攻撃的なスタイルを貫いたスペインが優勝した [写真]=FIFA/FIFA via Getty Images
それは、新しい時代の到来だった。1960年、脱植民地化が加速したアフリカ大陸で、次々と独立国家が誕生する。その数は従来の「9」から一気に「26」まで増えた。いわゆる『アフリカの年』だ。それから半世紀を経た節目の年に、地上最大のイベントが初めて、アフリカ大陸で開催される。2010年のワールドカップだ。舞台は南アフリカ。悪名高いアパルトヘイト(人種隔離政策)はすでに廃止され、アフリカ諸国のなかで唯一G20(主要20カ国)の一角を占める、大陸随一の経済大国でもあった。もっとも、初のアフリカ開催で強調されてきた道義的な側面は建前に過ぎない。実際は権力者のむき出しの本音がもたらした産物だろう。ゼップ・ブラッターがFIFA(国際サッカー連盟)の会長選挙で、開催の見返りに「アフリカ票」をごっそりいただくための企みだった。なお、南半球での開催は南米のアルゼンチンをホストにした1978年大会以来、実に32年ぶり。大会に先駆け、アフリカ勢はもとより、南米勢の躍進がささやかれてもいた。
だが、肝心のアフリカ勢は完全に期待を裏切ることになる。その最たる国がホストの南アフリカだ。1994年アメリカ大会でブラジルを優勝へ導いた名将カルロス・アルベルト・パレイラを監督に据えた効果もなく、ベスト16の切符を逃がしてしまう。ホスト国のグループステージ敗退は大会史上初。そんな不名誉な記録とともに、バファナ・バファナ(南アフリカ代表の愛称)の「短すぎる夏」が終わり、耳をつんざくようなブブゼラの音だけが残された。また、例の『アフリカの年』に独立を果たしたコートジボワール、カメルーン、ナイジェリアの3カ国も3試合で姿を消し、1962年に独立した北アフリカのアルジェリアも1勝もできずに敗退。列強の草刈り場と化している。
唯一の救いはガーナの躍進だ。グループステージでは勝ち点4にとどまったが、セルビアが引き分けでも良かった3戦目でオーストラリアに不覚を取り、辛くも2位にすべり込む。さらに決勝トーナメント1回戦では主砲アサモア・ギャンの決勝点でアメリカに競り勝ち、初の8強入り。メンバーの平均年齢が大会最年少という若さ、いかにも当世風の組織力をもって、ベスト4にあと一歩のところまで迫った。
辛うじて面目を保ったのはアフリカ勢だけではない。前回大会で出場4カ国が「全滅」していたアジア勢も日本と韓国がそろってグループステージを突破。互いに自国開催以外でベスト16に勝ち上がるのは初めてだった。日本は大会直前、本田圭佑を最前線に据えた4-1-4-1の新布陣へシフト。本田の一発でカメルーンとの初戦を制して一気に波に乗ると、突破の懸かった第3戦で格上のデンマークを3-1と退けた。3点のうち2点は本田と遠藤保仁の直接FKによるものだ。イングランドのファビオ・カペッロ監督が「史上最悪」と切り捨てた公式球の『ジャブラニ』に各国の選手が手を焼く中、日本の優秀なキッカーたちはその扱い方を心得ていた。今大会で得点が生まれた直接FKは計4本。1試合に2本のFKが決まったのは1996年イングランド大会のブラジル(ペレとガリンシャ)以来、44年ぶりのことだった。
なお、ベスト16の内訳はアフリカが1、アジアが2、北中米が2。残りの11枠をヨーロッパと南米が分け合った。いや、南米勢(5カ国)はすべて勝ち残ったと言うべきだろう。これに対して、ヨーロッパ勢は半数の6カ国が敗退の憂き目に遭う。そのリストには2つの大国が含まれていた。4年前のファイナリストであるイタリアとフランスだ。イタリアが2分け1敗なら、フランスは1分け2敗。一度も勝てずに大会から放り出されている。連覇を狙ったイタリアは3試合でことごとく先制点を許す、らしからぬ展開に苦しみ、名将マルチェロ・リッピも天を仰いだ。フランスに至っては内容以前の問題。言わば「内なる敵」との戦いに明け暮れた末の自滅だった。指揮官のレイモン・ドメネクには求心力のかけらもなく、悪態を突いたニコラ・アネルカを途中で追放し、チーム3戦目を待たずに崩壊していた。
前回王者のイタリアに代わって2位にすべり込んだのは、今大会で唯一の初出場国でもあるスロバキアだ。第3戦で巨漢ローベルト・ヴィッテクの2得点などでイタリアを蹴落とす金星を手にした。逆にジャイアントキリングをやってのけながら、16強入りを逃がしたのがスイスだ。初戦で優勝候補の最右翼と目されるスペインを1-0で破りながら、残り2試合で勝ち点1にとどまり、2位の座をチリに持っていかれた。奇才マルセロ・ビエルサが率いたチリは今大会でも屈指の好チームだった。多くの国々が守備ブロックを深めに設定し、カウンターアタックを狙う中、前線から圧力をかけて敵を呑み込んでいく「前のめり」のサッカーで異彩を放った。もっとも、チリを含む伏兵たちは8強を前に次々と倒れていく。日本がパラグアイ、韓国がウルグアイと同じ南米勢に競り負け、ベスト16の常連であるメキシコも南米の超大国アルゼンチンの狡猾さにしてやられた。
次にベスト8で沈んだのは南米勢だ。カウンター志向の強かったブラジルはオランダに競り負け、神の子リオネル・メッシを擁したアルゼンチンもドイツに0-4の惨敗。さらに本命のスペインに食い下がったパラグアイも最後はダビド・ビジャの一発で息の根を止められた。辛くも生き残ったのはPK戦の末にガーナを破ったウルグアイだ。それも、延長後半に露骨なハンドでゴールを阻んだルイス・スアレスの一発退場と引き換えにたぐり寄せたものだった。スアレスを欠いた準決勝でオランダに屈することになる。だが、ケガを抱えながら一矢を報いたディエゴ・フォルランの決定力と伝統の守備力は古豪復活を印象づけるに十分なものだった。そして3位決定戦で通算5点目を決めたフォルランがMVPと得点王の二冠に輝いている。
南米最後の砦が崩れ、いよいよヨーロッパ勢に絞られた。オランダが32年ぶりに決勝へと駒を進めた翌日の準決勝では、スペインがドイツを相手にファイナルへの切符を掴む。その結末はパウルの「予言」通りでもあった。今大会のドイツ戦と決勝を含む、全8試合の勝敗予想をことごとく的中させて話題をさらったドイツの水族館にいるタコのことだ。スコアは1-0。だが、点差以上の快勝だった。列強を血祭りに上げてきたドイツの速攻は鳴りを潜め、防戦一方。自慢の走力も削り取られ、反撃に転じる余力も残っていなかった。
「彼らは強すぎた。きっと世界一になる」
試合後、ドイツのヨアヒム・レーヴ監督は脱帽の体だった。それから数日後、今度はオランダの指揮官ベルト・ファン・マルワイクがカブトを脱いだ。
「とにかく、これだけは言いたい。我々は強い相手に負けたのだ」
ウェズレイ・スナイデルが弓を引き、アリエン・ロッベンという鋭い矢を放って勝ち上がってきたオランダも決勝では、ほとんど成す術もなく敗れている。勝者は最強チームのスペインだった。多くの国が敵の守備ブロックを攻めあぐねる中、スペインだけがそれを内側から破壊している。小さな隙間を利用し、人から人へボールを逃がす空前のパスワークはそれ自体、一つのアートと言っても良かった。粘るオレンジ軍団を仕留めるまでに116分を費やしたものの、主導権は常にスペインの手の中にあった。そして、延長後半にオランダのDFヨニー・ハイティンハが2回目の警告で退場処分。これで流れは大きくスペインへと傾き、あとはアンドレス・イニエスタの「祝砲」を待つだけだった。
こうして史上8番目の優勝国となったスペインには、たった独りで試合を決めるメッシのようなスーパースターはいない。それでも、他を圧倒する異例のチャンピオンでもあった。天才に代わり、チーム全体でマジックを生み出していく。それは、新時代の到来を告げていたかのようだ。サッカー界における2010年は、まさに『スペインの年』だった。