21日のミラン対ボローニャ戦が終わり、メディアセンターで原稿をほぼ書き終えていた時のことだった。イタリア紙『コリエレ・デッラ・セーラ』のミラン番のある女性記者が、私たち日本人通信員に話しかけてきた。さりげなく「ホンダは何かコメントした?」と。
FW本田圭佑がプレーしようとしまいと試合後は必ずミックス・ゾーン(取材エリア)で待機し、コメントを取るチャンスをうかがっていた日本人メディアの姿を見ていたのだろう。「ありがとうとだけミランのファンに伝えてください、って言ってた」と伝えると、その女性記者はしんみりとした調子でつぶやいた。「何かホンダらしいわね。何カ月も出場できなくて、1年以上ぶりにゴールを決めた後に『ミラン・ファンにありがとう』だなんて」。
まさに惜別ゴールだった。4月23日のエンポリ戦以来の公式戦出場。今回は後半の残り10分程度ではなく、58分からFWカルロス・バッカとの途中交代でピッチに立った。
いくつかの運も重なった。ボローニャ相手にゲームは膠着状態で、ヴィンチェンツォ・モンテッラ監督が試したバッカとFWジャンルカ・ラパドゥーラの2トップも機能しない。今シーズン、急成長したMFスソは出場停止処分だった。
本田にとって、サン・シーロ・スタジアムでミランのユニフォームを着て戦う最後の試合。攻撃の流れを作り、自らクロス、シュートを打っていく。そこからMFジェラール・デウロフェウの先制ゴールが生まれ、本田のFKが決まった。まるで台本でもあるかのような、筋書き通りの素晴らしいラストだった。
鳴り物入りで2014年1月に移籍し、3年半の通算成績はセリエAで74試合に出場、9得点だった。2014-15シーズン序盤の7試合6得点が最高潮で、結果的には期待以上の成績は残せなかった。クラブは売却の過渡期であり、監督はマッシミリアーノ・アッレグリからモンテッラまで6人と次々に変わった。“ビッグマウス”でイタリアでもサポーター批判ととられるコメントを発したり、議論となる疑問を投げかける発言も少なくなかった。
そんな本田も、出場機会が減るとほとんどメディアの問いには答えなくなっていった。私はアウェーは取材しておらず、サン・シーロでのミックス・ゾーンしか知らない。「本田、しゃべらないんだ。まるでイタリアで長くプレーした元日本代表のМFと同じだね」と、友人に言われたこともある。
しかし、これは全く違う。基本的に試合後の選手たちはサン・シーロのミックスゾーンを通り、インタビューに答える。それもサッカー選手としての仕事のうちの1つだ。ファンのサインや写真の希望に応じるのも、プロとして彼らの義務だろう。だが、時と場合によってはメディアが待つゾーンではなく、VIP用のマスコミがいない通路からも出ることができる。インテルのDF長友佑都も数回、“裏道”から抜け出たことがある。プレーがひどかった時や勝てないチーム事情の場合など、問に答えたくない時だってあるだろう。日本人メディアの姿すら見たくない気持ちも理解できるし、それを尊重する。お互いがお互いをリスペクトしないと、この関係は共存できないからだ。
セリエAの元日本代表МF氏はブログで自身を語るという新しいスタイルで、ファンとのコンタクトを取った。日本のマスメディアとの接触はゼロ。一方で、本田がミックスゾーンを避けたことは一度たりとない。監督から出場の声がかかるどころか、アップすらしない試合の後であっても、必ず堂々とミックスを歩いた。日本人メディアの顔ぶれを確かめるように「お疲れ様です」のさりげない一言は忘れなかった。大した人物だと思う。
ミラノでの本田はサプライズで日本人学校に登場したり、子供たちとボールを蹴った。サン・シーロでもファン、特に子供からの写真撮影やサインを避けるそぶりを見せたことがない。そして、ぎくしゃくした関係にもなりかけたことのあるミラニスタに残したラストメッセージが「ありがとう」だ。セリエAで成功したとは言い難い本田だったけれど、わずか3年半でも彼を取材できたことに本当に感謝している。真のプロ・サッカー選手としての姿勢、そして有言実行を見せた本田に心から「ありがとう」。
文=赤星敬子