[写真]=鷹羽康博
注目校同士の対決となった市立船橋vs京都橘の準々決勝。この試合を心待ちにしていたのが京都橘の上田健爾コーチだ。現役時代は市立船橋で増嶋竜也(柏レイソル)らと共に2003年の高円宮杯全日本ユースで優勝。選手権には第82回大会に出場した経歴を持つ。試合前には「組み合わせを見た瞬間、国立を賭けて市船とやりたいと思いました。複雑な気持ちはないです。“市船を全国で倒す”というのが指導者としての夢だったので」と心境を語っていた。
京都橘でコーチを始めるきっかけとなったのはヴィヴァイオ船橋の存在だ。1999年、当時の市立船橋を率いていた布啓一郎氏がメンバー外の選手にも試合経験を積ませる狙いで創設されたクラブチーム。上田コーチもここで試合に出て成長することでトップチームへの道を切り開いている。
進学した京都教育大学で4回生となった年、京都橘からコンタクトがあった。「うちも部員数が増えていたのでクラブユース登録のチームを作ろうと考えていたんですが、それが本当に有効なのかどうか。選手目線の意見を聞きたかった」という米澤一成監督が知人から上田コーチを紹介され、大学卒業後にコーチへ就任することになる。
京都橘のサッカー部は2001年創部と歴史が浅いこともあり「いいものは何でも取り入れる」(米澤監督)方針で、ウィザーズF.Cと名付けられたクラブチームの誕生もその一環だ。
効果は着実に表れており、ウィザーズF.Cで経験を積んだ選手がトップチームのレギュラー争いに名を連ねるケースが増えてきた。今年のチームではボランチの藤村洋太やCBの清水遼太が夏以降、定位置をつかんでいる。
彼らは昨年、クラブユース選手権・関西予選など全国大会への出場権を争う真剣勝負の場で貴重な経験を積んだのだが、藤村は「悩んだ末の決断でした」と当時を振り返る。というのもウィザーズF.Cでプレーするにはクラブユース連盟で選手登録をする必要があり、二重登録が認められてない現在の規約では、京都橘サッカー部としてインターハイや選手権などに出場できなくなることを意味するからだ。ポジション争いに身を投じるのか、それとも先を見越して試合経験を重視するのか……そんな中で藤村の決断を後押ししたのが上田コーチのアドバイスだった。「(上田)健爾さんから“自分もヴィヴァイオを経て市船のAチームに入った”という話を聞いて、チャレンジしてみようと思ったんです」(藤村)。そうした葛藤の末に集まった選手たちが一年間、共に戦った絆は深い。藤村は試合前の円陣で清水と「ウィザーズ、行こうぜ!」と声を掛け合うことがあるという。2人は、同じ道を歩みながら定位置をつかめずにベンチに座る今野隆平らの思いも背負ってピッチで戦い続ける。市立船橋戦の後半、絶妙なパスで小屋松の2点目のアシストしたのは攻守に渡って躍動し続けた藤村だった。
小屋松や永井建成といったJリーグ内定選手に注目が集まるのは突出したタレントを擁するチームの宿命だ。実際に藤枝東との2回戦や那覇西との3回戦は劣勢だった試合展開を彼らの力でものにしてきた感もあるのだが、市立船橋戦では過去2戦の反省点を生かしてチームとしてゾーンディフェンスを機能させた上で、小屋松の決定力により勝利をつかみ取った。市立船橋ほどのチームが相手となれば、特定の選手の活躍だけで勝つのは難しい。米澤監督が「自分たちのやろうとしたことができた」と語ったように組織力と個の力を両立させたからこそ準々決勝の勝利は大きな価値があり、それは国立での試合を勝ち抜く上でも重要なポイントとなる。
準決勝で対戦する星稜とは昨年12月に行われたプレミアリーグ参入戦で5-1と大勝しているが、「参考にはならないと思う」(小屋松)どころか、「プレミアリーグに上がりたかったので、あの時は(戦力や戦い方を隠さずに)丸出しでやった」(米澤監督)という状況だ。それは相手も同じとはいえ、心理面も含めて難しい一戦となるのは間違いないだろう。
話が市立船橋戦の前に戻るが、上田コーチは「選手に話すのは今年の市船についてだけです」と伝統校に受け継がれるメンタリティーなどには敢えて触れなかったという。それは余計なものに気をとらわれることなく、目の前の相手に集中して欲しいという願いからだ。様々なシチュエーションが絡む中で迎える準決勝。京都橘は取り戻した自分たちのスタイルで星稜に挑む。
文=雨堤俊祐