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ブラジル戦での“衝撃の一発”から12年、玉田圭司が2006年ドイツ・ワールドカップを振り返る

2018.04.27

 グループリーグ2試合を終えて1分け1敗の最下位……。2006年、ドイツ・ワールドカップの舞台で日本に突きつけられた現実は第3戦での「2点差以上での勝利」だった。第3戦の相手は2連勝でグループ首位に立つブラジル。ロナウドやロナウジーニョを擁する文句なしの優勝候補だ。しかし、不可能に思えたミッションに一筋の光を照らしたのが玉田圭司の一発だった。

 結果は1ー4の完敗に終わり、日本は未勝利のまま大会を去ることになった。しかし、あの大舞台で王国ブラジル相手に決めた先制点は多くのファンの心に刻まれ、日本サッカーの歴史の一部となった。あの“衝撃の一発”から12年、現在は名古屋グランパスでプレーする玉田が2006年大会を回顧した。

ブラジル戦には「絶対に出たい」という気持ちがあった

——2006年のドイツW杯についてうかがいます。まずは大会前、最終メンバーの発表で名前を呼ばれた時のことを覚えていますか?

うれしかったですけど、選ばれるかどうかという不安はありましたね。2005年の11月か12月ぐらいだったかな。発表の数カ月前にケガをしたんです。中足骨にヒビが入ってしまって……。最初は騙しだましやっていたんですけど、その後、トレーナーやジーコに伝えたら「私はそういう選手を使えない」と……。「早く治して私たちのファミリーに戻ってきてほしい」と言われたんです。それで手術を決めて、1月か2月くらいに復帰して。そこからの選出だったので、選んでくれたジーコには感謝しています。

——メンバーに選ばれてから本番まではどんな気持ちでしたか?

自分の中では「ついにW杯だ」という感覚はあまりなかったですね。もともと代表の遠征でヨーロッパのスタジアムで試合をしたりするのが好きだったので、W杯もそういう感覚とそれほど変わりはなかった。

——W杯ということで緊張もあったのでは?

そこまで緊張はなかったですね。もちろん4年に一度の大会ですし、メンバーに選ばれるのは23人だけ。絶対に選ばれたいという気持ちは初めて代表に呼ばれた時からありました。でも、僕の場合はアンダーカテゴリーの大会やオリンピックとは無縁だったので、W杯への思いが強くなったのはA代表に入ってからでした。

——初戦はオーストリア相手に1ー3の逆転負けでした。ご自身の出場機会はありませんでしたが、あの試合をベンチでどう見ていましたか?

幸運にも先制点が取れた。でも、その後の戦い方についてはみんな悔やんでいるところがあるんじゃないかな。相手は1点を取られた後に、どうやって点を返そうか、そういう気持ちが伝わってきた。それにのまれてしまったところはあると思います。

——続くクロアチア戦は玉田選手がW杯初出場を果たした試合でもあります。試合前に監督から「出るかもしれない」というメッセージはあったのですか?

いえ、それはなかったです。でも、ドイツに入ってから僕自身のコンディションがどんどん上がっていたのは自分でも分かっていました。それは恐らくコーチ陣も分かっていてくれたと思うし、初戦のオーストラリア戦も含めて出場のチャンスはあるのかなと感じていました。

——スコアは0ー0、得点が欲しい状況で61分からの出場でした。ピッチに入る時の感覚はどうでしたか?

あまり緊張せずに入れましたし、フィーリングは良かったですね。その中で決定的な仕事をしたかったんですけど……。クロアチアのディフェンスが強いという印象はなかったですし、自分たちがうまくやれれば点は取れるんじゃないかという感覚はあったんですけどね。

——結局クロアチア戦を0ー0で終えてグループリーグ突破はかなり厳しい状況になりました。

ブラジル相手に「2点差以上の勝利」ですよね。ただ、日本の報道は見ていなかったし、可能性が0パーセントじゃなかったので絶望することはなかった。しかも相手がブラジルということで、「絶対に出たい」という気持ちがありました。W杯の舞台でブラジルとやれるチャンスなんてなかなかないでしょうから。自分としては「何かを残したい」とは思っていました。

——ブラジル戦では先発に抜擢されました。先発出場はいつ頃分かったんですか?

試合当日です。キックオフが夜だったと思うんですけど、午前中に部屋の電話が鳴って「監督の部屋に来てくれ」と言われて。部屋に行ったら、巻(誠一郎)とイナさん(稲本潤一)もいて。僕を含めた3人が呼ばれて「今日は先発だから」と言われました。

——相手のブラジルは自身がプロ1年目に短期留学した場所でもあります。

行きましたね。2カ月ぐらい。でも、認めてもらえるまでは名前を覚えてくれなかったですね。「日本人」って呼ばれていましたから。ボール回しをする時に、ボールを取られたらその隣の人も連帯責任みたいなルールがあって。みんなに「日本人の隣は嫌だ」って言われて。まあ、それも今となってはすごくいい経験でしたし、「プロってこういうものだよな」というのを実感しましたね。

——ブラジル人選手に対するイメージはありましたか?

「うまいな」というのはありましたけど、「敵わないな」とは思ってなかった。ジーコに呼ばれた時も「もちろん、ブラジルにも穴はある」と言われましたし、「やってやろう」という気持ちしかなかったですね。ブラジルの選手たちはボールを持たせたらみんなバケモノですけど、ボールを持っていない時は楽観的というか、ルーズなところもある。だからディフェンスの背後なんかは弱いんじゃないかなと。

——ブラジル戦の会場となったドルトムントのスタジアムはどうでしたか?

独特でした。すごく包まれている感じがあって、スタンドからの声援もすごく感じました。あれ、何万人ぐらい入ったのかな? すごいスタジアムだなと思いました。

——試合は序盤から押し込まれる展開でしたが、玉田選手はどういう気持ちで戦っていましたか?

もう堪えるしかないという感じでしたね。当時のブラジルは「タレントはそろっているけど、個人技頼みでチームとしてはそれほどじゃない」なんて言われてましたけど、全然そんなことはなくて(笑)。一人ひとりが本当にうまいし、全然ボールを失わない。ボールを持たせたらほとんどシュートまで持っていかれちゃう。いい形でボールを奪うこともできず、しのぐしかない……。でも僕自身は“一発”を狙っていました。

——そしてチャンスが来ました。34分の先制点のシーンを振り返ってください。

実際のところ、あまり覚えてないというか……。終わった後に映像を見返して初めて「あー、こんな動きをしてたんだ」と思ったぐらいで(笑)。でも、アレックス(三都主アレサンドロ)からああいうパスが出るというのを信じて走っていたし、いい形で点が取れたと思います。

——中盤に下がって一度組み立てに参加してから、スルスルと前線に入っていきました。あの裏への抜け出しは試合前から意識していたプレーですか?

そう思います。あとはとにかく「強く打とう」ですね。「強く打って、枠」。あとは角度がなかったから「上を狙おう」と。でも、どういう感覚だったかはあまり覚えてないですね(笑)。

——その後4点を取られて逆転負け。この試合をトータルで振り返るとどうですか?

上には上がいるなと。ボールを持った時の一人ひとりのスピードも、パスのスピードも、判断のスピードも、すべてにおいて1枚か2枚上をいっていた。でも、こういうチームとやれて良かったなとは思いました。

——大会後、そこに一歩でも近づこうとアクションは起こしましたか?

負けたくないっていう気持ちが芽生えましたね。「一生懸命さ」という意味ではブラジルにも負けてなかったと思うし、日本のほうが上回っていたかもしれない。でも、「サッカーを楽しんでいたか?」と考えると、日本はブラジルほどできていなかったと思う。それはブラジル特有のものなのかもしれないけど、僕らももう少しそういう感覚を持てればいいのかなと感じました。だからそういう気持ちは今も意識してやっています。

——改めて総括すると、玉田選手にとってドイツ大会はどんなものでしたか?

W杯に出られて良かったという気持ちはもちろんありますけど、あれで終わりたくないという気持ちが強くなりましたね。(ブラジル戦のゴールで)印象を残した分、「自分=2006年大会」のようには思われたくなかった。それが2010年の出場にもつながったのかなと。今もあの大会以上のインパクトを残したいという気持ちでやっています。

——現在の日本代表をどう見ていますか?

これは難しいことかもしれないけど、もっとサッカーを楽しんだほうがいいかなというのはありますね。今の代表を見ていると、少し「サッカーをやらされている」ような感覚がある。もちろん、監督や戦術云々も大事だとは思うんですけど、自分の個性、やりたいことをチームの中にうまく落とし込んで、プラスアルファにしていってほしいですね。そうすれば、見ているほうももっと楽しめるし、応援したいという気持ちも強くなるんじゃないかなと思います。

「変えようかな?」と思わせないのがナイキの良さ

——ナイキが『マーキュリアル』の誕生20年を記念して、過去5大会で選手たちが着用した当時のデザインをモチーフにNIKEiDとして復刻しました。2006年当時の『マーキュリアル』を覚えてますか?

これは色違いですよね。僕が履いていたのは青でしたから。でも、めっちゃ履きやすかったのは覚えてます。すごくフィット感があった。僕はスパイクがズレるとすぐにマメができちゃうんですけど、このスパイクは全くそれがなくて。「めちゃめちゃいいわ」と思いました。しかもこれを履いたのはドイツW杯のあの3試合だけなので、すごく印象に残っていますね。

——2006年当時と比べると今のスパイクはものすごく進化していると思いますが、具体的にどんなところが良くなっていると思いますか?

一番は軽さですね。どんどん軽くなっていく。新しいスパイクが出てくると毎回「このスパイク軽いな」って思うんですよ。でも、次が出てくるとさらに軽い、もっと軽い。どんどん軽くなって、もうこれ以上は無理だろうと思っても、新しいスパイクが出てきたらまた軽いんです(笑)。

——先ほどフィット感の話が出ましたが、フィット感も当時より進化していますか?

今履いているスパイクもそうですけど、あの包まれている感覚はすごいですね。おそらく最上級は「裸足でやってるような感覚」だと思うんですけど、「あ、俺履いてたんだ」と一瞬でも思わせてくれるのはすごい。これ以上はないと思います。

——高校時代からナイキ一筋です。ナイキのスパイクの良さは?

まずシンプルに格好いい。他のスパイクを履いたことないんですけど、文句のつけようがないので変える必要がないというのもありますね。「変えようかな?」と思わせないことが良さかもしれません(笑)。

——『マーキュリアル』と言えばスピードです。過去には「自分の特徴はスピード」と言い切っていたこともありますが、スピードに対する考え方に変化はありますか?

スピードと言っても、50メートル走や100メートル走が日本で一番速いかと言われたら全然そうじゃない。僕よりも速い選手はたくさんいます。でも、ボールを持った時のスピードとか、瞬間的なスピードという部分は自信があるし、今でも自信を持ってやれていると思います。ただ、昔は無意識にやっていたものが、今はスピードを生かすためにどうすればいいのかというのを頭を使いながらやるようになった。そうやってスピードを重視していく中で、スパイクについて「何も不安がない」ということが、すごく助けになっています。

インタビュー・文=武藤仁史
写真=ナイキジャパン

By 武藤仁史

元WEB『サッカーキング』副編集長

元サッカーキング編集部。現在は編集業を離れるも、サッカー業界で活動中。

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