2003年当時のディエゴ・マラドーナ・ジュニア [写真]=Getty Images
ディエゴ・マラドーナがメキシコ・ワールドカップで世界一の座を手に入れてから2016で丸30年が経過したことを記念し、『サッカーキング』ではマラドーナ特集を展開。今回は過去に発刊していたサッカー雑誌『サッカーズ』が2004年に実施したディエゴ・マラドーナの息子、ディエゴ・マラドーナ・ジュニアのインタビューを紹介する。
1986年にナポリで誕生したマラドーナ・ジュニアだが、誕生から苦難が襲う。実はマラドーナがナポリ在籍時代に愛人であるクリスティアーナ・シナグラとの間に授かった子どもだったのだ。マラドーナは当時、アルゼンチン時代から交際していたクラウディア・ビジャファーネという彼女がいたため(後に結婚し、現在は離婚)、子どもの認知を巡り、裁判沙汰に。結局はマラドーナの実子であることが立証されたが、父親との交流は現在まで、ほぼない。
選手としてはナポリの下部組織でプレーし、14歳の時にU-17イタリア代表に選出されるほど有望であったが、プロ選手としてはセリエDが一番高いレベルのカテゴリでのプレーとなるなど大成せず。その後はビーチサッカーのイタリア代表として2009年のW杯に出場するなど、活躍の場を広げた。
2004年、プロ選手としての活躍を目標とし、偉大な父の幻影とも戦っていた当時18歳の息子の想いを振り返る。
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[写真]=Getty Images
<インタビュー・アーカイブ>
プロデュース=高山港
インタビュー・文=マヌエル・パルラート
[月刊サッカーズ 2004年8月号掲載]
ナポリの町にはディエゴ・マラドーナの実の息子がいる。永遠に語り継がれるであろう、ナポリの町と≪ピーベ・デ・オーロ≫(ゴールデンボーイを意味するスペイン語。マラドーナのニックネーム)の愛の結晶とも言うべきジュニアがいる。
彼の名前はディエゴ・マラドーナ・ジュニア。≪ピーベ・デ・オーロ≫と同姓同名の彼は、現在17歳で、父親が栄光を築き上げたナポリの下部組織でプレーしている。
天才ディエゴ・マラドーナとマラドーナ・ジュニアのストーリーは、1986年の9月19日に幕を開けた。それは、≪マラドーナのナポリ≫がチーム創設以来初のスクデットを手にするシーズンが開幕する直前だった。マラドーナにとっては、86年W杯メキシコ大会でアルゼンチンを優勝に導いた直後の出来事、世界中にその卓越したテクニックを誇らしげに見せつけた直後の出来事だった。世界中のマスコミが、衝撃的なニュースを流したのである。
「マラドーナには、ナポリの女性に産ませた子供がいる」
母親の名前はクリスティアーナ・シナグラ。マラドーナの≪たった一人の息子≫を抱いた彼女の写真も世界各国に発信された。
≪たった一人の息子≫と表現したのには理由がある。同時期に、マラドーナはアルゼンチン人のクラウディア・ビジャファーネと結婚しており、彼女との間には2人の子がいるのだが、クラウディアが出産したのは2人の娘(ダルマとジャンニーナ)であり、男の子は誕生しなかったのだ。
この時、ジュニアの認知を巡ってマラドーナとナポリ法廷は論争を巻き起こしている。マラドーナは自らの責任回避のため、法廷から要求されたDNA検査も拒否した。だが、すべての証言、すべての証拠がマラドーナとジュニアの親子関係を明確に証明した。ジュニアの父親がマラドーナであると判決した法廷は、マラドーナに対してジュニアが18歳になるまで養育費を支払い続けるよう命じたのだった。
ジュニアは、マラドーナの生き写しと言われるくらい父親によく似ている。さらには、顔立ちだけでなく、ピッチ上のしぐさも父親似だと言われている。ナポリの下部組織でプレーするジュニアに、若き日のマラドーナの姿を重ねるファンは少なくない。そのジュニアは3年前の2001年8月、14歳でU-17イタリア代表に初招集され、A代表との練習試合に出場した(公式戦ではないので代表デビュー戦とはならなかったが)。彼は敬愛するアレッサンドロ・デル・ピエロと同じピッチでプレーしたのである。
イタリアのジャーナリストの多くは、ジュニアはマラドーナから≪サッカーのDNA≫を継承したと断言する。ジュニアは父親のプレーをビデオでしか見たことがないし、雑誌や新聞で彼のサッカー人生を知っただけである。たとえそうであっても、ジュニアはマラドーナのプレースタイルを生まれつき継承したのだと、多くのジャーナリストが断言しているのである。
ジュニアは父親とビデオや雑誌の世界でしか会ったことがない。彼は長い間、父親とのぬくもりを感じたいと願っていた。2002年1月18日、ジュニアは父親へのメッセージをしたためている。
「この言葉が父の心に届くことを願っています。僕は未だに、父に抱きしめられたことも、父を抱きしめたこともありません。僕はそんな心の痛みを抱えながら毎日を生きています。母が僕に与えてくれた大きな愛があるからこそ、心の痛みを乗り越えて生きてこられたのだと思います。今、あなたにも人生の恵み、美しさを感じ取ってほしい。今抱えている大きな悩みに立ち向かえるだけの心の平静さを取り戻してほしい。人生においてもカンピオーネであってください」
ジュニアの「父に会いたい」という願いは、時の経過とともに高まっていった。ジュニアはすでに成人に近い年齢に達している。「近いうちに、僕は飛行機に乗ってキューバに行く。父に会いに行くんだ」と彼は言う。
そんな彼に、父親と出会う機会が突然訪れた。2003年の5月19日、ナポリ時代のチームメート、ベッペ・インコッチャーティが主催するゴルフ・トーナメントに参加するため、マラドーナはローマ近郊のフィウッジという町にやって来たのだ。ジュニアは関係者を装ってフィウッジのトーナメント会場に忍び込んだ。そして、プレー中の父親に近づいて行く……。ジュニアの姿を見たマラドーナは、最初、彼をファンの一人と見なしたようだ。だが、すぐに、その子が自分の息子であることに気がつき、ジュニアを強く抱きしめた。マラドーナが息子に与える初めての抱擁だった。
この日、新たなマラドーナ・ストーリーが始まった。夢と希望に満ちたジュニアのストーリーが始まったのである。
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[写真]=Getty Images
父さんに元気になってほしい。そうしたら……
マラドーナ・ジュニア、君は14歳の時にU-17イタリア代表に招集されたよね。その時はどんな気分だった?
ディエゴ・マラドーナ・ジュニア(以下、DMJ) まだそんなに長く生きているわけじゃないけど、U-17代表に呼ばれた時は、14年間生きてきた中で最高に感激した瞬間でした。代表のユニフォームを着るということは、サッカー選手にとって最高のことですからね。特に僕の場合はあの時が初めてだったし。それに、あの日は練習試合だというのにマスコミの数がものすごく多かった。イタリアA代表との練習試合だったんです。観客も僕に対してすごく好意的でした。それに、カンナバーロ、インザーギ、トッティ、それにデル・ピエロ、みんな優しく接してくれました。
彼らは何か声をかけてくれたのかな?
DMJ 試合中に、「頑張れよ」って言ってくれました。デル・ピエロも声をかけてくれたんだけど、その時の言葉はすごく印象に残っていますね。
デル・ピエロは何て言ってくれたの?
DMJ 「周囲の雑音にとらわれずに成長していくんだ。練習に集中できることを願っているよ」って言ってくれました。
現実は? そのとおりになっている?
DMJ それは残念ながら……。現実はそうはいっていません。
なぜ?
DMJ やっぱり、≪マラドーナ≫という名字を持っていますから。あの偉大なディエゴ・マラドーナと同姓同名。しかも、サッカー選手で、ナポリでプレーしている。注目を浴びないわけがないし、穏やかで落ちついた生活をすることは難しいですよ。
ディエゴ・マラドーナはナポリのアイドルだ。それなのに、≪マラドーナ≫という名字であることが、ナポリの町ではハンディキャップになると言うのかい?
DMJ 自然体でいることが難しいというか、この町では僕らしくいることがかなり難しいというのが現状ですね。残念ながら、世の中には嫉妬深い人もいますから。そういう人々は、僕の生活を邪魔しようと、僕が進もうとする道に障害物を置くんです。ただ、僕は頑固なところがあるから、そんな障害物の前で立ち止まるつもりはありませんけどね。どんなことをしても、その障害を越えて行きます。
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[写真]=Getty Images
君のサッカーへの情熱はどのようにして生まれたのかな?
DMJ 生まれつきだと思います。生まれた瞬間からサッカーが好きだったんです。それに、その情熱は日に日に増しています。家族と一緒にスタジアムへ観戦に行くたびに、情熱は高まっていきますし。親に聞いた話だと、5歳の頃にはもうサッカーボールが僕のお気に入りのおもちゃだったそうです。僕自身はほとんど覚えていないんだけど(笑)。
君が伝説的プレーヤー、ディエゴ・マラドーナの息子だと聞かされたのはいつ頃?
DMJ うーん……はっきりとは覚えてないですね。ただ、すごく小さな頃からそのことについて知っていたのは確かです。ただ、その事実を知るまでは、「なんで父さんに会えないのか?」「なんで父さんは僕と一緒に住んでいないのか?」って不思議に思っていましたけどね。その事情を知った時点で、父さんのビデオを買い集めました。あと、父さんのサッカー人生を伝える本や雑誌もたくさん買いましたね。
ビデオや本を見て、サッカー選手・マラドーナについてどんな印象を持った?
DMJ それは、他の人が父さんのプレーを見て思うのと同じ気持ちですよ。
もう少し詳しく聞かせてくれるかな。
DMJ サッカーというスポーツが誕生して以来、最高のプレーヤーだということです。ビデオは何度も巻き戻して見たけど、父さんのプレーには驚いてばっかりです。
じゃあ、父親・マラドーナへの想いは?
DMJ 僕は心から父さんを愛しています。それは父さんも知っているはずです。
2013年5月、フィウッジのゴルフ場でお父さんと初めて会ったんだよね。君の想いを直接伝えたのかい?
DMJ はい。「愛してるよ」と伝えました。他にもいろいろ話をしたんだけど、その内容は僕と父さんの秘密です。一つだけ言えるのは、あの時が、僕の17年間の人生の中で最も感動した瞬間だったということです。だって、17年間も待ち続けたことが実現したんですから。あの時の感動を言葉で表現するのは難しいですね。でも、口に出すと感動が薄れてしまうような気もするし。
その後は連絡を取り合っているの?
DMJ いえ。何の連絡もありません。
お父さんが倒れたということは知っていると思うけど、そのニュースを聞いた時はどう感じた?
DMJ すぐに飛行機に乗ってアルゼンチンまで飛んで行きたいと思いました。ただ、今は父さんのところに行くべきではないとも思ったので、父さんの友達から容態や状況を聞きました。
友だちとは誰のこと?
DMJ カタンザーロに住んでいるステーファノ・チェーチという人です。父さんとはすごく仲が良いんです。彼にはよく電話をかけて話を聞いています。電話と言っても、「父さんの具合はどうなの?」と聞くだけですけど。
今の君の願いを聞かせてくれるかな?
DMJ 父さんに元気になってほしい。そうしたら……。
そうしたら……?
DMJ そうしたら、僕はアルゼンチンに行こうと思っています。父さんにはもちろん、妹のダルマやジャンニーナにも会いたいんです。
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[写真]=Getty Images
少しでも父さんに近づけるように、努力していきます。
君のお父さんが日本を何度か訪れたことは知っているかな? それに、君の叔父に当たるウーゴ・マラドーナは3年間日本のチームでプレーしている。要するに、マラドーナ家は日本とつながりがあるんだけど、君自身、いずれは日本でプレーしたい、なんて思いはある?
DMJ 日本にはすごく魅力がありますね。ただ、サッカーに関しては、残念ながらほとんど情報が入らないから何とも言えません。日本のリーグ戦のビデオも見られないし。ただ、たくさんのビッグネームが日本でプレーしていることは聞いています。サッカーの世界に国境はないし、僕が2、3年後に日本でプレーしている可能性もありますよね。日本のサッカーと言えば、ナカタとナカムラのことはよく知っていますよ。
2人に対する印象を聞かせて。
DMJ 2人ともすごく良い選手。2人とも10番としてのプレーができる選手ですよね。他の選手とはひと味違う、という印象を持っています。その中でも、ナカタのほうが≪すべてを兼ね備えた選手≫というイメージがありますね。多分、イタリアでの経験が影響しているんだと思います。
君のサッカー選手としての夢を聞かせてくれる?
DMJ ナポリのブルーのユニフォームを着て、スタディオ・サン・パオロの8万人の観衆の前でプレーすること。
ナポリのトップチームに上がったら、背番号は何番を希望する?
DMJ 父さんがつけていた背番号10は2003年から永久欠番になっているんですよね。でも、息子の僕が欲しいと言えば、クラブは反対しないと思うんだけど……。
ナポリ以外でプレーしたいと思うチームはある?
DMJ レアル・マドリードとかリーベル・プレートは憧れです。あと、アーセナルとかマンチェスター・Uにも惹かれますね。
君の趣味は?
DMJ スポーツです。サッカー以外だとバスケットボールが好き。ナポリには強いチーム、ポンペアというチームがあるんです。そのゲームはほとんどすべて観てますね。それくらいバスケットが好きなんですよ。
君の目標にしているプレーヤーは?
DMJ デル・ピエロ。僕にとってはあらゆる面で最高の人。サッカー選手としても最高だし、人間としても素晴らしい人ですから。
君が尊敬するサッカー選手のリストで、ディエゴ・マラドーナは何番目に位置しているのかな?
DMJ もちろん、リストの一番上です。父さんのレベルに達することは不可能ですから。真似することだってできないんですからね。あらゆる選手の中で、ディエゴ・マラドーナは最高の選手だと思っています。
君は、その父にどこまで近づきたいと思っている?
DMJ 父さんに近づくためには、≪魔法の足≫が必要です。僕はまだ≪魔法の足≫を持っていないけど……。でも、できるだけ努力するつもりです。少しでも父さんに近づけるように、これからも努力していきます。
By サッカーキング編集部
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