああいう選手がいると後ろが楽」とラウールの存在価値を語ったことがある。
一方で、ラウールは非常に紳士的な選手としても有名だった。実際、長きにわたるプロキャリアで、1度も退場したことがない。レアルには「常に紳士たれ!」という哲学があるが、ドイツ、カタール、アメリカと続いた海外生活でも、そのポリシーに反するような振る舞いをしたことがなかった。それゆえ、ドイツでは、ファンから「セニョール・ラウール」と呼ばれ、シャルケ退団時には、背番号7が一時的に永久欠番とされたほどだった。
そんなプロの鑑であったラウールだが、順風満帆なキャリアを歩んできたわけではない。2010年のレアル退団時には、一切のセレモニーが開かれず、フロレンティーノ・ペレス会長による短い賛辞が捧げられただけだった。今もなお、クラブの歴代最多出場記録を保持する者にしては、寂しすぎるお別れだったと言える。
またスペイン代表での最後も、実に呆気ないものだった。2006年9月、ユーロ2008予選の北アイルランド戦での出場を最後に、2度と招集されることがなかったのだ。故ルイス・アラゴネス監督のこの決断は、明確な理由がなかったために、彼を招集すべきか否かという“ラウール論争”を巻き起こすことになる。だが、スペイン代表はユーロ2008の本大会で44年ぶりの国際大会優勝を達成。以降、黄金時代を謳歌するスペイン国内で、ラウール待望論が聞かれることはなかった。それまで代表のエースの看板を背負ってきたラウールにとっては、皮肉としか言いようがないだろう。
17歳で華々しいプロデビューを果たして以降、数々の栄光を勝ち取ってきたレアル時代に比べれば、晩年はやや尻すぼみの感は否めない。それでも、その輝きが失われることはないはずだ。山あり谷ありのキャリアであったからこそ、そのカリスマ性はより際立ち、伝説の選手となったのだから。
「お静かに。レジェンドが立ち去るぞ」
ラウールの引退発表翌日、スペイン紙『マルカ』は一面にそう見出しをつけた。その横には、1999年10月、カンプ・ノウのクラシコで得点を決めた後で、スタンドの大観衆に向かって口に人差し指を当てて「静かにしろ」というメッセージを込めたラウールの有名なポーズがある。
派手さはなくとも、どこか気品を漂わせるサッカー選手であったラウール。静かに、しかし確かな足跡を残していくその去り際も、まさに彼らしいものだった。
(記事/Footmedia)