移籍からデビューまで時間を要した選手たち [写真]=Getty Images
11月28日に行われたリーグ・アン第15節でパリ・サンジェルマン(PSG)は敵地でサンテティエンヌと対戦し、3-1の勝利を収めた。スペイン代表DFセルヒオ・ラモスは、この試合で移籍後初出場を果たしている。
昨シーズン限りでレアル・マドリードを退団し、7月にPSGと2年契約を交わしたS・ラモス。負傷で出遅れ、加入から4カ月を経ての待望のデビュー戦となった。
選手にとってプレーできない期間はどんな状況でも辛いものだが、移籍直後からピッチに立てない日々が続くのはさらなる忍耐力が必要とされるだろう。
スポーツメディア『Sportskeeda』は今回のS・ラモスを含め、移籍からデビューまでに時間を要した印象的な5選手を紹介している。
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■セルヒオ・ラモス
チーム練習に合流したのは先月9日。ふくらはぎの負傷によって離脱が続いていたS・ラモスが、28日のサンテティエンヌ戦でついにPSGでのデビューを果たした。
2005年にセビージャからレアル・マドリードに移籍し、16年間に渡って中心選手の一人として活躍したS・ラモス。世界屈指のビッグクラブで671試合に出場し、101ゴールを記録。通算22個のタイトルを獲得した。UEFA年間ベストイレブンには9回も選ばれたスペイン代表DFは、昨季限りでレアル・マドリードとの契約が満了となり、今年7月にPSGと2年契約を締結。ケガで始動が遅れていたが、先月24日のCLマンチェスター・Cで初めてベンチ入りを果たし、その4日後に待望のデビューを飾った。
試合後にはスペイン語と英語でツイッターに「この時をどれほど待ち望んでいたか! 苦しい数カ月間だった。不確かなことや変化がたくさんあったし、何より最悪だったのは、自分が何よりも愛すること、フットボールをプレーするということができなかったことだ」と綴り、苦しい時期を振り返ったS・ラモス。しかしそれらの日々は「もう過去のこと」としており、今後の活躍に期待ができそうだ。
■フェルナンド・レドンド
プレーできない期間のサラリーを辞退するという、プレースタイルさながらのエレガントな行動を取ったのが、元アルゼンチン代表MFフェルナンド・レドンドだ。
1994年から6年に渡ってレアル・マドリードで活躍したレドンド。2度のリーグ優勝に加え、1998年と2000年のCL制覇に貢献した。2000年にミランに移籍したが、シーズン開幕前に右膝のじん帯を断裂。ロッソネロ(ミランの愛称)でのデビュー戦は移籍から2年半も待たされることになった。
新天地で一度も試合に出ないまま長期離脱を強いられたレドンドは、復帰するまでの給与を辞退。当時ミランの副会長だったアドリアーノ・ガッリアーニ氏は、このような行動を取った選手は今までいなかったと驚きを隠さなかった一方で、レドンド自身が焦らずリハビリに取り組むために選択したことだと説明。レドンドはクラブが用意した住居と車まで遠慮したが、これはクラブ側が受け取らせたという。2002年12月にようやくピッチに立ったレドンドは、最終的にミランで33試合に出場し、2004年に現役を引退している。
■ジョナサン・ウッドゲート
レアル・マドリードからオファーが届いたことは、本人にとっても驚きだったようだ。
“ヤング・リーズ”の一角として台頭し、2003年1月にニューカッスルへ移籍。ケガが多く、コンスタントに活躍することはできなかったが、レアル・マドリードは2004年夏の移籍市場で当時23歳のウッドゲートを獲得した。移籍時に負傷を抱えていたウッドゲートは、一度もピッチに立たないままスペインでの1年目が終了。初出場となった2005年9月のビジャレアル戦は、オウンゴールを献上した上に退場するという悪夢のようなデビュー戦となった。最終的にレアル・マドリードでは14試合しかピッチに立てずにイングランドに戻ったウッドゲート。引退後は指導者の道に進んでおり、2019-20シーズンは古巣のミドルズブラを率い、昨季の後半はボーンマスの暫定監督を務めた。
今月上旬にスカイスポーツの『Soccer AM』に出演した際に、レアル・マドリードへの移籍を振り返って「(2003-04の)UEFAカップで準決勝に進出したから彼らが私を視察していることは知っていた。でもケガをしていたし、(移籍が)実現するとは思わなかった」と語ったウッドゲート。一筋縄ではいかなかった選手時代の経験は今後の人生で大いに生かされるだろう。
■トーマス・フェルマーレン
ヴィッセル神戸では加入が発表された2週間後の2019年8月10日大分戦でJ1デビューを飾ったフェルマーレン。デビューが遅れたのは前所属のバルセロナでの出来事だ。
2009年にアヤックスからアーセナルに移籍すると、即座に不動のセンターバックとしての地位を確立したフェルマーレン。2シーズン目は序盤にアキレス腱を負傷し、5試合しか出場することができなかったが、その後2年はレギュラーとしてプレー。最後の1年はペア・メルテザッカーとローラン・コシェルニーに割って入ることができずに、リーグ戦14試合の出場にとどまった。
マンチェスター・Uへの移籍話も浮上していた2014年の夏に、バルセロナと5年契約を締結。しかし加入直後に負傷し、初めてバルセロナのユニフォームを着てピッチに立ったのは、1年目のリーグ最終節デポルティーボ・ラ・コルーニャ戦だった。バルセロナでは所属した5年間で公式戦53試合の出場にとどまったベルギー代表DF。加入3年目のヴィッセル神戸での出場数はすでにそれを上回っている。
■ウェイン・ルーニー
2004年8月31日、マンチェスター・Uはエヴァートンから当時18歳のイングランド代表FWを獲得した。移籍金は10代の選手に支払われた額としては当時最高の2700万ポンド(約41億円)。
同年6月に行われたEURO2004の準々決勝ポルトガル戦で中足骨を骨折したルーニーの新天地でのデビューは、加入から4試合もお預けとなったが、ピッチに戻って来た若きストライカーは、瞬時に高額な移籍金を納得させるパフォーマンスを披露した。マンチェスター・Uで迎えた初陣は2004年9月28日のCLフェネルバフチェ戦。先発出場を果たしたルーニーは、いきなりハットトリックを達成してチームを勝利に導いた。
1年目から公式戦43試合に出場し、17ゴールを挙げてPFA年間最優秀若手選手に輝いたルーニーは、マンチェスター・Uに所属した13年間で公式戦559試合に出場。253ゴールを決めて、クラブ史上最多得点者として名を刻んでいる。
(記事/Footmedia)
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