プーマのイベントでインタビューに応えてくれたスアレス
インタビュー・文=江間慎一郎
ハーフウェーラインのあたりを歩く、徐々に歩を早める、味方のプレーと目を見る、一気に走り出す、相手選手のマークを外す、最終ラインを突破する。ゴールを決める、決める、そして決める―――。鬼気迫る表情で、右足を振り抜き終わった後のモーションは、体の可動域の限界でシュートを放ったと印象付ける。彼こそ現代サッカーにおける最高峰のストライカーであることを。
「少し無理な体勢であっても、決まる確率の高いシュートを打ちたいと思ってる。これまでの経験に由来する直感から、そうやってボールを叩くんだ」
目の前でそう語る彼は、ピッチ上の野性味あふれる姿とはまた異なる。質問のときだけ取材者の目を見て、その内容を受け止めると、まるで自分自身に言い聞かせる言葉を紡いでいく。そして「経験」があってこそ働く「直感」という言葉には、彼が歩んできた道程を思い起こさせる。ウルグアイ代表、バルセロナ所属FWルイス・アルベルト・スアレスは、一歩一歩を踏みしめながら、ここまでたどり着いたのだ。
■フットボールに捧げた幼少期と大切にした気持ち
スアレスがフットボールで経験してきたこと、その原初の風景は決して華やかなものではなかった。ウルグアイ西部の都市サルトで生を受けた彼は、ウルグアイではそこまで珍しくはない、生活に困窮する家族のもとで育った。小学校では落ち着かず、勉強が苦手で、卓上で注ぐべき情熱はフットボールに費やされることになった。
「フットボールで何かを成し遂げてやろうと必死だった。選手として成長することを、ただひたすらに考えていたんだよ。ウルグアイでは、フットボールで成功をつかむことは難しい。自分の家も貧しかったし、遠くまでたどり着くために万全な環境にあったとは言い難かった。でも、そんな環境であっても、やるべきことはたった一つしかなかった。つまりは、己の100%をフットボールのために捧げることだ」
7歳でウレタというクラブに入団したスアレスは、ただただフットボールに打ち込んだ。経済的ハンデだって、ものともせず。一番最初の代理人の話によれば、彼は12歳の頃でも自分のスパイクを持っていなかったために借り物を履いてプレーし、支給される交通費も節約のために使わずに、徒歩で練習場に通っていたという。そうした日々の中で大切にしていたことは、アドバイスをしっかりと聞くことだった。
「プロサッカー選手を目指す少年でもプロサッカー選手でも、自分にアドバイスをしてくれる人物には耳を傾けるべきだ。現代サッカーでは、若くしてプロのトップチームに到達する選手たちがたくさんいる。めまいがするようなスピードで物事が進むようになってしまったけれど、それでもそばにいる人たちの意見をしっかりと聞かなければならない。自分も振り返ってみれば、色々な人のアドバイスを血肉としているんだ。自分がうまくプレーできないときに振り返るのは、いつだってそうしたアドバイスなんだ」
■何度もやめようと思った。でもやめなかった
スアレスは14歳でウルグアイの名門ナシオナルに加わり2005-06シーズンにトップチームデビュー。同シーズンには27試合で10得点を記録した。そして2006年、フローニンゲンに移籍することで欧州上陸を果たすと、その後もゴールを決めることを止めないどころか量産のペースは加速した。ゴールの記録をもってして名声を大きくしていく男は、アヤックス(2007~10年)、リヴァプール(2011~14年)、そして2014年にバルセロナ移籍と、フットボール界の階段を登りつめていった。ただスアレス本人は、ここまでの道程が決して平坦ではなかったと説く。フットボールを投げ出してしまおうと思ったことすら、何度となくあったという。
「もちろん、やめてしまおうと思ったことは何度もあった。僕たちがエリートで、簡単にここまでたどり着いたと思われがちだけど、実際はそうじゃない。本当、何が難しかったって言われれば、すべてが難しかった。自分の力を素直に発揮すればいいなんて言うけど、そんなに簡単でもないんだ。力を発揮するためにはインテリジェンスだって必要で、どうすればゴールを決められるのかを考え抜いて、ようやく自分の力を発揮できる。才能があるって言うのは簡単だけど、子供の頃から、そんな努力の繰り返しだった。自信を持つためには、力強く歩き続けるためには、ほかの選手よりも努力を振り絞る必要がある」
スアレスは、さらなる未来へと歩を進めていく。過去のすべてを経験として、糧として。今、その歩を進める原動力は、楽しむことと相変わらずの努力である。「今は憧れていたバルセロナでプレーし続けられている。ただ、未来がどうなるのかは誰も知ることがない。とにかく今、このときを楽しめればいい。メッシたちとプレーできる今を噛み締めながら、ね。とにかく、努力しながら、楽しみながら日々を過ごしていく。そうできれば未来に歩むべき道は、自ずと決まっていくはずだ」。では間近に迫った未来、ウルグアイ代表としての東京オリンピックの出場は、視野に入っているのだろうか。答えは、明確だった。
「ぜひ出場したい。素晴らしい挑戦になるんじゃないかな。グループリーグで敗れた2012年のロンドン五輪は、自分にとって辛い思い出として残っている。きっと、もっといい成績を収められたはずなのにと、今も振り返るよ。出場できるなら、喜んでプレーするね」
■スアレスの現在を支える相棒
かつては借り物のスパイクを履いてプレーしていたスアレス。今、履いているのは、契約するプーマから支給される自分のためのスパイクだ。ウルグアイ代表FWは、同ブランドのスパイクに大きな信頼を寄せている。
「サッカー選手にとって、足の感覚というのは本当に大事なんだ。履いているスパイクが快適かどうかは、嫌でも気になってしまうことだし、そこまでこだわってこそ本当のプロなんだと思う。プーマのスパイクは、そういった点で問題は何も感じない」
そして現在使用している新たな『FUTURE』には、太鼓判を押す。文句のつけようがないくらいのフィット感を覚えているようだ。
「使っている素材が素晴らしいし、かかとの部分はそこまで硬くない。そこが、とても快適だと感じることにつながっている。よく使われる『違いを生み出す』って表現がしっくりくる感じで、ほかのスパイクと一線を画しているよ。本音を言えば、新しいスパイクを使用した最初の練習や最初の試合で、完全に違和感を覚えないでプレーできるかというと……けっこう難しいんだ。でも今回は、意地悪で不満を言おうと思っても、言うことができない。最初の練習からフィットしてたから」
今日もスアレスは抜群のタイミングで最終ラインを突破して、ゴールを決める。経験に裏打ちされた直感で、また決める。プーマのスパイクとともに躍動する。