CLでは過去3回スペイン勢同士の決勝戦が繰り広げられてきた [写真]=Getty Images
その自尊心は、折れない。
最近20年の戦績が背景にある。チャンピオンズリーグ(CL)でレアル・マドリードが6度、バルセロナが4度制覇し、最近19大会の内10回はビッグイヤーがスペインに渡っている。ヨーロッパリーグでは最近19大会でセビージャの5度を含め、9度もスペインのクラブがカップを掲げている。そしてクラブレベルの栄華に加え、代表チームのメジャー大会3連覇が加わる。ゆえにスペイン人は胸を張って言う。
「世界最高はリーガ。プレミアリーグも世界最高とはいう。確かに金はあるが、グラウンドではどうだ。欧州の舞台ではダメじゃないか」
今シーズンは両方の欧州大会の決勝がプレミア同士となった。このスペインもなし得なかった史上初めての出来事を前にしても彼らは動じない。
「グアルディオラ、ウナイ・エメリもスペイン人で、ポチェッティーノもアルゼンチン人だが、スペインで指導者ライセンスを取っている。イギリス人はどこにいる?」
西欧のサッカー大国のプライドは揺るがない。ただ、同国のクラブ間での対戦になると別だ。特に欧州王者を決める舞台で隣人と対戦するとなれば、他国に対する自尊心よりも、ライバルへの憎悪が上回る。ただその感情は、日常のリーガにある普遍的なものだ。
1人のストライカーを巡る因縁
1999-00シーズン、CL決勝で史上初めての同国対決はレアル・マドリードとバレンシアだった。バルセロナを準決勝で破ったバレンシアは初めての決勝で、一方のレアル・マドリードは2年前に7度目の欧州制覇を達成していた。そして、バレンシアニスタにとっては、4年前の夏から憎きライバルリストの頂点になったチームだ。発端は、プレドラグ・ミヤトヴィッチの強奪だ。1993年にバレンシアに加入したストライカーは、初年度に16ゴールを決めると、翌シーズンには28ゴールを決め、チームに欠かせない主軸となった。バレンシアは彼の移籍交渉を拒んだが、1996年7月1日に首都のクラブは違約金を払い、選手本人もタイトルを勝ち取りたいとメスタージャに背を向けた。ミヤトヴィッチは1999年夏にレアル・マドリードを去り、2000年の決勝の地、サンドニにはいなかった。当時16歳だった友人のバレンシアニスタは父親と共に現地で決勝を観戦した。
「パリの空港が大混雑して、開始ギリギリにスタジアムに到着したことを何よりも覚えている。レアル・マドリードはそのシーズンは惨めなものでリーガ5位だった。もし、バレンシアが勝てば彼らは翌年のCLに出場できなかったのにね」
欧州の輝かしい歴史をまとうレアル・マドリードは低調なリーガとは全く別の顔を見せ、3-0とバレンシアを寄せつけず、欧州王座を勝ち取った。さらにリーガ4位のサラゴサを差し置いて、前回王者として翌年のCL出場権も獲得した。
翌年、バレンシアはまたもCL決勝まで勝ち進んだ。友人も「次こそは」とミラノに足を運んだが、待っていたのはまたしても悲哀だった。
「レアル・マドリードに負けたことよりも、バイエルン・ミュンヘンとの敗戦の方が胸が痛かった。PKだったし、僕らの方がいいサッカーをしていたから」
マドリディスタが忘れることのできない『92:48』
欧州王座を決するゲームで、同じ街を本拠地とする2チームが対峙したのが、2014年と2016年だった。レアル・マドリードとアトレティコ・マドリードの“マドリード・ダービー”だ。
2014年は同じホームタウンの2チームが史上初めて決勝で戦うということで「サッカーの首都はマドリードだ」と言わんばかりに、最も人が集まるプエル・デ・ソルにある旧郵便局で、現在はマドリード州政府が管轄する巨大な建物に白、そして赤と白と2つのユニフォームの垂れ幕が並べられた。決勝はリスボンで開催されたが、サンティアゴ・ベルナベウ、ビセンテ・カルデロンではパブリックビューイングが行われた。
クラブ史上2度目となるCL決勝で1点リードしていたロス・コルチョネロス(アトレティコサポーターの愛称)はアディショナルタイムに入り、数分後に訪れる初めての欧州王者の歓喜を味わおうとしていた。しかし、セルヒオ・ラモスのヘディングが全てを変えた。『92:48』—―、レアルのセンターバックが同点にした時のスコアボードの数字をマドリディスタが忘れることないだろうし、敗者は忘れたくても忘れらないだろう。ましてや、すぐ隣で歓喜の宴が行われるのだから。結局、アトレティコ・マドリードは延長戦の末に敗れた。
もしも、バルサとレアルがCL決勝で激突したら…
2016年もアトレティコ・マドリードはセルヒオ・ラモスにゴールを許した。ただ、2年前と違い今度は先制点だった。1点を追うアトレティコ・マドリードは、アントワーズ・グリーズマンがPKを失敗しながらも、79分にヤニック・カラスコが同点にした。クラブの象徴であるフェルナンド・トーレスがビッグイヤーを掲げる姿を想像したロス・コルチョネロスも多かっただろうが、憎き隣人にまたしても、夢を打ち砕かれた。延長を経てPK戦で敗れたのだ。最後に決めることができなかったフアンフランよりも、グリーズマンのバーを叩いたPKが皆の脳裏に焼きつくファイナルだった。
スペインの同国対決は、全てレアル・マドリードが勝利した。この3ゲームに共通しているのは、勝者の名前だけではない。バレンシア、アトレティコ・マドリードにはレアル・マドリードに対して最も憎悪を募らせるバルセロニスタが“アンチ”として加勢していたことだ。スペインはレアル・マドリードとバルセロナの2つのビッククラブが牽引し、今後も未来永劫リードし続けるだろう。まだ実現していないが、この2チームが欧州の頂で対戦した時こそ、スペインが本当に2つに割れる時だ。その時は、今のようにスペイン人に自尊心を示す余裕はない。なぜならお気に入りのチームが負ければ、今後一生、その敗戦を言われ続けるからだ。
文=座間健司
By 座間健司