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野洲高、専修大を経て身につけた“超攻撃的スタイル”を武器に…清水加入内定のDF飯田貴敬「1年目から結果を残したい」

2016.05.01

“セクシーフットボール”と称される独特なサッカーに憧れて入学した野洲高校では、ひたすらドリブル練習に励み、技術を磨いた。その後、進んだ専修大学で「攻撃的で美しいサッカー」を貫きながら、勝利の哲学を学んだDF飯田貴敬は、来シーズンから清水エスパルスに加入する。「面白い試合をすれば、サッカー界を盛りあげられる」。攻撃的サッカーの魅力と可能性を信じるサイドバックは、積極果敢なプレースタイルでピッチ上を躍動する。

インタビュー=平柳麻衣、写真=峯嵜俊太郎、鷹羽康博、平柳麻衣

僕の心がもう野洲に傾いてしまった

――サッカーを始めたきっかけは?
飯田 親が元々サッカー好きで、小さい頃からJリーグの試合に連れて行ってもらっていたので、自然と自分もサッカーをやりたいなと思って始めました。地元は茨城県で、親はゴール裏で飛び跳ねているような“ガチ”な鹿島サポーターです(笑)。

――当時、憧れていた選手はいますか?
飯田 中田浩二選手や本山雅志選手(現ギラヴァンツ北九州)、小笠原満男選手に憧れていました。小さい頃は、よく小笠原選手のサインを真似して書いていました(笑)。

――小、中学校ではどういうチームに入っていたのですか?
飯田 小学2年生から少年団に入って、中学時代は地元の中学校の部活動でやっていました。

――高校は地元を離れ、滋賀県の野洲高校に進学しました。
飯田 中3になって進路を考え始めた時期に、動画サイトでサッカーの動画を見ていたら、偶然、関連動画に野洲の動画が出てきたんです。野洲のスタイルが独特だったので、その動画を見てすぐ親に「ここに行きたい」と伝えました。

――ご両親はすぐに承諾してくれたのですか?
飯田 親は「鹿島ユースに行ってほしい」とずっと言っていたんですけど、僕の心がもう野洲に傾いてしまっていたので、「絶対、野洲に行く」と言い続けていました。最初は冗談だと思われていたみたいですけど、野洲に行くと決心してからは、学校が終わってから友達と遊ばずに一人でグラウンドでボールを蹴るようになって、その姿を見て親も「これは本気だな」と思ってくれたみたいです。野洲は県立高校なので寮がなく、一人暮らしも認められていなかったんですけど、「自分がやりたいことをやりなさい」と言ってサポートしてくれて、お父さんとお姉ちゃんは茨城に残り、お母さんと一緒に滋賀で3年間生活しました。

――野洲の練習に初めて参加した時のことは憶えていますか?
飯田 入学前に一度、練習試合に出場させてもらったんですけど、やっぱり憧れが強かったので、先輩に借りたユニフォームを着られただけですごくうれしかったです。

――野洲に入る前から、ドリブルを得意としていたのですか?
飯田 いや、足元のテクニックがある方ではなかったので、野洲のスタイルには合っていなかったです。茨城にいた時は周りに自分よりうまいと思う人がいなかったので「自分が一番」だと思っていましたし、野洲に行くと決めてからは自分なりに練習も積みました。でも、実際に野洲に行ったら、周りの人がうますぎて、入って3日くらいで親に「俺、もうダメだ。辞めたい」と言いました(苦笑)。

――はるばる滋賀まで行ったのに?
飯田 はい(苦笑)。当時、同学年の5人くらいが最初からトップチームで試合に出ていた中、僕はBチームの中でも下手な方だったんです。「もうダメだな」と心が折れてしまったんですけど、その時にお父さんから「ここで逃げたら、この先も何かあった時に逃げ続けるぞ」と言われて、確かにそうだなと。そのおかげで、試合に出られなくても3年間は必死にやろうと思い直しました。

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野洲のサッカーを多くの人に見てもらえる機会を失ったことが悔しかった

――そこからどのような道のりでレギュラーまで上りつめたのですか?
飯田 1年生大会でのプレーが結構良かったので、コーチがAチームに呼んでくれました。その後、しばらくはAチームのサブに入っていて、2年の夏頃からスタメンで使ってもらえるようになりました。

――高校3年間で自分が一番成長したと思う部分は?
飯田 やっぱり足元やドリブルの技術が一番伸びたと思います。また、相手と駆け引きする時のテクニックや、相手DFを剥がす力はつきました。

――野洲はどのような練習が多かったのですか?
飯田 ほとんどドリブル練習とゲームです。まずアップで一人一個ずつボールを持って、タッチラインから反対側のタッチラインまで12往復ドリブルをします。1往復ずつ違う技をやりながら、自分のオリジナル技も組みこんで。それが終わったら次はまた違うドリブルの練習をして、その後はゲームです。ゲームはコーチが納得いくまでやるので、長い時は2時間くらいやっていました。ゲーム形式の中で相手との駆け引きを身につけさせることが目的だったらしく、ボールに触っていない時間はほぼなかったです。

――憧れていた野洲の攻撃的スタイルの練習ができたのですね。
飯田 はい。あと、野洲に憧れていたもう一つの理由があって、実は中学の頃、野洲に対して“チャラい”イメージを持っていたんです。みんな髪を伸ばして、ヘアバンドをつけていて、カッコいいなと(笑)。選手権(全国高校サッカー選手権大会)をテレビで見た時も他の学校は坊主が多かったので、「絶対に坊主の学校には行きたくない」と思っていました。

――では、飯田選手も高校時代は髪を伸ばしていたのですか?
飯田 最初の頃はそうでした(笑)。でも、2年生の時に試合の動画を見たお父さんから電話がかかってきて、「お前、何チャラチャラしてるんだよ」と言われてしまって。お姉ちゃんからも「短い方が似合うよ」と言われて、短髪に戻しました。

――高校時代で特に記憶に残っている試合はありますか?
飯田 高3の夏にスペイン遠征に行って、5試合くらい現地のチームと試合をしたんですけど、エスパニョールの僕らより1つ上のカテゴリーと対戦した時に、何も通用しなくて、悔しさのあまりめちゃくちゃ泣きました。日本では自分の実力に結構自信を持っていたんですけど、その試合ではボールも取れず、相手選手を抜くこともできず、本当に何もできなかったんです。ハーフタイムに泣き、後半にまたボロボロにやられて泣きながらプレーして、その日の夜までずっと涙が止まらなかったです。選手権よりもその試合の方が印象に残っています。

――当時はどこのポジションをやっていたのですか?
飯田 センターバックです。以前は左ウイングやFWなどの攻撃的なポジションをやっていたんですけど、高2の夏に野洲が2バックを用いるようになって、コーチから「センターバックをやってほしい」と言われました。

――2バックでは、他のポジションの人はあまり守備をしないのですか?
飯田 基本的には、攻めこまれても後ろの2人だけで守るという形でした。ボールを保持するスタイルだったので、1試合の中で相手に攻められる場面は5、6回くらいなんです。それさえ耐えれば得点は取れるチームだったので、守備は後ろの2人だけでがんばっていました。

――では、センターバックの2人は、ドリブルを披露する機会はあまりなかったのですか?
飯田 いや、2人ともドリブルが好きだったので、結構攻めあがっていました。一人が上がったらもう一人しか残らないので、そこでボールを取られたら「1対3」の状況になったりして。今では考えられないです(苦笑)。チームとして「ボールを取られなければ失点しない」という考えだったので、攻めないと逆にコーチから「何で上がらないの?」と言われるくらいでした。「失点を恐れることよりも、自分の力を出せ」と言われ続けましたし、選手権も優勝を目指すことより、「自分たちの力を全部出して、野洲のスタイルをたくさんの人に観てほしい」という想いでやっていました。だから、単純に試合に負けたことも悔しいですけど、負けたことで「野洲のサッカーをもっと多くの人に見てもらえる機会を失った」ことの方が悔しかったです。

――選手権は3年時に全国大会に出場し、初戦で青森山田高校に敗れました。
飯田 会場にたくさんのお客さんが入って、野洲のワンプレーごとに歓声が沸いていたことを憶えています。僕たちにとってはすごくプレーしやすい状況でしたし、野洲がずっとゲームを支配していたのですが、青森山田にはそれでも崩れない強さがありました。

――リスクを冒して攻めて、結果的に負けてしまっても、野洲のスタイルを貫く方がいいと思えたのですか?
飯田 野洲の山本(佳司)監督やコーチは「高校サッカーを変えたい」と言っています。自分も高校サッカーには、「ただ蹴って走るチームが勝つ」というイメージを持っていました。でも、野洲のサッカーは見ていて楽しいし、野洲に入ったおかげで自分も成長できたと思っています。

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入学当初は野洲時代のプレースタイルのまま。先輩から怒られました(苦笑)

――その後、専修大に進学した経緯は?
飯田 高校の頃は大学サッカーについて何も知らなくて、どこも同じだろうと思っていたんですけど、専修のチームスローガンの「攻撃的で美しいサッカー」が野洲と少し似ているのかなと思い、第一志望として入りました。

――実際に専修大でプレーして、野洲のサッカーと通じた部分はありましたか?
飯田 野洲のスタイルが独特すぎるので、「攻撃的」と言っても野洲と専修は全然違いました。入学当初は野洲時代のプレースタイルのままで、センターバックでもドリブルで上がっていたんです。当時キャプテンだった長澤和輝(現ジェフユナイテッド千葉)君は、「俺はお前のそういうところが好きだよ」と言ってくれたので、自信を持ってドリブルを仕掛けて、取られたら取り返せばいいという感覚でやっていました。でも、他の先輩からは「ありえないだろ」と言われていて、特に下田北斗(現湘南ベルマーレ)君には本気で怒られました(苦笑)。

――ボランチの下田選手の立場からすれば、特に気になったのかもしれません。
飯田 はい。ある日の練習中に「そういうプレー、マジでいらない」と言われ、つい僕も言い返してしまい、言い合いになりました。今思えば僕が悪かったし、もう少し違うやり方もあったなと思います。

――1年生の時からトップチームの試合に出ていましたね。
飯田 はい。ずっと継続して出られたわけではないですけど、インカレ(全日本大学サッカー選手権大会)などの大事な試合でも使ってもらっていました。

――サイドバックになったのはいつ頃ですか?
飯田 大学2年生からです。野洲のサッカーではヘディングをあまりしないので、得意ではなかったのですが、源平(貴久)監督から「ヘディングができないセンターバックなんていらない」と言われ、自分自身も「プロを目指すならサイドバックだな」と思い、コーチに頼んでやらせてもらいました。でも、当時は北爪健吾(現千葉)君が不動のレギュラーだったので、自分の調子がどんなに良くても、健吾君がけがをしない限りは出番がないと思っていました。なので、健吾君が卒業してからが勝負だと思い、それまではジムに通って鍛えることに専念しました。結果的に1年生の時より試合に出る時間は減りましたけど、今までで一番成長した1年間だったと思っています。

――サイドバックに転向してから、プレーを参考にした選手はいますか?
飯田 ポジションは違いますけど、バルセロナの(アンドレス)イニエスタはスピードがないのに相手をかわす力があるので、何度も動画を見て、相手の逆の取り方や、ボールの持ち方を参考にしています。

――北爪選手のプレーを間近で見て、学んだことは?
飯田 健吾君はすごく走る選手なのですが、試合中のスタミナの使い方がうまかったです。休むところは休んで、パワーを出すべきところは出す。やっぱり90分間ダッシュし続けることは不可能なので、勝負どころで力を出すことを健吾君から学びました。

――3年生になり、サイドバックとしてレギュラーの座をつかみました。前年に鍛えた成果は出せましたか?
飯田 当たり負けしなくなったし、1年生の時と同じユニフォームを着ていたんですけど、腕などがパンパンになっていて、鍛えられているんだなと感じました。体のキレも出てきて、コーチから「体つきが良くなった」と言われましたし、アシストなどの記録に残る結果はあまり出せなかったですけど、選抜に呼ばれたり、Jクラブに声をかけてもらえるようにもなりました。

――今の自分の一番の強みは何だと思いますか?
飯田 前への推進力や、局面を打開する個の力は他の人よりも優れていると思います。

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エスパルスは自分に合っている

――来季からは清水でプレーします。開幕前に実施された鹿児島キャンプに参加したそうですね。
飯田 最初にキャンプ参加の話をいただいたのがエスパルスで、全日程に参加してほしいと言われたので行きました。(2016Jリーグ・スカパー!)ニューイヤーカップと合わせて行われた練習試合に3試合全部出させてもらったのですが、プロの中でもある程度自分のプレーができたという手応えを得られました。エスパルスは中盤や前線にうまい選手が多くて、サイドの選手が高い位置を取って走ればボールが出てきます。自分もスピードが売りなので、背後に走れば良いボールを出してもらえますし、実際に得点にも絡めたので、自分のプレースタイルに合っているなと感じました。

――チーム内の雰囲気はいかがでしたか?
飯田 選手やスタッフは本当にいい人ばかりで、特に若手選手が多いので、サッカー以外でもずっと一緒にいました。ベテランの選手は、サッカーのことになったら厳しい人も多かったですけど、それも自分を期待して言ってくれていることだなと感じました。

――特に印象に残っている先輩の言葉はありますか?
飯田 キャンプ1日目は、ガッツリ削ってしまって印象が悪くなったら嫌だなと思い、少し遠慮しながらプレーしていたんです。そうしたら、(チョン)テセさんが前線からダッシュで来て、「何してるんだよ!」とキツく言われました。でも、次の日からガツガツいくようになったら、優しくしてもらえて、「お前のそういうところ、いいと思う」と言ってくれたり、「DFの選手はそういうところで目立って契約を勝ち取らないと、このキャンプは勝負なんだから。余計なことを考えずに自分のプレーを出せば絶対大丈夫」とアドバイスをもらえたりして、ありがたかったです。

――加入を決めるにあたって、誰かに相談はしましたか?
飯田 親に「迷っている」と言ったら、「高校も大学も全部自分で選択してここまで来たんだから、自分が選ぶことが一番正しいんだよ。誰かに相談したってお前の中の答えは変わらないんだから」とお父さんに言われて、そこから1、2週間くらい誰にも相談せずに自分で考えて決めました。

――今シーズンの目標は?
飯田 チームの優勝はもちろんですけど、大学サッカーを盛りあげたいです。大学サッカーのおかげで自分は成長できたと思うのですが、高校サッカーに比べて大学サッカーは注目度が低いと感じます。毎回、面白い試合をすることで、もっと多くの観客が来てくれたり、もっとメディアで取りあげてもらえるようになると思うので、自分たちで盛りあげていきたいなと思います。

――最後に、プロ入り後の目標を聞かせてください。
飯田 プロは今までより厳しい世界ですが、自分の取り組み方や努力次第でその先の未来を変えられると思っています。大卒は若くないので、1年目から積極的にアピールして、結果を残したいです。

By 平柳麻衣

静岡を拠点に活動するフリーライター。清水エスパルスを中心に、高校・大学サッカーまで幅広く取材。

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