愛する広島を離れ、欧州でのさらなる成長を [写真]=J.LEAGUE
紫に染まったエディオンピースウイング広島に川村拓夢のチャントが何度も響いた。地元広島を愛し、愛された男が強い覚悟で欧州へと旅立った。
6月24日、川村がオーストリアの強豪ザルツブルクに完全移籍することが発表された。契約は2028年までの4年間で、新天地の背番号は「16」に決まった。
その約1週間前の6月15日、8番を背負った川村がエディオンピースウイング広島で行われた明治安田J1リーグ第18節の東京ヴェルディ戦で、広島でのラストゲームを戦った。まだクラブから発表はなかったものの、すでに移籍に向けてチームを離脱することは決まっていた。移籍に備えて試合に出ない選択肢もあった。
「正直、ピッチに立つか迷いました。中途半端に出てもケガのリスクもあるし、チームにも迷惑になるかなと思いました」
だが、前日の練習でミヒャエル・スキッベ監督と話し、「最後まで戦ってほしい」という言葉をもらい、川村も考えた末に「勝ってお別れをしたい」とチームやサポーターと一緒に戦うことを決心した。
「やっぱり最後はサンフレッチェのユニフォームを着てプレーするところを見せたかった。最後に勝って、少しでも上位との順位を縮めたいと思って出場する決意をしました」
広島に生まれ、サンフレッチェに憧れた少年は、広島のジュニアユースとユースで育ち、2018年にトップデビューを飾って夢を実現させた。だが、1年目は出場機会を得られず、2019年から愛媛FCに期限付き移籍。「愛媛での3年間がなかったら今の僕はない」と話していた武者修行を経て、広島に復帰を果たし、ついに憧れの舞台で輝きを放った。
「小さい頃から広島の試合を見て育って、プロになりたい夢を持っていた。本当に小さい頃から、このチームでやるのが夢だったので。1年目はうまくいかず、愛媛でも広島でやるために3年間頑張ってきて、やっと2年半前に帰ってきて、そこから広島で試合に出て活躍することができた」
ピッチを走り回るハードワークと球際でガツンといく力強さ。2022年に広島復帰を果たした川村は熱く戦う姿勢が光っていた。アグレッシブなサッカーを掲げるミヒャエル・スキッベ監督のもとでレギュラーの座をつかみ、2シーズン半で公式戦81試合出場15ゴールをマーク。クラブ初のJリーグYBCルヴァンカップ優勝にも貢献した。
ただ、すべて順調だったわけではなかった。ケガや体調不良に苦しんだ時期もある。昨季は主力の負傷離脱でチームが不調に陥る中、川村はピッチで奮闘。チャンスで得点を決めきれずに責任を背負い、攻守のバランスを取ろうと試行錯誤した。チームが不調真っ只中の昨年6月には日本代表に初めて招集されたが、体調不良により無念の途中離脱を余儀なくされていた。
代表離脱後、広島に戻ると、「(スキッベ)監督が会いにきてくれて、データをいろいろ使って励ましてくれて、そこでリフレッシュできた部分もあった」と指揮官の厚意のおかげで前を向いたこともあった。「スキッベさんじゃなかったら今の自分はないと思う」という恩師のもと、もがきながら成長を遂げて、広島の絶対的なボランチとして定着した。
そうして日本代表にも上り詰め、再招集を受けた今年1月1日にタイ代表との親善試合で初出場を果たすと、いきなりゴールを決めて鮮烈なデビューを飾った。6月にはFIFAワールドカップ26アジア2次予選が広島の新スタジアムで行われ、「日本代表のユニフォームを着てピッチに立てたら、サポーターのみなさんがよろこんでくれる」という思いを持ち、地元の大歓声を一身に受けながらプレーした。
誰よりも広島愛が強かった。同期が将来的な海外挑戦を考えるかたわら、川村は広島でプレーし続けたいと公言していたときもあった。だが、海外組に囲まれた日本代表での活動経験、そしてスキッベ監督のもとでもがいた日々が川村の心を海外へと突き動かした。
「(広島で)昨年うまくいかないときでも、ずっと試合に出させてもらっていたなかで、もっと選手として、人として、成長したい思いが強くなった。日本代表(の経験)もありましたし、そういった思いも含めて、海外への意識が強くなりました」
移籍が決まったザルツブルクは、オーストリア1部リーグで17回の優勝を誇る強豪。アーリング・ハーランド(マンチェスター・シティ)などを輩出した育成に定評があるクラブで、ハイプレスと素早い攻守の切り替えを重視し、縦に速い攻撃を仕掛ける戦術スタイルが確立されているのも特徴だ。
昨シーズンはリーグ戦のレギュラージーズンで首位だったが、チャンピオンシップで2位に終わり、2013-14シーズンから続いていた連覇が10でストップした。タイトル奪還に向けて、今夏からペピン・リンダース氏が監督に就任。41歳のオランダ人指揮官は長年リヴァプールに在籍し、昨季までアシスタントコーチを務めていた。トップチームでの指揮は2018年にオランダのNECで半年指揮して以来、ザルツブルクが2つ目のクラブとなる。
新指揮官はクラブ公式YouTube のインタビューで、「若手や才能を持った選手たちの最大限を引き出すことが好きだ」と育成重視を明言。「4-3-3」のフォーメーションを好むことを明かしつつ、「敵陣でプレーし、ボールを失ったらすぐに奪い返して再び攻撃に転じる。常に2次攻撃を意識して、とにかく相手に落ち着く暇を与えないように可能な限り相手陣内で戦いたい。プレッシング、カウンタープレス、ディフェンスは最も重要なことだ。4-3-3で、FW3人がまずプレスをかけて、そこにMFも加わり、予測できないようなプレッシングをしていきたい」と戦い方の一端を示している。
新天地のスタイルはスキッベ体制の広島と通ずるところがあり、ダイナミックな川村らしさを存分に発揮できそうだ。本人も「チームのスタイルとして、僕のストロングな部分が生きるチームなので、より自分のスタイルを確立して、よりストロングな部分を伸ばすことが大事だと思っている」とイメージを膨らませていた。
そんな教え子を快く送り出したスキッベ監督は東京V戦後の会見で、「海外に行くだけのクオリティを見せたと思う。驚くべき才能のある選手だし、弱点が少ないのも彼の特長。ヨーロッパに行ってもまだまだ伸びると思う」と太鼓判を押し、「広島で学んだことを次のクラブで生かして、さらに強くなってほしい」と期待を寄せた。
欧州のリーグを経験してきたキプロス代表FWピエロス・ソティリウも、「拓夢はピッチ内外で謙虚な男だし、常に努力を惜しまない姿を見てきたので、彼はヨーロッパでプレーするのにふさわしい選手だと思う」と欧州での飛躍を信じている。
「ザルツブルクは選手をしっかり育てて売るクラブなので、彼が同じような謙虚さで日々練習に取り組めば、必ずもっと大きなステップを踏むだろうし、日本代表に欠かせないボランチになると確信している」(ソティリウ)
ピッチに立てば、活躍する期待感も可能性も十分にある。ただ、将来有望な選手がそろうチームはピッチに立つまでの競争が激しいはず。さらに、異国の地で慣れない環境。日本と違う文化や価値観の中で生活しながら、いかにピッチで自分の全力を出せるかの戦いだ。欧州を舞台に、川村の新たな挑戦の日々が始まった。
広島でのラストゲーム。川村はホームで誰よりも走って戦い抜いた。「このスタジアムで最後にプレーできて、みんなと勝利できて、サポーターと喜び合えたのはすごくよかった」。勝利後の円陣が終わると、感極まって涙していたようだった。
そこにすかさず寄ってきたのはGK大迫敬介だった。守護神はユース時代からの同期の旅立ちに、「拓夢らしく広島でのパフォーマンスをずっと続けてほしい。同期としてすごく寂しさはあるけど、いい意味で、すぐに帰ってきてほしくないですね」と思いを口にしていた。
試合後、8番の涙で移籍を察したサポーターたちは、別れを惜しむように、挑戦を激励するように、チャントを歌い続けていた。川村は紫に染まる光景を目に焼き付けるようにスタンドを眺め、自分のチャントに聞き入り、最後はサポーターに向かって深いお辞儀をしてホームを後にした。
「本当に『ありがとうございます』という思いでした。まだ現役を終えるわけではないので、また広島に帰ってきて、このチャントを聞きたいなと思います」
「僕の夢は広島でJリーグ優勝をすることなので、その夢は変わらない。しっかり海外で活躍して、このチームを勝たせられるような選手になって帰ってきたい。このクラブからまたオファーをもらえるような活躍を海外でしたいと思います」
生まれ育った広島を離れるのは大きな決断。だからこそ、川村の覚悟は強い。新たな環境でもがく日々が、また思い描く未来につながるはずだ。いまは広島愛を覚悟に変えて、新天地のザルツブルクで闘っていく。
「簡単に帰ってくるつもりはありません。厳しいことも多いと思うけど、もがいて、もがいて、しっかり成長していきたいです」
取材・文=湊昂大
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By 湊昂大