来季からユヴェントスを指揮するピルロ [写真]=Getty Images
8月8日、アンドレア・ピルロがユヴェントスの新監督に就任した。それは、前日にチャンピオンズリーグ決勝トーナメント・ラウンド16で敗退したショックを大きく凌駕するほどの衝撃的なニュースとして報じられた。
前任者のマウリツィオ・サッリ監督は、就任1年目で苦しみながらもカンピオナートを制覇。監督としてセリエA史上最高齢(61歳)の優勝を記録したばかりだった。スクデット獲得を決めたサンプドリア戦では、試合終了のホイッスルがピッチに鳴り響くと一目散にロッカールームへと引き上げ、くわえタバコと、手には祝福用のスプマンテを携えた。そして、普段はあまり見せない満面の笑みを浮かべて、選手たちと喜びを分かち合っていた。だが、イタリアで最も愛されるチームでの挑戦は儚く1年で幕を閉じることとなった。
ユーヴェは昨夏のマッシミリアーノ・アッレグリに続き、2年連続でリーグ制覇と同時に優勝監督を解任という、にわかには信じがたい決断を行なったが、これでクラブの目標はさらに揺るぎないものとなった。サッリを筆頭に13人ものテクニカル・スタッフを解任したクラブの野望は、1996年から遠ざかる“欧州制覇”。リーグ制覇を前人未到の9年連続に伸ばした今、これ以外に目指すものはもはやない。
サッリ監督の後任候補には当初、複数の人物が挙がっていた。現レアル・マドリード監督で、元ユーヴェのジネディーヌ・ジダン、現ラツィオ監督のシモーネ・インザーギ、元トッテナム監督のマウリシオ・ポチェッティーノらのうち誰かが就任するのではないかと噂された。ところが、CL敗退から24時間も経たないうちにサッリは解任され、そして、稀代のMFとして世界を魅了したピルロに白羽の矢が放たれた。
選手経験のないサッリから、今度は監督経験皆無のピルロへ。ピルロは、その9日前にトップチームの下部組織にあたるU−23チームの新監督に任命されていたばかりだった。しかし、そのチームを1分1秒も指導しないまま、トップチームの指揮官を任されることとなったのだ。契約期間は2年で、年俸は180万ユーロ(約2億3000万円)。イタリアで最強時代を歩むチームの指揮官としては格安の報酬と言える。
2人のアンドレア――アニエッリ会長とピルロの新監督就任会見は、これが新商品の発表会であれば、絶大な宣伝効果のあるものだった。だがピルロには、チームを指揮した経験がない。先行きは不透明で、これは大きな賭けだろう。話題性はあっても、成功を収めなければ意味はない。アニエッリ会長はジダンやジョゼップ・グアルディオラのような指揮官としてのサクセスストーリーをピルロに夢見る。しかし、前者は助監督を経てBチームを指揮、後者はBチームでの指導を経験してから、偉大な監督の仲間入りを果たした。繰り返すがピルロは、トップチームの指揮どころか、ピッチに立って指導を行なったこともない。私たちは、ピルロのサッカーがどのようなスタイルなのか、彼の現役時代のプレーに思いを馳せながら、イメージするしかないのだ。そして残念ながら、「名選手、名監督にあらず」という常套句も頭に浮かんでしまう。果たして、ピルロはこの言葉を覆すことができるのだろうか。
■やることは山積。だが時間はない
選手としては、アッズーリの一員としてワールドカップを獲得し、ミラン時代にはチャンピオンズリーグも制した。とりわけそのプレースタイルは世界を魅了し、相手チームの選手、監督、サポーターからも称賛を浴びることのできる稀有な存在だった。
だが、名手、巨匠を意味する“マエストロ”には、数々の困難が待ち受ける。2020−21シーズンのセリエA開幕は9月19日。1カ月後には新シーズンを迎えることになるが、チームのトレーニングキャンプ入りは8月24日を予定。例年のように、海外ツアーを行いながらチーム作りをする時間はなく、新監督のビジョンを植え付けるには、あまりにもタイトなスケジュールである。
次にチームの補強だ。ユーヴェは19−20シーズンのセリエA20チームで選手の平均年齢が最も高いチームだった。皮肉にも愛称通りに“老貴婦人”となってしまった。チームの若返りも、今夏の課題の一つだ。これはピルロに課せられた今夏の宿題というよりも、ファビオ・パラティチCFO(チーフ・フットボール・オフィサー)の務めといえるかもしれない。パラティチ自身もマンチェスター・Uからの関心が伝えられているが、恐らくはユーヴェに残留するのではないかとみられる。万一、ユーヴェを離れるようになることになれば、クラブにはさらなる試練が待ち受けることになってしまう。彼の退任は阻止しなければならない。
ユーヴェはすでにアタランタからデヤン・クルゼフスキ(今季はパルマでプレー)を獲得。また、ミラレム・ピアニッチとのトレードでバルセロナからアルトゥールが加入したが、アルトゥールは交通事故を起こしたあとのアルコール検査で陽性反応となったことが明るみに出た。チームの新たな悩みの種とならないことを祈るばかりだ。
クラブの財政状況は芳しくなく、まずは余剰戦力の整理に着手しなければならない。アレックス・サンドロ、マッティア・デ・シリオ、ダニーロ、ダニエレ・ルガーニ、フェデリコ・ベルナルデスキ、ゴンサロ・イグアインらを移籍市場が閉幕する10月5日までに売却し、できる限りの補強資金を捻出することが必要だ。そして、昨夏獲得したアドリアン・ラビオ、アーロン・ラムジーも放出候補に挙がっているとみられる。さらに、驚くのはパウロ・ディバラもアンタッチャブルな選手ではないということだ。魅力的なオファーさえ届けば、ユーヴェは交渉の席に応じるとの見方が強い。
補強としては、ナポリのアルカディウシュ・ミリク、ローマのエディン・ジェコといった、クリスティアーノ・ロナウドのパートナーとなり得るようなFWの獲得を画策している。兎にも角にも、年俸3100万ユーロ(約39億円)もの高給取り、C・ロナウドをさらにチームの中心に据えたチーム作りが実行されることとなるようだ。サッリもセリエA優勝後には、「C・ロナウドとディバラを共存させることは本当に難しかった」と吐露している。シーズン終盤には、ようやく2人のコンビネーションが流麗なものとなってきたが、ピルロの目にはどのように映っているのだろうか。
そして、この10年で最多失点を喫してしまった守備陣の立て直しも不可欠なミッションだ。堅守はユーヴェの専売特許だったが今季は43失点を喫し、36と最少失点を誇ったインテルの後陣を拝した。41歳の新人監督ピルロには、守備のスペシャリストの参謀が必要となる。そこで現ハイドゥク・スプリトの指揮官、イゴール・トゥドールがサポートにつくことになるようだ。現役時代にはユヴェントスで計7シーズンに渡りプレーし、短期間ではあるがウディネーゼで3度、指揮を執った経験を持つ。また、助監督には現ナポリ・プリマヴェーラ指揮官のロベルト・バローニオの就任が有力視されている。かつてラツィオの一員としてセリエAで84試合に出場したMFは、ユーヴェとの接点がなく意外な名前かもしれないが、実はピルロと同郷のブレシア生まれで、ユース時代にはピルロとともにプロ入りを目指した経緯がある旧知の仲だ。U−19イタリア代表やブレシアユースを指導した経験を生かし、旧友を支えることとなる。
■称賛すべき勇気
新人監督が背負う使命はあまりにも大きい。結果を得られなければ、クラブ、そしてピルロ自身への批判は避けられない。けれども、これだけの過酷な壁が立ちはだかりながらも、このオファーを受け入れたピルロの勇気、気概は称えるべきだろう。
ピルロは就任会見でこう語った。「引退後、指導者ライセンス講習を受講し、監督をやってみたいという意欲が湧いた。指導者の仕事にどっぷりとはまり、100パーセントの力を注いで全力で取り組んできた。現役時代にはたくさんの監督から指導を受けた。アンチェロッティ、リッピ、コンテ、アッレグリといった監督たちだ。全員が何かしらを私に与えてくれた。私はしばらく前から、頭の中で戦い方を描いている。私のチームはつねに、勝利のために魅了するプレーを披露するはずだ。選手としてプレーしていたとき、指導方法に嫌悪することがたくさんあった。監督としてはそれを避けて指導していきたい」
淡々と語ったこの会見時のように普段は冷静で物静かな男であるが、2006年ワールドカップ決勝での咆哮、2012年ユーロ決勝で敗戦を喫したときの悔し涙を見れば、この男のカルチョに対する情熱は計り知れないものだとわかる。パラティチCFOも、ピルロが持つパッションはユーヴェ監督就任にあたって極めて重要なものだと打ち明けているほどだ。
ピルロが現役時代にプレーしたポジション、レジスタはもともとイタリア語で“映画監督”を意味する言葉だ。ピッチの上ではその役割をいかんなく発揮し、世界屈指の司令塔として名を馳せた。まさにピッチ上の監督だった。今度はピッチの外から真の“ミステル”(イタリア語で監督の呼称)として、どのようなチームを作り上げるのか。不安の数は決して少なくないが、今は“監督・ピルロ”への興味と期待のほうが勝るのではないだろうか。
文=佐藤徳和/Norikazu Sato
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