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“ボスマン判決”から25年…フリー移籍の選手で組むベストイレブン

2020.12.17

フリートランスファーでミランからユヴェントスへ移籍したピルロ [写真]=Getty Images

 1995年12月15日は、サッカー界に革命がもたらされた日だった。EU加盟国の選手が契約満了となった場合、同域内で自由に移籍できるとする判決を欧州司法裁判所が下したのだ。これを機に“ゼロ円移籍”が可能となり、訴えを起こしたベルギー出身のサッカー選手、ジャン・マルク・ボスマン氏にちなんで“ボスマン判決”と呼ばれるようになった。

 あれから25年が経過したことを受けて、イギリス紙『ザ・サン』はフリートランスファーで移籍した選手によるベストイレブンを発表している。

[写真]=Getty Images

▼GK

カシージャス

イケル・カシージャス(元スペイン代表)
2015年:レアル・マドリード→ポルト

9歳で下部組織に入団し、18歳でトップチームデビューを飾ってからは正守護神として君臨。レアル・マドリードの象徴でもあったカシージャスだが、ジョゼ・モウリーニョ監督との確執もあって次第にチーム内で孤立するようになり、2015年夏にフリーでの退団が発表された。半ば追放される格好となったが、移籍先のポルトで変わらぬパフォーマンスを披露。昨年5月に心臓発作を起こして現役引退を余儀なくされたが、第2のキャリアも充実したものだったと言える。

▼右サイドバック

カフー

カフー(元ブラジル代表)
2003年:ローマ→ミラン

2002年の日韓ワールドカップで、キャプテンとしてブラジル代表を優勝に導いたカフー。その1年後にローマを退団すると、横浜F・マリノスへの入団合意が報じられた。しかし契約解除の違約金を支払って、ミランへ電撃移籍。Jリーグでのプレーは幻に終わった。新天地でもセリエAやチャンピオンズリーグ(CL)優勝を果たしていただけに、あの時来日していれば……と悔やむファンも多かったはずだ。

▼センターバック

キャンベル

ソル・キャンベル(元イングランド代表)
2001年:トッテナム→アーセナル

トッテナムの下部組織で育ち、トップチームでキャプテンも務めたキャンベルだが、2001年に宿敵アーセナルへ移籍。移籍金すら残さなかったことで、トッテナム・サポーターからは「Judas(裏切り者)」と呼ばれ、以後行われた“ノース・ロンドン・ダービー”ではブーイングと侮辱の嵐が待っていた。とはいえ、アーセナルではリーグ無敗優勝を成し遂げるなど、決断の正しさを証明した。

▼センターバック

マティプ

ジョエル・マティプ(カメルーン代表)
2016年:シャルケ→リヴァプール

契約満了に伴い、8歳の頃から過ごしたシャルケを退団。2016年夏にリヴァプールへ移籍すると、2018-19シーズンにはフィルジル・ファン・ダイクとのセンターバックコンビでCL優勝に貢献した。クロップ監督はマティプの移籍について、「巨額の移籍金が動く今日のサッカー界において、彼の獲得は素晴らしいこと」、「最も素晴らしい移籍の一つになった」とコメントしている。

▼左サイドバック

ミルナー

ジェイムズ・ミルナー(元イングランド代表)
2015年:マンチェスター・C→リヴァプール

リヴァプールにとって、マティプ以上の“大当たり”と言えるのがミルナーだろう。マンチェスター・Cからの延長オファーを断ってフリーで加入すると、あらゆるタスクをこなしてクロップ政権を支えている。ファン・ダイクやアリソンなど、リヴァプールの近年の成功の要因が補強にあるのは明らかだが、移籍金に対する貢献度の高さという点ではミルナーもチームトップクラスだろう。

▼セントラルMF

ピルロ

アンドレア・ピルロ(元イタリア代表)
2011年:ミラン→ユヴェントス

イタリアサッカー界で最も有名なフリートランスファーの一つだろう。10年の蜜月の時を過ごしたミランからユヴェントスに移籍。ミランにとっては32歳という年齢がネックになったようだが、新天地でもチームの中心として活躍し、在籍した4シーズンすべてでセリエA優勝を成し遂げた。ライバルへの無料譲渡は、ミランにとって一生悔いの残るものだったに違いない。

▼セントラルMF

ポグバ

ポール・ポグバ(フランス代表)
2012年:マンチェスター・U→ユヴェントス

2012年にマンチェスター・Uの下部組織からトップチームに昇格するも、出場機会を求めて同年夏にユヴェントスへ移籍。するとピルロらとともに中盤を形成し、一躍ワールドクラスの仲間入りを果たした。2016年にマンチェスター・Uが買い戻した際に支払った額は1億500万ユーロ(現在のレートで約132億円)。高すぎる買い物だったのは誰もが認めるところだろう。

▼セントラルMF

バラック

ミヒャエル・バラック(元ドイツ代表)
2006年:バイエルン→チェルシー

マンチェスター・U、レアル・マドリード、インテル、ミランらも獲得に乗り出すなか、“ドイツの小皇帝”はバイエルンからチェルシーへの移籍を決断した。30代目前での国外挑戦となったが、在籍4年間でプレミアリーグ1回、FAカップ3回の優勝を達成。2012年には、ファン投票によって選出された「チェルシーの偉大な選手トップ100」で11位にランクインを果たした。

▼右ウイング

オコチャ

オーガスティン・オコチャ(元ナイジェリア代表)
2002年:パリ・サンジェルマン→ボルトン

パリ・サンジェルマンで10番を背負っていた男が、サム・アラダイス監督率いるボルトンへフリーで加入――今なら“フェイクニュース”と言われていたかもしれない。それほどサプライズだった移籍はしかし、本人にとってもクラブにとっても大成功に終わった。オコチャはピッチ上で数々の妙技を披露し、チームもリーグ・カップで準優勝を達成。2000年代のプレミアリーグを彩り、ファンに大きな夢を与えた。

▼左ウイング

ラウール

ラウール・ゴンサレス(元スペイン代表)
2010年:レアル・マドリード→シャルケ

レアルがモウリーニョ監督を招へいしたタイミングでシャルケへ移籍。33歳での海外初挑戦となったが、新天地で40ゴールを記録し、クラブを初のCL4強へと導くなどレジェンドに相応しい活躍を見せた。チームメイトとしてプレーした元日本代表DF内田篤人氏が「本当にとても、良いヤツ」と語ったとおり、飾らない人柄で多くの関係者に愛され、彼の代名詞である“背番号7”は一時的に永久欠番とされた。

▼センターFW

レヴァンドフスキ

ロベルト・レヴァンドフスキ(ドイツ代表)
2014年:ドルトムント→バイエルン

移籍が正式決定する1年前から、代理人がバイエルン行きを明言。ドルトムントのファンから大いに反感を買ったが、入団後はブンデスリーガ5度の得点王を獲得するなど、クラブ史に残る成績を叩き出している。昨年8月には2023年まで契約を延長。3冠達成の原動力となったことを思えば、極めて正しい判断だったと言えるだろう。

(記事/Footmedia

By Footmedia

「フットボール」と「メディア」ふたつの要素を併せ持つプロフェッショナル集団を目指し集まったグループ。

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