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【コラム】20世紀最後のW杯…決勝は史上初の“開催国vs前回王者”に/1998年 フランスW杯

2018.06.05

開催国のフランスが優勝を飾った [写真]=FIFA/FIFA via Getty Images

 それは、チェスの現役世界チャンピオンが初めて、コンピュータ(IBM社の『ディープ・ブルー』)に敗れた翌年のことだった。1998年夏、20世紀最後のワールドカップが開かれた。舞台はフランス。同大会の創設者として名高いジュール・リメの祖国だ。ホストを務めるのは1938年大会以来2度目。実に60年ぶりのことだった。

 FIFA(国際サッカー連盟)は開催に先立って、新ルールの導入を決定する。延長に突入した場合、サドンデス(突然死)によって決着する「ゴールデン・ゴール」方式だ。この「黄金のゴール」はフランス大会予選で一つだけ記録されている。アジア第三代表決定戦における岡野雅行の劇的なゴールだ。こうして日本は、夢のまた夢だったワールドカップの本大会に初めて駒を進めることになった。

 商業主義へ突っ走るFIFAの拡大路線も、日本にとっては追い風だった。本大会の出場枠が4年前の「24」から一気に「32」へ増えたからである。ちなみに、1978年アルゼンチン大会の出場枠は「16」だったから、この20年間で倍にふくれあがった計算だ。もっとも、フランスへと乗り込んだ出場国にとって、ノックアウト方式のトーナメント戦に勝ち上がるまでの道のりは、4年前のアメリカ大会以上にシビアなものとなった。4チームによるグループステージでベスト16に駒を進められるのは上位2チームまで。3位では勝ち抜けの可能性がなくなったからである。

日本代表

日本は初のW杯出場 [写真]=FIFA/FIFA via Getty Images

 日本を率いていた岡田武史監督は本大会を前に「1勝1分け1敗」という現実的な目標を口にしたが、この成績では次のステージに進めるとは限らない。事実、A組のモロッコとD組のスペインは、いずれも「勝ち点4」を手にしながら、敗退の憂き目に遭っている。その意味で異例の存在となったのが、B組のチリだ。3戦3分けの「勝ち点3」に終わりながらも、2位通過を果たしている。だが、彼らの残したインパクトは大きなものだった。名前の頭文字を取り『ZA-SA』と呼ばれたイバン・サモラーノとマルセロ・サラスの2スピアヘッドは破壊力抜群。初戦で優勝候補の一角を担うイタリアを追い詰めるなど、序盤の話題をさらった。チリのトーナメント進出は、ホスト国を担った1962年大会以来、実に9大会ぶり。前線にこれという決め手を持つことの強みを満天下に知らしめた格好だ。

 チリとは対照的に本大会で何一つ足跡を残していない「新参者」は4カ国。そのうち日本、ジャマイカ、南アフリカの3カ国は、ことごとくグループステージで姿を消している。なお、すべての組を見渡しても、3戦全敗の「勝ち点0」に終わったのは日本だけだった。新参者の中で唯一の例外はクロアチアである。こちらは分離独立以前の旧ユーゴスラビア代表の一員として1990年のイタリア大会に参加したメンバーを何人か抱えていた。たった一撃で日本を沈めた巨艦ダヴォル・シュケルも、その一人だ。速く、巧みな左足で次々とゴールネットを揺らし、ついには得点王のタイトルを獲得。その名を歴史に刻んでいる。シュケルという絶対の決め手を持ったクロアチアは初出場ながら、銅メダル(3位)を手にする快挙を成し遂げた。

 この「新興国」に準々決勝で苦杯をなめたのが大国ドイツだ。前回のアメリカ大会もクロアチアと同じ東欧のブルガリアに準々決勝で敗れており、またもやベスト4に残れなかった。敗因は深刻な人材不足にあったと言っていい。キャプテンで主砲のユルゲン・クリンスマンは33歳で、優勝した1990年イタリア大会の英雄であるローター・マテウスに至っては37歳の老兵に成り果てていた。そのマテウスが通算23試合出場の大会新記録を作ったこと以外、喜ばしいトピックスはほぼなかった。そのドイツが倒れる前に大会から姿を消したイングランドの方がむしろ、人々の記憶に深く残ったかもしれない。PK戦までもつれたアルゼンチンとの決勝トーナメント1回戦は、数多くの専門家から高く評価される大会有数の好ゲームだった。ディエゴ・シメオネの誘いに乗って報復行為に及び、退場処分となった若き日のベッカムが「愚か者」のレッテルを貼られる一方、18歳の超新星マイケル・オーウェンには手放しの称賛が集まった。アルゼンチンの寄せ手を次々とかわし、鋭くゴールを射抜いた離れ業は今大会のハイライトの一つ。アルゼンチンが生んだ巨星ディエゴ・マラドーナさえも「今大会のベストゴールだ!」と、感嘆の声を上げたという。

 もっとも、次の準々決勝で大会を彩る「もう一つの傑作」が生まれている。相手は同じアルゼンチン。得点者は『アイスマン』と呼ばれたオランダの鬼才デニス・ベルカンプだ。後方から放り込まれたフランク・デ・ブールのロングパスが磁石のようなベルカンプの右足に吸いついた次の瞬間、同じ右足アウトで軽やかにGKの脇を抜いた。まさに電光石火の早撃ち――。いや、誠に美しい芸術品だった。こうしてオランダは1978年アルゼンチン大会以来のベスト4に駒を進め、今大会最強との評価を固めつつあった。だが、そのオランダも、クロアチア同様、ファイナルにたどり着くことはなかったのである。

 決勝のカードはフランス対ブラジル。それはワールドカップ史上一度も例がない「開催国」と「前回王者」の激突でもあった。準決勝で天敵オランダをPK戦の末に葬った王国ブラジルには、1962年チリ大会以来の連覇がかかっていた。それも十分に可能――。そう信じるに足る根拠もあった。それが『怪物』ロナウドだ。弱冠21歳にして、すでに世界最高のフットボーラーと称えられていた。準決勝を終えた時点で4得点3アシスト。その数字ですら物足りなさを感じさせるほど、底知れない能力を備えていた。

 一方のフランスは、固い結束力をもって最後の大舞台に立っていた。ジネディーヌ・ジダンという偉才はいたが、その両足にすべてを委ねていたわけではない。ローラン・ブランの「黄金のゴール」によって粘るパラグアイを辛うじて退けた決勝トーナメント1回戦では、ジダンの姿がなかった。出場停止処分を科されていたからだ。イタリアとの準々決勝もPK戦の末に辛うじて勝ち抜く際どさ。延長でイタリアの英雄ロベルト・バッジオの放った美しいボレーがゴールを捕えていたら、この日の彼らはなかった。決め手不足も深刻だった。1トップを担ったステファヌ・ギバルシュの名前を覚えている人は少ないだろう。クロアチアに足をすくわれかけた準決勝でチームを救ったのは、独りで2点を奪った右サイドバックのリリアン・テュラムである。フランスの生命線は、7人で強固なブロックを築く鉄壁の守備にあった。ブラジルの矛か、フランスの盾か。7月12日に開催された決勝はしかし、意外なスコアで幕を閉じた。

フランス代表

決勝は開催国フランスが快勝 [写真]=FIFA/FIFA via Getty Images

 3-0。ホストの快勝である。CKから放ったジダンの2本のヘディングシュートがゴールに吸い込まれた時点で、勝負の行方はほぼ決していた。躍動するジダンとは対照的に、王国の絶対エースは沈黙したままだった。試合開始の数時間前、謎の発作で口から泡を吹いていたという。マリオ・ザガロ監督は異例の事態に見舞われたロナウドの名前を一度は先発リストから消したが、試合直前に下されたドクターのGOサインで先発起用に踏み切っている。その判断が結果的に裏目に出た格好か。

 こうしてワールドカップの栄冠が史上初めてフランスの手にわたった。初代王者のウルグアイから数えて7カ国目の優勝国になる。なお、ホスト国の優勝は1978年大会のアルゼンチン以来、20年ぶりのことだった。

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