ピッチ内外でイタリアサッカー界のトップに立つユヴェントス [写真]=Getty Images
[サッカーキング No.360(2021年3月号)掲載]
早めに唾をつけて獲得し、芽が出るまでレンタル修行。芽が出なければさようなら―。 2018年8月を境に、そんな若手の発掘、育成方針は大きく姿を変えた。新スタジアム、女子チーム、そしてU-23チーム。ユーヴェの野心は、とどまるところを知らない。
文=小川光生
協力=ジョヴァンニ・バッティスタ・オリヴェーロ(ガッゼッタ・デッロ・スポルト)
写真=Getty Images
セリエAにはユーヴェがいる。そしてセリエCにも、ユーヴェを名乗るチームが存在する。
“老貴婦人”と娘。いや誕生年を考えれば、U-23ユヴェントスは孫娘……いや、ひ孫にあたるのかもしれない。トリノの名門マッシモ・ダッゼーリオ高校の有志が集まってユヴェントスが誕生したのは、1897年のこと。一方、U-23チームが誕生したのはわずか2年半前だ。しかもこのチームはただのユースチームではない。3部とはいえ、れっきとしたプロリーグに参加している老貴婦人の分身である。
ユースリーグよりも上のレベルにある下部リーグに、今後の成長が期待される若手で構成されたチームを登録してクラブ全体の力を底上げしていく。U-23チームの設立には、そうした狙いがある。ラ・リーガをはじめ、欧州の主要リーグではすでになじみのあるシステムだ。このシステムを(遅ればせながら)イタリアで最初に採用したのが、アンドレア・アニェッリ会長のもとでカルチョ全体の改革を推進していこうと考えるユヴェントスだった。当然ながら、U-23チームの主軸はプリマヴェーラ世代よりも少し上。多くが有望株ではあるが、世界レベルのカンピオーネがひしめくトップチームでは、まだ確固たる地位を築けない選手が大半だ。
ただ、アンドレア・ピルロ監督以下テクニカル・スタッフにとっては、いざとなれば大事な局面でトップチームに選手を呼び寄せることが可能で、フロント陣から見れば、所有権は維持しながら今後レンタルなどで他チームに放出可能な選手の宝庫でもある。つまり、U-23ユヴェントスとは、磨けば輝くダイヤモンドの原石の宝石箱であり、その所有者は言うまでもなく、1世紀以上にわたってカルチョの世界で確たる地位を維持してきた老貴婦人なのである。
U-23チームの導入は新しいオプションになり得る
昇降格に関するルールはこうだ。U-23がセリエCで好成績を残した場合、セリエBへの昇格は可能。ただし、トップチームと同じリーグに所属することはできないという規定があるため、現実的にはセリエAに上がれる可能性はないと考えていい(無論、ユヴェントスがいつかのように何らかの理由でセリエBに陥落したなら話は別だが)。そして前述のとおり、必要に応じてU-23の選手をトップチームに昇格させることも可能だ。実際、1月13日に行われたコッパ・イタリアのラウンド16ジェノア戦では3人の選手が招集され、先発としてピッチに立った。飛躍が期待されているDFのラドゥ・ドラグジン(ルーマニア)、フラメンゴの下部組織出身の右サイドバック、ウェズレイ(ブラジル)、ユース世代では代表常連の攻撃的MFマノーロ・ポルタノーヴァ(その後、ジェノアに完全移籍)の3人だ。
現在U-23チームの指揮を執っているのは、ランベルト・ザウリである。現役時代は、テクニックのあるトレクアルティスタとして活躍した。ヴィチェンツァ、ボローニャ、パレルモなどでプレーし、キャリアの半分以上をセリエBで過ごした(セリエA通算146試合出場20ゴール、セリエB通算158試合出場28ゴール)。現役時代のニックネームの一つは、“セリエBのジダン”。引退後は、ディレッタンティから監督業をスタートし、エンポリのユースを経て19-20シーズンにユヴェントスのプリマヴェーラの監督に就任。コッパ・イタリアではベスト4、UEFAユースリーグではベスト16の実績を残した。
そして昨夏、それまでチームを率いていたファビオ・ペッキアに代わり、“ひ孫”の指南役を引き受けることになった。昨シーズン、チームはセリエCのコッパ・イタリアで優勝。プロジェクトが順調に進行していることを証明し、首脳陣を喜ばせた。しかし、アニェッリ会長はセリエCで10位という成績に満足できなかったのか、監督交代に踏み切った。この人事を見ても、ユーヴェ首脳陣がU-23チームをクラブの盛衰のカギを握る重要な要素だと考えていることがわかる。
ユーヴェは、スタジアム問題においても変革のパイオニアであった。11-12シーズンからアリアンツ・スタジアムを使用しているが、それは、実質的にイタリアの主要クラブが自前のスタジアムを所有した最初のケースであった(厳密に言うと、1990年代半ばにレッジャーナが所有したレッジョ・エミリア市にあるマペイ・スタジアムの前身「スタディオ・ジョルジョ」が先例)。ファシズム時代からの伝統が残るイタリアの場合、市町村などの地方自治体、あるいはそれに付随する第3セクターがスタジアムを所持、運営しているケースが多い。
しかし、このユーヴェの変革が呼び水となり、現在では、前出のマペイ・スタジアム(サッスオーロ、レッジャーナ)、ウディネのスタディオ・フリウリ(ウディネーゼ)、ベルガモのゲヴィス・スタジアム(アタランタ)と4つのクラブ所有の競技場が存在する。ユーヴェが率先して改革を行い、影響を波及させた例である。
U-23チームの導入は、スタジアムのケースよりもシンプルだろう。セリエA所属の全クラブは、U-19のカテゴリーにあたるプリマヴェーラをすでに所持している。そのチームとトップチームの中間の集団を、23歳以下の選手で作ればいい。プリマヴェーラのレベルはセリエCよりも下にある。10代あるいは20歳でも、有望な若手がいれば、トップチームでの抜擢で“消えた天才”にさせられるリスクなしに、まずはU-23チームに上げて成長を早めるという選択肢も生まれてくる。技術的にも戦術的にも、若手にとってはプリマヴェーラ・リーグよりも学ぶことは多いはずだ。これまでは「下部リーグのチームへのレンタル」が20歳前後の若手の実力を試し、武者修行を受けさせるための唯一の手段だと思われていた。U-23プロジェクトは、そのもう一つのオプションになり得る。もっとも、選手層の問題もあり、イタリアの全チームが同じことをするのは難しいという一面があるのも事実だが。
一連の“革命”からのぞくアニェッリの野心
話題をもう少し広げてみよう。アニェッリ会長は、自身のクラブを他の追随を許さない最前線へ誘おうとしているように見える。彼には、組織を現代化し、未来へと向かうあらゆる機会をつかみたいという野心がある。2017年の女子サッカー部門の新設もその一つだ。ユヴェントス・ウィメンは、創設以来すでにスクデットを3度、コッパ・イタリアを1度、そしてスーペルコッパを2度、手中に収めている。U-23チームの創設のみならず、ユース部門、女子部門でも、ユーヴェはイタリアのファーストクラブの地位を確固たるものにしている。
ユーヴェが他のイタリアのクラブに比べ、国外に目を向けていることも明らかだ。2019年には、アニェッリ会長がECA(欧州クラブ協会)の会長に選出されるなど、ここ数年、老貴婦人のベクトルは国内よりもヨーロッパ、あるいは世界へと広がっている。2018年夏のクリスティアーノ・ロナウド獲得は、ユーヴェの「南北アメリカやアジアの市場へも進出していきたい」という強い意欲の表れだった。
アカデミーへの積極的な取り組みもその流れの一環だ。現在、彼らのアカデミーは日本を含む50カ国以上で活動している。初めに子供たちを取り込み、彼らにユヴェンティーノであることの意味を教え込んでいく。理想的な方法である。アカデミーのスタッフは技術的な指導はもちろん、子供たちの人間形成にも貢献したいと考えている。そしてもう一つ、サッカーを心から楽しむこと。サッカーは、競技以前にゲームである。勝利を目指すことはもちろん、観衆を魅了するサッカーを実践していくことがユーヴェの理念でもある。その“新哲学”は、トップチームから子供たちを対象としたサッカースクールまで貫かれている。
とくにここ数年、ビアンコネーロ(白と黒)のブランドがイタリア国内だけでなく海外にも浸透しつつあるのは、こうしたクラブの多方面にわたる“企業努力”の賜物だと言える。
※この記事は雑誌サッカーキング No.360(2021年3月号)に掲載された記事を再編集したものです。