グリーズマンがプーマの新作スパイク発表会で取材に応じてくれた
インタビュー・文=江間慎一郎
アントワーヌ・グリーズマン。2018年ロシア・ワールドカップ(W杯)ではフランス代表の優勝に大きく貢献し、今夏には鳴り物入りでバルセロナに加入と、今や押しも押されぬサッカー界の大スターである。176センチと、サッカー選手としては小柄な方ながら、だからこそ小回りの利くプレーを見せることができ、確かなテクニックとゲームビジョンによってチームの攻撃を活性化し、自らもゴールを陥れる。
グリーズマンは、選手としても人間としても、とても興味深くある。NBAに憧れてレブロン・ジェームズにように自ら紙吹雪を振りまくゴールパフォーマンスを見せたり、髪型にも気を遣っていたりとエンターテインメント色の強い部分もあるが、その反面、とてもナイーブで、涙脆くもある。アトレティコ・マドリード時代、フェルナンド・トーレスから「俺たちはお前を必要としている」と言われてピッチ上で涙を流し、ロシアW杯優勝の直後には喜びで顔をぐしゃぐしゃにしていた。その二つの側面が、彼という選手をもっと魅力的にしている。
そうした二つの側面は、どのようにして形づくられたのか―――それは人間が様々な要因によってその人格を形成していくように、一概に言えることではない。だがグリーズマンは、子供の頃から挫折を経験し、様々な犠牲を払い、それでもサッカーを楽しむことを忘れることなく、今の地位までたどり着いた。そうした苦労と喜びを重ねていった道程が、今の彼の人物像に反映されていることは間違いない。
■フランスのクラブから拒絶された少年時代
グリーズマンは幼少の頃からサッカーの才能に恵まれていた。しかし、自らの努力でどうしようもなかったのが、体格だ。彼は10代の前半、憧れだったリヨンを含めて、フランスの複数のクラブの入団テストを受けたが、すべてのクラブが獲得に難色を示した。グリーズマンは当時、サッカーをやめることさえ頭に浮かんだという。
「正直、難しかった。入団テストでどれだけ頑張っても、どのクラブも返答は同じなんだ。『体があまりにも小さいから、もう少し時間を置きたい』。決まって、そう言われるんだよ。プロのサッカー選手になる夢を持っていた僕にとっては、プロクラブに入団すれば、より多くのことをより速く学べると考えていた。そうした焦りは入団テストで断られる度に強くなっていって……『もうフットボールをやめた方がいいんじゃないか』とさえ考えるようになった」
そして13歳の頃、グリーズマンはサッカーをプレーし続ける動機を見出す。スペインのバスク地方にあるレアル・ソシエダから声をかけられた。以降、彼はスペインを第二の母国として、そのキャリアを進めていくことになる。
「13歳のときにラ・レアル(レアル・ソシエダ)から声をかけられて、その下部組織でプレーできることになった。それからずっと、クラブレベルではスペインでプレーすることになったね。それは僕がフランスで生まれて、スペインの養子になったということを意味する。結局、僕の体はそこまで大きくなることはなかったけど、それでも実力があれば通用すると、ここスペインで証明することができた」
だがしかし、成功を収めるまで、レアル・ソシエダのトップチームでデビューを果たすまでの道程は、もちろん簡単なものではなかった。彼は夢を叶えるために、親元を離れて挑戦に臨むことになったのだから。その挑戦には涙が付き物だった。「ラ・レアル入団から数年は、とても辛かった。バケーションが終わり、スペインに戻る時にはいつも泣いていたんだ」。それでもボールを蹴れば、悲しみの涙は乾いた。彼は知っていたのだ。どのように過ごせば、自分の夢を叶えることはできるかを。
「何よりも大事なのは、サッカーを楽しむことにほかならない。ピッチの上で、サッカーをプレーしていて幸せだって思えなきゃ、どんな進歩だって果たせはしないんだから。ピッチでも、ストリートで友達とプレーするように楽しむ。それが自分のプレーを磨く上で必要不可欠だ。あとは頭でっかちになるんじゃなくて、人から言われることにしっかりと耳を傾けることだって大切だ。とにかく、まずはサッカーを楽しまないと。自分の場合もサッカーを楽しむことができたから、今いる場所にまでたどり着けたんだよ」
■アトレティコ、バルセロナへの移籍
レアル・ソシエダのトップチームでデビューを果たしたのは、下部組織に加入してから5年後の2009年。当時2部に所属していたクラブの1部復帰に貢献した一人となり、そこからは飛ぶ鳥を落とす勢いで、リーガを代表する選手の一人となった。それからもう5年を経ると、スペインのビッグクラブの一つ、アトレティコ・マドリードへの扉が開く。ディエゴ・シメオネ監督のもとでは守備の重要性を学んだ。
「アトレティコ加入後、守備をすることに慣れるまで数カ月を要することになった。今じゃフランス代表でも、そこまで守備する必要がないって言われるほど体に染み込んでいる。シメオネはどう守るべきかを教えてくれた。今の僕は守備のために走ることも好きになったし、彼にはこれからも、ずっと感謝し続けるだろう」
シメオネ監督のもとでクラブの格をみるみる上げていったアトレティコで、グリーズマンも選手としての格を上げていった。アトレティコのエースの座を射止め、フランス代表でも中核の一人に。シメオネ監督は彼のことを「私にとっては世界最高の選手」と言うに至った。そしてアトレティコ加入から5年が経過した2019年、グリーズマンはさらなる高みを目指すべく、バルセロナで新たな挑戦に臨むことを決断。辛いこともありながら、それでも楽しみ、努力を重ねてきた道程には、まだまだ先がある。
「目指しているのはリーガ、チャンピオンズリーグ、コパ・デル・レイ、EURO、次のワールドカップで優勝すること。つまりは、全部を勝ち取りたい。その次にはMLS(メジャー・リーグ・サッカー)に挑戦したいと思っている。みんなが知っての通り、僕はNBAに首ったけで、アメリカが大好きだから。もちろん、そこでも成功をつかめたらいい」
■グリーズマンの相棒
そんなグリーズマンに長年寄り添ってきたのが、プーマのスパイクである。
相棒とも呼べる存在について「プーマは彼らの製品を改善していこうと努力を重ねている。もう、何年もプーマのスパイクを使わせてもらっているけど、ここまでの進化には驚きを隠せない。本当、プーマのスパイクを履くことで、自分の望むような、もしくはそれ以上のプレーを見せられるんじゃないかって期待感が膨らむんだ」と絶大な信頼を置いている。そして、ここ最近に使用し始めた『PUMA FUTURE 5.1』については「完璧」とさえ形容した。
「以前のスパイクよりも間違いなく良くなっているね。前から使っていたような感覚もあるんだけど、もっと軽くなっていて、もっと快適にプレーできているという実感がある。サッカー選手は自分がどういった選手であるかを見失うことなく、そこからさらなる進化を果たすことを、もっと遠くまで到達することを求めている。新しい『FUTURE』は、そうした考え方にぴったり当てはまる進化を果たしたんだ。こうしたスパイクがあれば、ゴールという一番大事な成果も、しっかり手にできると思うね」
「もう長い間プーマのスパイクを使用してきたけど、どんどん良くなっている。『FUTURE』は使い始めてまだ数年だけど、とても軽くて、バージョンを重ねる毎にどんどん軽くなっているんだ。自分のボールタッチにはアジリティーが欠かせないし、その点で新しい『FUTURE』は僕のプレースタイルに完全にマッチしている。完璧だと言えるね」
プレーで、パフォーマンスで、あふれ出る涙で魅せるグリーズマンは、これからもプーマのスパイクとともに走り続ける。