3シーズンぶりにCLに復帰したバレンシア。在籍した名選手たちを振り返っていく [写真]=Getty Images
地中海西部に位置する港湾都市、バレンシア。マドリードとバルセロナに次ぐ人口を誇る“スペイン第三の都市”は、港でとれた魚介類をふんだんに使用したパエリアやオレンジなどが有名だ。
だが、欧州サッカーファンは“ロス・チェ(バレンシアの愛称)”を別の意味で記憶にとどめていることだろう。1990年代末期と2000年代前半には、チャンピオンズリーグで二度の準優勝を経験。堅い守備と切れ味鋭いカウンターを武器に、強豪としての地位を確立した。
その後は低迷期を迎え、欧州の舞台から遠ざかることも珍しくなかったが、昨季はリーガ・エスパニョーラを4位で終え、2015-16シーズン以来となるチャンピオンズリーグ出場権を獲得した。そこで今回は、3シーズンぶりにCL復帰を果たしたことを記念して、バレンシアで活躍した選手たちを紹介していこう。
写真=ゲッティ イメージズ
▶サンティアゴ・カニサレス(GK/元スペイン代表)
1998年~2008年
374試合出場
スペイン代表にも名を連ねた金髪のゴールキーパーは、1998年にレアル・マドリードからバレンシアに加入した。1999-2000シーズンと翌2000-01シーズンにはチャンピオンズリーグ決勝の舞台に立ったが、いずれも優勝を逃してしまった。ただ、2001-02シーズンと2003-04シーズンのリーガ、2003-04シーズンのUEFAカップ、2004年のUEFAスーパーカップなどでは優勝に大きく貢献。2000年代前半のバレンシアで多くのタイトルを獲得した。ちなみに、大会直前にアフターシェーブローションの瓶を足に落として負傷し、日韓ワールドカップ出場を逃したのは有名な話だ。
▶ロベルト・アジャラ(DF/元アルゼンチン代表)
2000年~2007年
239試合出場 12ゴール1アシスト
2000年にバレンシアに加入すると、守備陣の中心として活躍した。身長は177センチとセンターバックとしては小柄な部類に入るが、身体能力の高さで体格的なハンデをカバー。圧倒的なジャンプ力で相手の攻撃を跳ね返すだけでなく、セットプレー時は得点源にもなっていた。2000-01シーズンのチャンピオンズリーグ決勝ではバイエルン・ミュンヘンと対戦。PK戦の末に惜敗したが、同大会の最優秀ディフェンダーに選ばれた。闘志を前面に押し出すタイプであるが故にカードをもらうことも少なくなかったが、強烈なキャプテンシーでチームを統率した。
▶アメデオ・カルボーニ(DF/元イタリア代表)
1997年~2006年
308試合出場 1ゴール4アシスト
41歳まで現役としてプレーし続けた“鉄人”。1997年にローマからバレンシアにやってくると、不動の左サイドバックとしてチームに貢献した。無尽蔵のスタミナが特長で、試合終盤にも関わらず猛然とオーバーラップを披露するシーンもしばしば。1999-2000シーズンのチャンピオンズリーグ決勝は出場停止のためピッチに立てなかったが、翌2000-01シーズンの同大会決勝では先発メンバーに名を連ねている。2005年10月23日には、ドナトが保持していたリーガ最高齢出場記録を更新。同僚たちからは親しみを込めて「おじいちゃん」と呼ばれていた。
▶ルベン・バラハ(MF/元スペイン代表)
2000年~2010年
345試合出場 54ゴール12アシスト
2000年夏にフランシスコ・ファリノスやジェラール・ロペスがチームを去り、エクトル・クーペル監督は中盤の核となれる選手を探していた。そして白羽の矢が立ったのが、アトレティコ・マドリードでプレーしていたバラハだった。2000-01シーズンのチャンピオンズリーグでは、準優勝を果たしたチームの原動力として活躍。ミッドフィルダーながら得点力があり、2001-02シーズンはリーグ戦17試合で7得点を挙げて、チーム内得点王になった。このシーズン、バレンシアは31年ぶりにリーガを制している。その後、UEFAカップやUEFAスーパーカップの優勝にも大きく貢献すると、2010年夏の契約満了後に現役引退を発表した。
▶ダビド・アルベルダ(MF/元スペイン代表)
1996年~2013年
470試合出場 9ゴール8アシスト
下部組織出身のハードワーカー。中盤の底でバラハとコンビを組むことが多かった。相手のチャンスをつぶすプレーが持ち味。2001年夏にガイスカ・メンディエタがチームを去りキャプテンに就任すると、“闘将”と呼ぶにふさわしい存在感を見せつけた。2007年末にロナルド・クーマン監督から戦力外通告を受けると、一時はクラブとの関係が悪化。2013年には契約満了にともない、バレンシアを退団した。心のクラブと「円満な別れ」はできなかったが、二度のリーガ制覇やUEFAカップ優勝に大きく寄与したアルベルダの功績が色あせることはないだろう。
▶ガイスカ・メンディエタ(MF/元スペイン代表)
1992年~2001年
245試合出場 46ゴール9アシスト
カステリョンでプロ生活をスタートさせると、1992-93シーズンからバレンシアでプレー。1999-2000シーズンと2000-01シーズンには二季連続でチャンピオンズリーグ決勝でのプレーを経験し、いずれのシーズンも大会最優秀ミッドフィルダーに輝いている。デビュー当時は右サイドバックを主戦場としていたが、バレンシアに来てからクラウディオ・ラニエリ監督によってミッドフィルダーへとコンバートされた。スペイン代表の一員として出場したEURO 2000のユーゴスラビア戦では、90分間で4つのポジションを務めたこともある。また、確実にPKを決めることができる“PK職人”としても知られた。
▶キリ・ゴンサレス
1999年~2003年
131試合出場 14ゴール2アシスト(MF/元アルゼンチン代表)
地元クラブのロサリオ・セントラルで頭角を現すと、1995年には強豪のボカ・ジュニアーズへと移籍。一年間プレーしたのち、スペインのサラゴサに移る。バレンシア加入を果たしたのは1999年の夏。同年にバレンシアの指揮官となったエクトル・クーペルの強い希望により、“ロス・チェ”の一員となった。献身的なプレーが持ち味のミッドフィルダーとして、1990年代末期から2000年代前半にかけてクラブの黄金時代を支えた。ビセンテ・ロドリゲスの台頭によってポジションを失うと、2003年にクーペルが監督に就任したインテルへと移籍していった。寡黙な見た目からは想像がつきにくいが、人を笑わせる事が大好き。
▶ビセンテ・ロドリゲス(MF、WG/元スペイン代表)
2000年~2011年
326試合出場 51ゴール15アシスト
クラブとリーガの歴史に名を残すウインガー。セグンダ・ディビシオン(二部)に属していたレバンテでトップチームデビューを果たすと、2000年夏にバレンシアへと移籍する。当時、左サイドにはアルゼンチン代表のキリ・ゴンサレスが君臨していたが、ポジション争いに見事勝利。切れ味鋭いドリブルで相手を翻弄する姿は、クラブのアイコンの一つとなった。惜しむらくは、度重なる怪我によって、なかなかフルシーズン活躍することができなかったことか。スペイン代表合宿中にカルレス・プジョルとつかみ合いの喧嘩をしたり、ナイトクラブでトラブルを起こしたりと、気性の荒さが垣間見える瞬間も。
▶ダビド・シルバ(MF/元スペイン代表)
2004年~2010年
166試合出場 31ゴール33アシスト
スペイン代表として2018年ロシアワールドカップにも出場した、左利きのテクニシャン。15歳の時にバレンシアの下部組織に加入すると、エイバルやセルタへの移籍を経て、2006年夏に“ロス・チェ”に復帰した。在籍した2004年~2010年はクラブの停滞期だったため、決して多くのタイトルに恵まれたわけではないが、欧州の強豪クラブがこぞって触手を伸ばすほどのプレーを見せていたことはたしかだ。バレンシア復帰時は、チームを去るパブロ・アイマールから背番号21の後継者となることを直接指名されたほど。実際に背番号21を背負い、期待に違わぬ活躍を披露した。
▶フアン・マタ(MF/元スペイン代表)
2007年~2011年
174試合出場 46ゴール52アシスト
オビエドとレアル・マドリードの下部組織に在籍した経験を持つ。バレンシアにやってきたのは2007年の3月。2007-08シーズンには、クラブのコパ・デル・レイ優勝に大きく貢献した。決して足が速いわけでも、身体が強いわけでもないが、パス・ドリブル・シュートの質が非常に高い、能力のバランスが取れた選手である。背番号10を託され、長きにわたってクラブにとどまることをファンから望まれていたが、2011年8月にチェルシーへと去っていった。最終学歴はマドリード工科大学で、身体運動科学とジャーナリズムを専攻。村上春樹の小説を好むなど、インテリジェンスにあふれた一面も併せ持つ。
▶パブロ・アイマール(MF/元アルゼンチン代表)
2001年~2006年
202試合出場 32ゴール21アシスト
最もバレンシアファンに愛された選手の一人かもしれない。母国のリーベル・プレートでプレーした後、2001年1月にバレンシアへと加入。背番号21をつけた、巻き毛が印象的なアルゼンチン人は、繊細なボールタッチと華麗なドリブル、絶妙なパスとゴールで、すぐさまバレンシアニスタの心をつかんだ。ラファエル・ベニテス監督時代は一時的に出場機会を減らしたものの、フォワードの少し後ろを自由自在に動き回るプレーでチームを大いに助け、あらためて自らの存在価値を示した。現役を退いた後は、2017年6月にアルゼンチンU-17代表監督に就任している。
▶ミゲル・アンヘル・アングロ(FW、MF/元スペイン代表)
1996年~2009年
387試合出場 59ゴール11アシスト
キャリアをスタートさせたのはスポルティング・ヒホンの下部組織だったが、1995年夏にバレンシアBへと移る。1998-99シーズンにはクラウディオ・ロペスと2トップを組み、トップチームのレギュラーの座を射止めた。2001-02シーズンと2003-04シーズンには、クラブのリーガ制覇に大きく貢献。クーマン監督から戦力外通告を受けたこともあったが、2009年8月に契約を解除するまで、栄光の背番号10を守り続けた。攻撃的なポジションならどこでもこなせるユーティリティ性が魅力。また、“ロス・チェ”への忠誠心から、一度は決まっていたアーセナルへの移籍を取りやめるなど、熱いハートを感じさせるプレーヤーでもあった。
▶クラウディオ・ロペス(FW、MF/元アルゼンチン代表)
1996年~2000年
146試合出場 52ゴール4アシスト
“ピオホ(「シラミ」「小さい」という意味)”の愛称で親しまれたプレーヤー。1996年夏にバレンシアへと加入すると、シーズンを経るごとにゴール数を伸ばしていく。1996-97シーズンには3得点、1997-98シーズンには12得点、そして1998-99シーズンには21得点を記録。このシーズンにはコパ・デル・レイ優勝にも大きく貢献した。チャンピオンズリーグでも華々しい活躍を見せ、1999-2000シーズンの準々決勝・ラツィオ戦では、ファーストレグで重要なゴールを挙げている。また、バルセロナキラーとしても知られ、15試合で12得点を奪っている。2000年夏、ラツィオに去っていった。
▶ヨン・カリュー(FW/元ノルウェー代表)
2000年~2004年
117試合出場 25ゴール6アシスト
”ハルク”というニックネームを持つノルウェーの巨人。195センチと長身ではあるが、スペースへの走り込みやテクニックを生かしたドリブルも得意。2000年にローゼンボリからバレンシアに加入した。バイエルン・ミュンヘンと対戦した2000-01シーズンのチャンピオンズリーグ決勝では、2トップの一角として先発出場を果たし、PK戦では二番目のキッカーとしてキックを成功させている。加入2年目以降は膝の怪我に苦しみ、リーグ戦の出場機会を減らしたが、チャンピオンズリーグでは印象的な活躍を披露した。2002-03シーズンの2次リーグ最終戦では、アーセナルを相手に2得点を挙げている。
▶ダビド・ビジャ(FW/元スペイン代表)
2005年~2010年
219試合出場 127ゴール22アシスト
スペイン代表歴代最多得点記録を持つ、偉大なフォワード。“エル・グアッヘ(「子ども」「少年」という意味)”が才能を磨いたのは、育成に定評のあるスポルティング・ヒホンの下部組織だった。2000-01シーズンにトップチームデビューを果たすと、2003年夏にサラゴサへと移籍。そして、2005年夏にバレンシアに加入した。このシーズンはリーグ戦で25ゴールを決めるなど、エースとして大車輪の活躍を見せる。2006-07シーズンにはチャンピオンズリーグに初めて出場。グループリーグのローマ戦やシャフタール・ドネツク戦などでネットを揺らすと、決勝トーナメント1回戦のインテル戦でも重要なゴールを決めた。2010年5月にバルセロナへと去るまで、稀代のゴレアドールはバレンシアニスタを熱狂させ続けた。
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