3月12日オンエアの#23では、ドイツ・ブンデスリーガ2部、ザンクトパウリに所属する宮市亮への単独インタビューの様子が放送された。
宮市は1992年12月14日生まれ。同期には宇佐美貴史(デュッセルドルフ)や武藤嘉紀(ニューカッスル)、柴崎岳(ヘタフェ)、昌子源(トゥールーズ)、小林祐希(ヘーレンフェーン)、杉本健勇(浦和レッズ)、小野裕二(サガン鳥栖)などがいる。いわゆる“プラチナ世代”の一人だ。
高校卒業後の2011年、Jリーグを経ずに18歳でアーセナルと契約を結んだが、就労ビザの問題や自身のケガもあってトップチームには定着できず、フェイエノールト、ボルトン、ウィガン、トゥウェンテとレンタル移籍を繰り返し、2015年にアーセナルとの契約が解除され、フリートランスファーでザンクトパウリに移籍した。
ザンクトパウリでも2度にわたるヒザの前十字靭帯断裂という大ケガを経験したが、18-19シーズンのブンデスリーガ2部第6節インゴルシュタット戦で1年4カ月ぶりに復帰し、ゴールを挙げて復活への第一歩を記している。
この試合について、宮市はこのように振り返った。
「試合へのモチベーションがすごく高かったです。何とも言えないぐらい感動的な瞬間でした。ゴールを決めることができたし、チームも勝ったので忘れられない試合です」
度重なるケガで離脱期間は長かったが、その間、彼を支えたのはクラブスタッフやチーム関係者だったという。
「このチームは居心地がいいです。2度の大ケガもありましたが、チームが全面的にサポートしてくれました。最初のケガの時は現状を受け入れることが難しかったです。でも、人生においてつらいことを受け入れ、前進しなければならないと思い、前に進みました。それにチームメートとクラブも支えてくれました。もし支えてくれる仲間がいなかったら、あの状況を乗り越えられなかったと思います。(現在は)コンディションは良くなってきているし、さらに良くなるでしょう。目標は立てず、練習でコンディションを維持するよう専念しています。それがケガをしないためのカギですね」
彼を支えたチーム関係者の一人には、2017年まで指揮を執ったエバルト・リーネン前監督もいる。
「彼はかつての監督で、とても楽しい人です。たくさんのアドバイスをしてくれて、僕に『スピードを生かせ』と言ってくれました。その言葉が今も心に残っています。スピードが持ち味なので試合で生かしたいですね」
同じプラチナ世代の宇佐美や柴崎、武藤らは日本代表での活躍も見せている。宮市は2012年に2試合出場しただけだが、代表でのプレーについてはどのように考えているのだろうか。
「日本代表でプレーできたら名誉なことだと思います。昨年のワールドカップ以降、顔触れが変わって、いいメンバーがそろっています。その中でも、僕はチームに特別な要素をもたらすことができると思っています。でも、まずはザンクトパウリで全力を尽くして、いつか代表に選ばれたいと思っています」
大ケガを乗り越え、完全復活への道を歩んでいる宮市。現在はこのような心境で日々を過ごしているという。
「今は現実的な考え方になって、毎日の練習で全力を尽くすことに専念しています。毎日の健康に感謝していると結果はついてきます。“現在”という瞬間を精一杯生きたいです」
毎週火曜日21時から生放送されている『日本人を応援せよ!!Football TimeLine』。次回は2019年3月19日(火)21時スタートの予定となっている。
By サッカーキング編集部
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