「フィリピンの血を引く選手」を招集する独自の代表強化策で力をつけてきているフィリピン代表
フィリピンの進化が止まらない。東南アジアでも最下位グループの弱小だった国が、今や東南アジア最高位へと上り詰めた。 果たしてフィリピンが取り組んだ独自の代表強化策とは。そして次なる目標とは――。
文=本多辰成
写真=Getty images
■フィリピン代表の変貌
近年、成長著しい東南アジアを代表する国と言えば真っ先に浮かぶのはタイだろう。だが、実は最新のFIFA(国際サッカー連盟)ランキング(2017年10月)で東南アジアの最上位にランクされているのはタイではない。タイを抑えてトップに君臨するのはフィリピン。どちらかと言えばバスケットボールや野球といったアメリカンスポーツのイメージが強いこの国も今、大きな進化を遂げようとしている。
2010年代に入るまでのフィリピンは、東南アジアでも最下位グループの弱小国だった。今や東南アジア最高位(116位)となったFIFAランキングも2006年には195位まで落ち込んでいた。1996年から隔年をベースに開催されているAFFスズキカップ(東南アジア選手権)でも、第1回大会から4大会連続で全敗でのグループステージ敗退。2008年大会までは全くのアウトサイダーで、タイ、シンガポール、インドネシア、ベトナムといった上位国とは大きな実力差があった。
転機となったのは2009年。今シーズンはAFCチャンピオンズリーグのプレーオフにも出場した強豪のグローバル・セブFCのオーナーであるダン・パラミ氏が代表チームのマネージャーに就任したのを機に、フィリピンならではとも言える強化策が動き出した。国民の約1割が海外で働いているという同国の特徴に目を付け、世界中に点在する「フィリピンの血を引く選手たち」を招集することでフィリピン代表を一気に生まれ変わらせようとしたのだ。
強化はすぐに結果に表れた。2010年のAFFスズキカップで、フィリピンは史上初めてグループステージを突破してベスト4に進出。原動力となったのはイングランド生まれでチェルシーのユースで育ったジェームズとフィリップのヤングハズバンド兄弟だ。以降、サッカー先進国で育ったフィリピン系選手を発掘する動きは加速していき、2012年、2014年の同大会でも準決勝まで進んで3大会連続のベスト4入り。弱小だったフィリピン代表は一躍、東南アジアで上位の地位を確立し、思惑通りの変貌を遂げることに成功した。
■日本育ちの選手たちも活躍
独自の代表強化策によって世界中から集められたフィリピン系選手たちの中には日本育ちの選手もいる。その代表格が日本人の父とフィリピン人の母を持つ佐藤大介だ。フィリピンのミンダナオ島ダバオで生まれた佐藤は幼い頃に日本へ移住し、浦和レッズのユースで育った。その後、仙台大在学中だった2014年に母の母国でプレーすることを決意し、グローバルFC(現グローバル・セブFC)と契約。すぐにフィリピン代表にも招集され、左サイドバックのレギュラーに定着した。2016年にはルーマニア1部のポリテフニカ・ヤシ、今シーズンはデンマーク1部のACホーセンスでプレーしており、フィリピンを起点に着実にキャリアを築いている。
東南アジア内で有力国となったフィリピンは、アジアレベルでも徐々に存在感を示し始めている。ワールドカップロシア大会のアジア2次予選では朝鮮民主主義人民共和国、バーレーンに勝利するなど勝ち点10を挙げてグループ3位の好成績。最終予選進出の可能性さえ感じさせたフィリピンの戦いぶりは、同予選におけるサプライズの一つだった。そして、現在行われているAFCアジアカップ2019の3次予選では2節を残してグループ首位に立ち、同国史上初となるアジアカップ本戦出場も現実味を帯びている。
現フィリピン代表にはイングランドU-18代表歴のあるルーク・ウッドランド、ドイツ育ちのマニュエル・オット、マイク・オットの兄弟、スペイン生まれで中国スーパーリーグの河南建業でプレーするハビエル・パティーニョらサッカー強国で生まれ育った選手たちが並ぶ。さらに、佐藤と同じくフィリピン人の母を持つ嶺岸光はフィリピンリーグでMVPの活躍を見せて代表に定着しており、日本育ちの選手も二人が主力を張っている。
フィリピン代表には現地の言葉で「雑種犬」を意味する「アスカルズ」という愛称がある。世界各地で生まれ育った選手たちの集まりであることを表すものだ。その成り立ちを考えると愛国心や団結の面などで問題はないのだろうかとも危惧するが、佐藤はそれを否定する。「それぞれ別の国で育っていても、『やっぱりフィリピン人だな』と感じるところがあるんです。心の優しさやフレンドリーなところをみんな持っていて、ファミリーのように感じています」
劇的な進化を遂げた「アスカルズ」が、アジアの大舞台に登場する日は近い。