残留に向かっているというアトレティコのエース・グリーズマン [写真]=Getty Images
アトレティコ・マドリードが、2シーズン連続でチャンピオンズリーグ(CL)準決勝進出を果たした。リーガ・エスパニョーラでも序盤は思うように勝点を積み重ねられずにいたが、気づけば、32節終了時点でレアル・マドリードとバルセロナに続く3位にいる。
2011年12月にディエゴ・シメオネが監督に就任してから、アトレティコ・マドリードは変わった。2012年にヨーロッパリーグ、2013年にコパ・デル・レイ、2013-2014シーズンにリーガを制覇した。そして2014年と2016年にはCLのファイナリストになった。宿敵レアル・マドリードの本拠地サンティアゴ・ベルナベウで、現在4試合連続で負けがない。スペイン紙『マルカ』によれば、4試合連続負けなしは1967年から1969年以来だという。欧州を代表する強豪クラブの1つとなった。
シメオネ監督がベンチに座るようになり、ロス・コルチョネロス(アトレティコ・サポーターの愛称)の謳歌は始まった。今はアルゼンチン人指揮官在任の間だけの甘美なのか。約17年前のバレンシアに訪れたような時期なのか。それともアトレティコ・マドリードはこのままレアル・マドリードやバルセロナのように国内でも欧州でも毎シーズン上位に位置する真の強豪クラブへと変貌するのか。
アントワーヌ・グリーズマンの去就報道は、ここ数年でクラブの環境、立場が変わったことを思わせる。フランス代表ストライカーにはマンチェスター・U、チェルシー、マンチェスター・Cのプレミア勢や国内のライバル、レアル・マドリードとバルセロナから関心が寄せられているという。どの名前もアトレティコ・マドリードよりも予算が多い。
アトレティコ・マドリードは近年、エースであろうが、主軸であろうが、ビッククラブからオファーが届けば、放出せざるを得なかった。ここ10年だけを振り返っても、2007年7月にフェルナンド・トーレスがリヴァプールに移籍し、2011夏にはセルヒオ・アグエロとダビド・デ・ヘアがイングランドへ旅立った。2013年にはラダメル・ファルカオがモナコへ移籍し、翌夏にはジエゴ・コスタがチェルシーに移籍した。同じ年にはレンタルでプレーしていたティボー・クルトワもチェルシーに復帰した。どの選手もその当時の看板選手であり、重要な存在だった。だが、タイトル獲得の可能性が高く、さらに給与が多いビッククラブからのオファーを彼らに断らせることを、アトレティコ・マドリードはできなかった。
2014年夏にレアル・ソシエダから加入し、チームの期待どおり、得点を量産するグリーズマンもこれまでのエース同様に買われてしまうのだろうと思ったが、どうやらフランス人は残留が濃厚のようだ。年俸は1400万ユーロ(約16億円)にアップされ、2023年まで契約を延長するという。欧州中のクラブが欲しがる人気銘柄を、アトレティコ・マドリードはキープしようとしている。
依然としてクラブの年間予算はバルセロナ、レアル・マドリードの約3分の1だが、収益は確実に増えており、スペインでは3番目に予算が多いクラブという地位を確かなものにしている。選手に支払えるサラリーの限度額も増えた。さらに近年の戦績が物語るようにアトレティコ・マドリードは今や、毎シーズン、CL制覇を現実的な目標とできるチームだ。グリーズマンだけではなく、バルセロナが執拗にオファーをしていたコケや欧州のビッククラブが関心を寄せるサウール・ニゲスといった下部組織出身の若い2人のタレントも引き留めている。この事実は、アトレティコ・マドリードが選手にとっても魅力的なクラブへと変貌したことを実証している。
クラブの生え抜きであり、2015年に復帰したトーレスは昨年の地元メディアのインタビューで「今の若い世代はアトレティコ・マドリードは常にタイトルをとれるチームだと思っているが、これは普通のことではない」という趣のコメントをした。1984年生まれのトーレスにとって1995-1996シーズンにリーガとコパ・デル・レイの2冠以外にそれといった結果を残せず、しまいには2000年に2部に降格したのが、彼の青春時代のアトレティコ・マドリードだった。今の常勝軍団とは全く違う。ゆえにトーレスはそうコメントしたのだろうが、「アトレティコ・マドリードは常にタイトルをとれるチーム」という認識が21世紀のロス・コルチョネロスの新たなスタンダードへとなっていくのだろう。
文=座間健司
By 座間健司