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小川諒也の背中を追う流経大のルーキーDF本村武揚「4年後にプロになって諒也と対戦したい」

2016.04.01

 目標の選手は小川諒也(FC東京)。流通経済大学付属柏高校で1年時から出場機会を得た本村武揚は、いつも自分の数歩先を行く先輩の姿を追い続けた。2年時には両サイドバックとしてともに全国高校サッカー選手権大会に出場し、ベスト4進出に貢献。小川が卒業し、最上級生となった3年時は、センターバックとしてより一層たくましさを増した。結局、高卒でのプロ入りは叶わなかったが、「大卒で諒也と違うチームに入って、対戦したい」。4年後の再会を目指して、流通経済大学でさらなる成長を遂げる。

インタビュー=平柳麻衣、写真=兼村竜介、郡司聡

失点したら全部自分のせいにされていた

――まず、サッカーを始めたきっかけを教えてください。
本村 最初は野球選手になりたかったんです。ダルビッシュ(有/テキサス・レンシャーズ)選手がカッコいいなと思って。でも、3歳くらいの時に叔父さんがサッカーボールを買ってくれたので、公園や草原でボールを蹴るようになって、幼稚園の年長の頃に地元のクラブチーム(松が谷FC)に入りました。野球グローブも持っていたんですけど、キャッチボールをする程度で、サッカー一筋でしたね。叔父さんが元々サッカーをやっていたので指導を受けたり、お母さんがフットサルをやっていた影響もありました。

――その後の進路は?
本村 小学校もそのまま同じチームで、中学校からはFC多摩ジュニアユースに入りました。

――中学時代は、どんなプレーヤーだったのですか?
本村 小学校の時は、ボランチやサイドハーフなどの攻撃的なポジションもやっていたのですが、中学の時のある試合で監督からいきなり「お前、センターバックをやれ」と言われて、それ以来ずっと攻撃的なポジションはやってないです。身長も172センチくらいで大きな方ではなかったですし、何でコンバートされたのかわからないです(苦笑)。

――対人プレーが強かったりなど、特長があったのでは?
本村 空中戦が強いとは言われていました。小学校の時は足腰が弱くてすぐ倒れていたんですけど、中学に入ってからは練習が厳しかったので足腰が鍛えられて、体も結構ガッチリしてきました。対人が強くなったのは、高校に入ってからです。

――流経大柏は、日頃から練習が厳しいそうですね。
本村 チーム練習の中に一対一や二対二が多いので、球際が強くなります。もう大学の練習に参加させてもらっていますが、高校時代より全然楽だなと感じますね。でも、先輩たちの話によると、自分たちの代は今のところ、例年よりも走るメニューが多いみたいです。期待されているということなのかな、と捉えてがんばっているんですけど(笑)。

――そもそも、流経大柏を選んだ理由は?
本村 中学を卒業する時に、複数のクラブチームから声を掛けてもらったんですけど、やっぱり選手権に憧れていましたし、プレミアリーグ(高円宮杯U-18サッカーリーグ プレミアリーグEAST)に所属していたので。あと、FC多摩から流経大柏に進んだ先輩が何人かいたので、流経大柏に決めました。

――厳しい環境を選んだのですね。
本村 入学前からめっちゃ走ると聞いていたんですけど、FC多摩も結構走っていたので、大丈夫だろうと思ったんです。でも、やっぱりキツかったですね(苦笑)。

――一番キツかった練習は?
本村 3部練です。まず朝7時から9時まで対人練習をやって、11時から13時はセンタリングやヘディングなどのシュート系。16時から18時はゲーム形式で、最後に走って終わりです。それを10日間やって、全員のメンタルが強くなりました。2年生の時に選手権でベスト4に進めたのは、3部練のおかげなのかなと思っています。

――大変そうですね。それでもサッカー部を辞めたいと思うことはなかったのですか?
本村 思いましたよ(苦笑)。でも、強くなるしかなかった。周りも、最初の頃は辞めていく人がいましたけど、最後の方はいなかったです。

――流経大柏の本田裕一郎監督は名将として知られていますが、特に印象に残っている言葉はありますか?
本村 3年生のインターハイ予選の時に、監督から「1年生の時から試合に出ているのはお前だけなんだぞ。このチームのエースになれ」って言われたんです。それを頭に入れながらがんばったら、その後の試合(準決勝、習志野高校戦)で活躍できて、初めてマン・オブ・ザ・マッチにも選ばれて、自分が変わったきっかけになりました。それまではチームをまとめることが本当に苦手で、言葉よりもプレーで引っ張るタイプだったんですけど、実際はあまり引っ張ることができていなくて。

――キャプテンマークを巻いて試合に出ていましたよね?
本村 インターハイやプレミアリーグの終盤の方は巻いていました。やっぱりキャプテン一人に任せていたらダメなので、自分も変わろうと思って声も出しましたし、練習から変えていくようにしました。もっと自己主張をしていくことがこれからの課題です。

――ポジションはずっとセンターバックだったのですか?
本村 1、2年生の時は右サイドバックで出ていました。センターバックは3年生の時だけなんですけど、自分としてはセンターバックをやりたいです。

――なぜですか?
本村 ヘディングとカバーリングが好きなんです。サイドバックだと、逆サイドのカバーができないじゃないですか。でも、センターバックだとピッチ幅いっぱいの68メートルを守れます。例えば、一度相手に抜かれても、その後カバーして、いきなりパッと現れた瞬間の相手のビビった顔が面白いんです。「何でそこにいるんだよ」みたいな顔をするので。それに、ボールを奪えたら気持ちいいんです。高校の最後の方では、スタッフから「お前、この68メートルを一人で守れ」と言われていました。

――さすがに一人で守るのは難しいですよね?
本村 「いや、無理だろ」と思ったんですけど、意識はしながらやりました。周りの選手を動かして、自分がボールを取りやすくするように考えて。チーム内では、「お前が守っていれば、失点しないだろう」という感じだったので、逆に失点したら全部自分のせいにされていました。でも、自分自身もあまり人のせいにするのは嫌だったので、誰かが「あれは俺のミスだった」と言っても、「いや、そこは俺がカバーできたよ」と言って、他人のせいにすることはなかったですね。

――責任感が強いタイプなのですね。
本村 最初は全然なかったです。小学生時代は泣き虫だったので、すぐに泣いて、サッカーを辞めたいとずっと言っていました(苦笑)。中学時代の監督が怖かったので、怒られるうちにどんどんメンタルが強くなって、高校ではそれを活かしてがんばりました。でも、中学と高校では、鍛えられたメンタルが少し違うんですよね。高校は怒られるメンタルの強さではなくて、精神的にくるというか……。うまく言えないんですけど、高校では監督やコーチから直接言われないんですよ。ヒントはくれるけど、「答えは自分で考えろ」という感じなので、「何でうまくいかないんだろう」と壁にぶつかることがよくありました。

――どうやってその壁を乗り越えたのですか?
本村 答えを聞きに行っても、「自分で考えろ」と突き返されるのが落ちだとわかっていたので、自分で考えてみて、うまくいかない時はとりあえず練習をガムシャラにやっていました。プレースタイルも考えずに走りまくって、壁をぶっ壊して、成長しましたね。

――答えがはっきりと見つからないまま、乗り越えたということですか?
本村 そうですね。まぁ、サッカーに正解があるのかもわからないので。本田監督はすごく難しい言い方をするので、「この練習、何の意味があるんだろう?」と思う練習もたくさんありました。例えば、「新しいトレーニングをやるぞ」と言われたのに、いつもやっている練習とほぼ同じだったり。「何が違うんだろう?」とみんなで考えたんですけど、結局、正解はわからないままです(苦笑)。

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諒也といつか本気で対戦するのが楽しみ

――先程の話に戻りますが、本村選手はすごくディフェンスが好きなのですね。
本村 はい。高校に入ってから、すごく楽しいと思うようになりました。一対一では負ける気がしなくて、3年生になってからは、相手がめっちゃフェイントをかけてきても簡単に取れる場面がたくさんありました。サッカーをやっている人って基本的にみんな攻撃が好きだと思うんですけど、自分はディフェンスの方が好きです。

――相手からボールを奪う時に意識していることはありますか?
本村 ボールの持ち方と体の向き、足の角度を見て、どっちに来るか読むことです。あと、高校時代、サッカーノートに「1個先、2個先の動きを読む」と書いたら、スタッフから「お前は3個先、4個先を見ろ」と返事をもらったんです。それで、どうすればいいのか考えたんですけど、例えば一対一の時に「こっちに行ったら相手は絶対に切り返す」と考えている時点で、2個先を読めていますよね。だから、その後のことなんだろうと思って、間接視野を使って、他の相手選手の動きまで見るようにしました。一点に集中しないで、周りの状況を把握してディフェンスするようになったら、うまく取れるようになりました。

――高校では、フィジカルトレーニングは相当やったのですか?
本村 はい。あれよりキツいものはないんじゃないかと思うくらい、キツかったです(苦笑)。メニューは日によって違うんですけど、疲労からくるツラさと、精神的にくるツラさがありました。自分が休みたかったら休めるという走りもありましたし、がんばったらギリギリ入れるタイムを設定するところとか、すごくイヤらしくて(笑)。メンタルが壊れるようなメニューばかりでした。

――高校3年間で、特に記憶に残っている試合はありますか?
本村 2年生の時の選手権の県大会決勝です。市立船橋高校が相手で、前半は0-2で負けていたんですけど、後半の前の円陣を組んでいる時に、小川諒也が「おいおい、ドラマできてるぞ」と言って、後半の序盤に1点返して、そこからポンポン決めて、3-2で逆転勝ちしました。

――それが高校時代で一番うれしかった試合ですか?
本村 その試合もそうですけど、一番うれしかったのはその年の選手権1回戦です。作陽高校戦で、1ゴール1アシストできたので。その後けがをして前半33分に交代したんですけど、いい思い出です。

――どこを負傷してしまったのですか?
本村 ヘディングしたらそのまま腰から落ちて、重い打撲みたいになってしまったんです。もう動けないほど痛くて、これヤバイって思ったんですけど、翌々日の2回戦で復帰しました。

――先輩の小川諒也選手との思い出のエピソードはありますか?
本村 一緒に自主練したこととか、一緒に帰ったこととか……(笑)。

――本村選手にとって、小川選手はどんな存在でしたか?
本村 普段はふざけているんですけど、サッカーになったらすごく真面目で、アドバイスもくれるし、諒也が引退する時に、「お前は俺と同じ道を辿っているから、お前も絶対プロになれる」と言ってくれました。それが自信になってがんばれたんですけど、自分は高卒ではプロになれなかったので、大学を出て同じピッチに立てるようにがんばりたいです。

――「同じ道を辿っている」とは?
本村 諒也も1年の頃からトップで試合に出ていて、監督やスタッフから言われることも全部同じで、確かに被っているなという意識はありました。すごく仲のいい先輩であり、目標です。サッカーノートにもずっと、目標の選手は「小川諒也」と書いていました。

――小川選手は先日のACL(AFCチャンピオンズリーグ)、ビン・ズオン戦でプロデビューしましたが、連絡は取りましたか?
本村 その日もLINEをしていました。諒也は選手権の時も全然緊張しなかったのに、その日はスタジアムに向かっているバスの中で、「俺が珍しく緊張している」と言っていたので、本当に珍しいなって思ったんですけど、結局2アシストして、「何だこいつ。緊張してるって言ってたのに、すげえな」って思いました(笑)。

――小川選手の活躍に対して、どんな気持ちを抱いているのですか?
本村 うれしいし、すごいなって思いますけど、やっぱり悔しさもあります。いつも自分より2個、3個、いや、4、5個くらいは上を行く人なので、やっと追いついてきたと思ったら、すぐまた離されてしまって、いつ追いつくのかなって。

――追いつくために、これからの4年間が大事ですね。
本村 高校で足りなかったものをこの4年間で身につけて、大卒でプロに行って、即戦力としてFC東京を倒したいです。

――同じチームで一緒にプレーしたいとは思わないのですか?
本村 思わないです。諒也は左サイドバックで、自分は右サイドバックなので、違うチームとして対戦して、マッチアップしたいですね。

――先程、「一対一で負ける気がしない」とおっしゃっていましたが、小川選手と対戦したら、止められると思いますか?
本村 どうですかね……諒也は足が速いので。自分も遅いわけではないし、自信もあるんですけど、諒也はとにかく身体能力が高いので、わからないです(苦笑)。先日、選手権(第94回大会)を諒也たちと観に行って、その後に流経大の付属のグラウンドで一緒にボールを蹴ったり、一対一をやったんですけど、止められたり、抜かれたり、という感じでした。なので、いつか本気でやるのが楽しみです。

――他にプロで対戦したい選手はいますか?
本村 名古屋の青木亮太選手です。流経大柏から名古屋に行ったんですけど、高校時代に一対一をやってもらってボコボコにされたので、対戦したいです。今まで見た中で一番うまい選手だと思います。

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まずは五輪代表から。自信はある

――これから流経大へ進学しますが、他の選択肢は考えていましたか?
本村 一番は高卒でプロだったんですけど、行けなかったので、サッカーをやるなら流経大だなと思いました。施設も環境もすごくいいし、プロ選手を一番多く出している大学なので。1年目から試合に出るという強い気持ちでがんばろうと思っています。

――4年間で一番伸ばしたいと思っている部分はどこですか?
本村 キャプテンシーです。人をまとめる力をつけたいです。

――高校時代に流経大の試合はよく見ていましたか?
本村 付属のみんなでリーグ戦を観に行ったり、練習試合もよくやっていました。高校とはフィジカルの強さやスピードが違うなと感じました。

――流経大のDF陣には全日本大学選抜の選手もいますし、厳しいレギュラー争いが待っていますね。
本村 センターバックには今津(佑太)さんとかがいますしね。でも、大学では右サイドバックとして考えてもらっているみたいなので、貪欲にレギュラーを狙っていきたいです。

――プレーを参考にしている選手はいますか?
本村 まずは小川諒也。あとは、チアゴ・シウヴァ(パリ・サンジェルマン)です。試合前はチアゴ・シウヴァの動画をずっと見ていますし、理想のDF像です。ファウルをしてボールを取るDFが嫌で、できるだけファウルなしで取りたいと思っているんですけど、チアゴ・シウヴァは全然ファウルしないし、対人もヘディングも強いし、ロングキックもうまいなと思います。

――いずれは海外でプレーしてみたいという想いもありますか?
本村 子供の頃はバルセロナに行きたいってよく言っていたんですけど、今の状況を考えたら不可能に近いと思うので(苦笑)、まずはJリーグで活躍したいです。

――Jリーグで好きなチームや入りたいチームはありますか?
本村 (横浜F)マリノスとサンフレッチェ広島が好きです。マリノスは子供の頃から親と試合を観に行っていて、「お母さんが生きている間に(中村)俊輔選手と一回はプレーしろ」とずっと言われています(笑)。自分としても、一回でいいのでパスを受けてみたいです。

――日本代表もいずれは目指したいところですよね?
本村 はい。まずは五輪代表からですね。自信はあるんですけど、U-19代表には一度も選ばれてないので。何が足りないのか考えて、まずはU-19に入って日の丸をつけたいです。

――最後に、今シーズンへの意気込みをお願いします。
本村 まだ流経大の中で自分がどのカテゴリーに入るかわからないですけど、どこのカテゴリーでも優勝を目指したいです。個人としてはスタメン定着が目標で、チームをまとめて、勝利に貢献できるようなDFになりたいです。

By 平柳麻衣

静岡を拠点に活動するフリーライター。清水エスパルスを中心に、高校・大学サッカーまで幅広く取材。

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