文=小川由紀子 Text by Yukiko OGAWA
写真=小川由紀子、アフロ、ゲッティ イメージズ Photo by Yukiko OGAWA, AFLO, Getty Images
協力=柳川雅樹、大村真也 Special Thanks to Masaki YANAGAWA, Masanari OMURA
初のAFCアジアカップ参戦
2019年のAFCアジアカップに、フィリピンは同国史上初めて参戦する。
この大会から出場国が16から24に拡大になったからじゃないか、などという夢のない話はこの際置いておこう。バスケットボールがナショナルスポーツと呼ばれ、テレビもスポンサーもファンも根こそぎこの競技に持っていかれているこの国にとって、これは大変な快挙なのだ。
今年3月27日に首都マニラで行われた3次予選最終戦は劇的なエンディングだった。負ければ敗退決定のタジキスタン戦で、64分にPKから先制を許したフィリピン。しかし74分に1点を返して試合をイーブンに戻すと、アディショナルタイムにPKをゲット。これをキャプテンのフィル・ヤングハズバンドがきっちり決めて、逆転勝利とともに悲願のAFCアジアカップ出場権を獲得した。
来年1月の本戦、グループCで対戦するのは韓国、中国、そして同じく初出場のキルギスと厳しいグループだが、どんな相手にもおじけづくことなく向かっていくのが彼らの愛称がアスカルズ(Azkals=野犬)たるゆえん。ストリートドッグらしく果敢に挑んでほしいところだ。
FIFAランキングもここ数年歴代最高を更新し続け、今年5月にはこれまでで最高の111位(現在は114位)にランクアップ。現在はベトナムに追い抜かれたが、昨年は東南アジア諸国のトップに立った。タイやマレーシア、インドネシアといったサッカーがより根付いている国々を上回った功績は大きい。
「我々がどれくらい遠いところから出発したかを思えば、フィリピンのサッカーは順調に進歩を遂げていると言えるでしょう」
そう話すのは、チームマネジャーのダン・パラミ氏だ。巷では、「フィリピン代表のオーナー」と呼ばれるビッグボスである。一国の代表チームが個人オーナー? と不思議に思うかもしれない。パラミ氏自身も「代表チームはフィリピン国民全員のもの」と話すが、そう呼ばれるゆえんは、数年にわたりパラミ氏が私財からフィリピン代表の運営費を100パーセント出資していたことだ。
パラミ氏がフィリピン代表の運営に携わることになったのは2010年。この年は、フィリピンサッカーが大躍進を遂げた節目の年でもある。この年のAFFスズキカップ(東南アジアサッカー選手権)で、それまで本戦出場すらかなわなかったフィリピンは、なんと準決勝進出を果たした。
グループステージでは前年度優勝者のベトナムを破り、この一戦は「ハノイの奇跡」とも呼ばれている。当時フィリピンには国際マッチの規格に適したホームグラウンドすらなく、ホーム・アンド・アウェーで戦うはずの準決勝戦を、2試合ともインドネシアで戦うような状況だった。
それが来年はAFCアジアカップに出場とは。パラミ氏の言うように、フィリピン代表は短期間で飛躍的な進歩を遂げたといえる。
8割を占める国外出身選手
この2010年のAFFスズキカップで一躍名を上げたのが、前のフィルと兄ジェームズのヤングハズバンド兄弟だ。彼らやGKニール・エザリッジなど、国外で生まれ育った選手のうち数名はこの大会以前にもフィリピン代表でプレーしていたが、この大会で本戦に出場させることを公約に掲げていたパラミ氏は、バンコクにベースを置くフットボール専門のマネジメント会社『360』の力を借りて、世界中に散らばるフィリピン国籍取得可能な選手のリクルートに本格的に取り組んだ。
フィリピンでは、OFW(オーバーシーズ・フィリピーノ・ワーカーズ)と呼ばれる、海外で働いて国に仕送りする、いわゆる出稼ぎ労働者からの送金額が国のGDPの1割を超える重要な経済戦略となっているのだが、彼らが現地で家庭を持つケースも多く、その子孫は世界各地に多数存在している。そんなフィリピン人の血を引く二世の子女の中にはイングランドやドイツ、イタリア、スペインなどのサッカー大国で育成を受けている子供も多かった。
現在の代表は、およそ8割をフィリピン国外で生まれた選手が占めている。ヤングハズバンド兄弟はイギリス人の父とフィリピン人の母のもとイングランドで生まれ、チェルシーのユースでサッカー教育を受けた。マニュエルとマットのオット兄弟はドイツの生まれで1860ミュンヘンの出身。DFシュテファン・シュレックはU-20までドイツ代表に招集されていた。ロンドン生まれのニール・エザリッジは現在プレミアリーグのカーディフ・シティの第1GKだ。
日比ハーフの選手も活躍している。浦和レッズユース出身で代表キャップ35の中核プレーヤー、佐藤大介はタジキスタンとの決戦にフル出場、嶺岸光はその5日前に行われたフィジーとの親善試合で代表初ゴールをマークした。2人とも来年1月はAFCアジアカップの舞台に立つことだろう。
サッカー先進国で育成を受けた選手の一番の違いは、日常生活の中でサッカーに取り組む姿勢が身に付いていることだという。
現代表メンバーのGKパトリック・デイト、DFアマニ・アギナルド、FWジョビン・ベディックなど、フィリピンで生まれ育ったローカルプレーヤーの中にも良い選手はいるが、デイトは「海外で育った選手たちからは自分たちにないものを発見できる。それを吸収することで自分もますます成長できる」と海外育ちのプレーヤーの恩恵を実感している。
ヤングハズバンド兄弟の活躍も影響して、ここ数年は、彼らのような海外育ちのフィリピン人選手たちが続々フィリピンのクラブに集まってきている。
その理由は、以前よりもサッカーのレベルが向上したこともあるが、特にマニラ首都圏は近年近代化が進んで、欧州育ちの彼らが快適に暮らせる環境が整っていること、さらには日本円で1000万円に相当する高額サラリーを用意できるリッチなクラブが出現したことも大きい。
海外育ちの代表メンバーは、今シーズンの優勝チームであるセレスとダバオの2クラブに集中している。両クラブともフィリピンきっての実業家をオーナーに持つ金満クラブで、待遇はその他のクラブとは段違いだ。
住まいはマニラ市内の高級コンドミニアム。欧州なら2部リーグのクラブでレギュラー当落線か、という状況なら、フィリピンに帰って、高額のサラリーとステータス、代表選手のポストを手にするほうが魅力的だと思う選手は少なくない。
山積みの課題改善へ
そうやってこれから先、ますます海外で育成を受けた選手たちが集まってフィリピンサッカーのレベルは上がり続ける……と言いたいところだが、どうやらそう単純には行きそうにない。
現状、フィリピンサッカー界には問題が山積みだ。
第一に挙げたいのは、フィリピン育ちのローカルプレーヤーの育成が進んでいないこと。海外育ちの選手に頼るには限界がある。それに彼らの中には、先に挙げた好待遇など“おいしい”点だけ享受して、サッカーには熱心に取り組まない選手もいる。パラミ氏は草の根レベルの育成に力を注いでいると語り、FIFAのサポートもあって施設もできているらしいが、現状は十分には機能していない。クラブが運営しているアカデミーは月謝が高いこともあり、駐在員の子女や富裕層の子供たちが対象で、フィリピンでサッカー選手になることを夢見る地元っ子を育成する場にはなっていない。
2つ目は、選手には良い素材がいても、クラブやリーグを運営するマネジメント側にサッカーをよく知る人材がいないことだ。例えば、カップ戦の決勝に進んだクラブが、その一戦にどうしても勝ちたいがために、即戦力となれる選手をその試合のためだけに買い取る、といった仰天トランスファーなど日常茶飯事。前述のセレスやダバオも、豊富な資金をサッカーの質を向上させる正しいやリ方で使えていない。
3つ目は国内リーグの衰退。昨シーズン、新たにプロリーグ、フィリピン・フットボールリーグ(PFL)が発足し、いよいよかと思ったら、2年目の今年は参加クラブからして8から6へ減少と早くも後退している。同じ相手と年間5回も対戦するなど、あまりに面白みに乏しい。
後退の最大の要因は、フィリピンの特性を無視して、他国リーグのモデルを当てはめたことにある。例えばPFLの前身であるUFL(ユナイテッドフットボールリーグ)は、首都マニラのスタジアムでの一カ所開催制だったが、PFLを企画したマネジメント集団は、他国に倣って各都市にクラブの本拠地を置くフランチャイズ制を採用した。これにより、リーグに高額のフランチャイズ料上納を課せられて財政難に陥るクラブが続出。それなのに肝心な本拠地には満足なスタジアムがなくて結局マニラで試合していたり、予算が足りずにアウェーに出向けないチームは不戦敗になるなど、全く意味のないフランチャイズ制になっている。
時間をかけて熟成されたリーグのスタイルを、サッカー新興国がまねても仕方のないこと。フィリピンに合ったやり方を模索すべきだった。そもそも7000以上の島で成り立つこの国は陸路での移動が難しく、ただでさえ移動費用がかさむのだ。
リーグ運営を任された連盟事務局長の経験が浅く不慣れだったからこうなった、というのがもっぱらのうわさだが、来年は会長選挙があり、パラミ氏が候補に立つと言われている。パラミ氏の運営にも批判の声がないわけではないが、少なくとも彼はフィリピンのサッカーを発展させたいという情熱に溢れている。
来シーズンからは東南アジアの某国でプロリーグ運営を成功させたマネジメント集団と契約し、PFLを改変する計画が進んでいる。それが実現すれば、状況は今よりは好転するだろう。
カギを握る代表の活躍
いずれにしても、フィリピンサッカーを発展させるカギはアスカルズだ。パラミ氏も、「フィリピンのサッカーを発展させていくには、スタジアム整備などのインフラや、テレビ中継といったパブリシティー、スポンサー獲得などいろいろな面の充実が必要となりますが、それらを可能にするのが、アスカルズの躍進です」と語る。アスカルズはフィリピンサッカーの象徴的な存在。彼らが活躍すれば注目度が上がり、金銭も動く。
来年のAFCアジアカップに向けて、照準となるのは11月のAFFスズキカップだ。フィリピンは、インドネシア、タイ、東ティモール、シンガポールと同組のグループB。ちなみに、本田圭佑が参画するカンボジアはグループAだから、対戦が実現するなら準決勝以降となる。
アスカルズをAFCアジアカップ出場に導いたアメリカ人のトーマス・ドゥーリー監督は辞任し、後任に収まるはずだった元イングランド代表DFのテリー・ブッチャーとは、着任直前に双方の合意のもと話を白紙に戻した。そんなゴタゴタの末、監督に任命されたのはブッチャーのアシスタントを務めるはずだったスコット・クーパー。タイやインドネシアでも指導歴があり「現在考え得る最適任者」と期待されている。
フィリピンには、世界各地でサッカーを学んだ選手たちや、敏捷性やアジリティー、フィジカル能力に優れたローカル選手など、高いポテンシャルを秘めた人材が豊富にある。あとは、彼らが持てるものを最大限に引き出してやれる環境を整えることだ。マネジメントといったソフト面と、きちんとしたスタンドのあるスタジアムなどのハード面の両面でそれが必要になる。
この夏のワールドカップでフランス代表が優勝した後、アメリカのテレビプレゼンターが「アフリカが優勝した」と発言して物議を醸したが、ポジティブに受け取るなら、肝心なのは人種ではなく、きちんとした育成環境があれば、どの国の選手にだって優勝の可能性があるということだ。フィリピンだって、この先ワールドカップに出場できない理由はない。
フィル・ヤングハズバンドは、問題を抱えてあえぎながら進もうとしている現在のフィリピンサッカーを、「成長痛のようなもの」と例えた。数年後にビッグになるために、大いに失敗を繰り返し、痛い思いをしながら、前進していけばいい。