フィンランドの名門HJKヘルシンキでプレーする田中亜土夢 撮影:Mira Lonnqvist
イングランドやスペインなど欧州主要国は2020-21シーズン終盤を迎えているが、同じUEFA圏内でも春秋制を採用しているリーグがある。その筆頭が北欧・フィンランドのヴェイッカウスリーガ(1部)。2021シーズンが4月24日に開幕し、田中亜土夢が所属する名門のHJKヘルシンキはFCホンカと本拠地・ボルトアリーナで対戦。4-2で勝利し、幸先のいいスタートを切った。
大好きなサウナにちなんで37番を背負う33歳のアタッカーは、4-4-2のセカンドトップで先発フル出場。試合を通して巧みに攻撃の起点を作り、ダメ押しとなる4点目をアシストしてみせた。
「今季はゴール・アシスト合わせて2桁を目指します」と大きな目標を掲げる彼にしてみれば、まずまずの出だしだったと言っていい。この試合では出場選手の中で最年長ながら、走行距離ナンバーワンとなる約12㎞を記録。そのことにも、手応えを感じたという。
「フィンランドサッカーの歴史において、リーグ戦とカップ戦を2年連続で獲ったクラブは1つもないんです。2020年に2冠を達成し、今年もカップ戦で決勝まで勝ち上がっているHJKは今、大きなチャンスに直面している。まずは5月8日のカップ戦決勝に勝ち、リーグ戦も優勝できれば、歴史に名を残せると思う。その原動力になれるように頑張ります」と田中は改めて力を込めた。
2006年から10年間、故郷のクラブであるアルビレックス新潟でプレーした彼が2015年にフィンランドに赴いたのは、サプライズ以外の何物でもなかった。しかし、「コミュニケーションの部分も英語が通じましたし、すんなり入りこめました」と言うように、初めての異国適応は思いのほかスムーズだった。
その大きな布石となったのが、2015年2月10日のカップ戦でのデビュー戦ゴールだ。相手は1部のクラブだったが、名刺代わりの一撃をお見舞いし、周囲の信頼をガッチリつかむことに成功。1年目はリーグ戦31試合出場8ゴールという大活躍を見せる。2年目の2016年は17試合出場5得点とやや数字が下がったものの、2017年は33試合出場7ゴールと1年目同等の働きを披露。チームも2冠を達成し、エースナンバー10に相応しい存在感を示すことができた。
田中はその実績を引っ提げ、日本復帰という決断を下す。新天地はセレッソ大阪。2018年はユン・ジョンファン監督、2019年はロティーナ監督の下でプレーしたが、清武弘嗣、柿谷曜一朗ら日本代表経験者がひしめくアタッカー陣の選手層は厚く、異国で活躍して自信を深めていた彼といえども、思うようにはいかなかった。
「2年で2点という結果は満足できなかったですね。『もう1回、違う国に行きたい』と考えていた時に再びHJKからオファーをもらいました。美しい自然にサウナと、僕の大好きなものが揃っているフィンランドにまた行けるのは本当に嬉しかった。即決しましたね」
迎えた2020年。北欧の大地に舞い戻った田中を待っていたのは、新型コロナウイルス感染拡大という予期せぬ事態だった。到着1週間でチームが活動休止になり、約1カ月間は自主トレを余儀なくされたという。その後、チーム練習が始まり、6月にはカップ戦も再開されたが、三密を避けるためにスタジアムのロッカーや筋トレルームが使用禁止になるなど、すべてが普段通りというわけにはいかなかった。ヘルシンキは4月でも最低気温が氷点下になることは珍しくない。厳寒の中で「屋外筋トレ」を強いられる日々は、やはり過酷だったことだろう。
「あれから1年が過ぎましたが、ロックダウンも何度かありました。レストランやカフェが閉まり、スーパーに行くことくらいしかできなかったけど、愛犬と美しい自然の中を散歩しているだけで気分が晴れましたね。この国は僕にとって『第二の故郷』。環境に慣れている分、落ち着いた状態でいられている気がします」と彼はどこまでもポジティブだ。
サッカーに関しても、2度目の挑戦を通してリーグレベルが上がっていると実感することが多いようだ。
「フィンランド代表が2021年夏の欧州選手権に初出場する通り、若く才能のある選手も増えている。北欧のサッカーは大型選手目がけて蹴り出す印象が強いかもしれないけど、守備は組織的ですし、攻撃もパスワークやコンビネーションを駆使して得点を狙いに行く形が増えている。僕自身、楽しんでプレーできています」と田中は嬉しそうに言う。
HJKとの現在の契約は今年7月中旬まで。それまでは「フィンランドで大活躍した唯一の日本人」として爪痕を残し、クラブ2冠達成に全力を注ぐ覚悟だ。その後は異なる国への移籍も視野に入れているという。
「中東なんかは日本人で行った選手が少ないですし、興味がありますね。ほかの北欧のリーグもいいかもしれない。僕はどこへ行っても合わせられるタイプですし、まだまだいける自信があります。30歳を過ぎると移籍先探しも難しくなりますけど、HJKで圧倒的な数字を残すことが先決だと思っています」
ギリシャで再出発した香川真司、オーストラリアで新たなキャリアを歩んでいる太田宏介、俳優に転身した青山隼など、2007年U-20ワールドカップ(カナダ)を戦った“調子乗り世代”は多種多様な人生を歩んでいる。その一員である田中亜土夢も「ほかの人とは違う独自のキャリア」への意識はひと際、高い。まずは目の前の戦いに全身全霊を注ぐことが「オンリーワンの生き方」につながると信じて、これからも異彩を放ち続けるつもりだ。
文=元川悦子
By 元川悦子