流通経済大学に入学後、同じカテゴリーでプレーを続けてきたMF日高大(まさる)とMF吉森恭兵。トップチームに上がることを夢見て努力を重ね、今シーズン、学生チームとしては史上初となるJFL1stステージ優勝に貢献した。勢いそのままに、念願の関東大学リーグデビューを飾り、4年目にしてようやく“スタート地点”に立った2人は、ここからの巻き返しを誓う。
インタビュー=平柳麻衣、写真=岩井規征
日高「ピッチでは恭兵の方がオラオラしていますよ(笑)」
――まずは、それぞれプレースタイルを自己紹介してください。
日高 僕はスピードと、シュートのインパクトが特徴です。セットプレーのキッカーとしても、アシストやゴールを決められる選手だと思います。
――先日の桐蔭横浜大学戦(JR東日本カップ関東大学サッカーリーグ戦前期リーグ第11節、4-2で流経大が勝利)では、1ゴール3アシストと大活躍でしたね。
日高 あの試合はまぐれというか、運が良かっただけです。
吉森 大はファーストタッチがめちゃくちゃうまくて、ピッチ内では「俺にボールを寄こせ」みたいなタイプです。
日高 そんなことはないです。ピッチでは恭兵の方がオラオラしていますよ(笑)。
――吉森選手はどんなタイプの選手ですか?
吉森 僕はスルーパスとか、ゴールに直結するようなパスを出すことと、ゲームの流れを読むことが得意です。
日高 恭兵は走れなさそうな体型ですけど、試合中はめちゃくちゃ走ります。
吉森 スタミナはないけど、自分の中ではがんばってめちゃくちゃ走っているつもりです。
日高 サボるのがうまいよね(笑)。ここはやらなきゃいけないという場面はがんばって、ちょっと抜いても大丈夫かなっていうところで支障が出ない程度にサボっている。
吉森 そうしないと、体力がもたないです(笑)。
吉森「当時は武蔵さんとプレーの息が合っていた」
――2人が初めて出会った時の印象は?
日高 大学に入学した時に初めて会って、恭兵は体が小さいのにオラオラしているなと思いました。
吉森 1年生の時はまだちょっと尖っていたかもしれないです(笑)。もともと負けん気が強い性格だったので。
――高校時代の活躍もあって、自信を持っていたのではないですか?
吉森 桐生第一高校時代は一学年先輩に鈴木武蔵(現アルビレックス新潟)さんがいて、武蔵さんがFWで僕がトップ下をやっていた時に、選手権(第90回全国高校サッカー選手権大会)で全国ベスト8に進出しました。
日高 立役者だったでしょ。雑誌とかにも載ったんじゃないの?
吉森 少しだけ(笑)。全国大会のベスト8をかけた試合では、僕と武蔵さんが点を取って、それぞれお互いにアシストをしました。当時は武蔵さんとプレーの息が合っていたんですけど、今はもう手の届かない存在です。
日高 すごいな。あんなにオラオラしていたのも納得です。
――では、吉森選手から見た日高選手の第一印象は?
吉森 めちゃくちゃ走れる選手だなと思いました。流経大に入学すると、最初はずっと走るトレーニングをやるんですよ。高校で部活を引退してから何も練習してない人もいる中、僕は一番後ろの方で「キツい」とか言いながら走っていたんですけど、大はずっとトップの方を走っていました。
日高 大学に入る直前までずっと高校で練習させられていたから、コンディションが良かっただけですよ。
――日高選手は元々走ることが得意だったのですか?
日高 中学の時にがんばったんです。体が小さかったので、何か一つ特徴を作ろうと思って、走ることなら努力したらできるかなって。
吉森 カッコいいこと言うね。
日高 その時にがんばったおかげで、今はあまり走りこまなくてもそこそこ走れます。
――ずっと自主トレをしていたのですか?
日高 はい。中学の時のチーム(広島大河FC)の練習が平日のうち3日間しかなかったので、練習がない2日間は学校が終わってからすぐに走りに行っていました。どれぐらい走っていたのかは憶えてないですけど、時間を測りながら走って、タイムを縮めることを意識していました。
吉森 そうやって自分で自分を追いこめるのはすごい。
日高 自転車とかを抜かすのが楽しかったです。
――練習が週3日しかないチームは珍しいのではないですか?
日高 そうなんです。高校の時も週2日しか練習がなくて。
吉森 週2日!?
日高 月曜日はオフで、火曜は練習、水曜はBチームが練習で、トップチームはフリーなので自由に練習できて、木曜はトップチームが練習、金曜日はなし、という感じでした。
吉森 僕はバリバリ練習していて、休みは月曜日だけでしたよ。
日高 広島観音高校の出木谷(浩治)監督がそういう方針だったので、ある意味普通の高校生活を送っていました。
吉森 それで全国大会に出たのはすごい。
日高 練習の質が高かったんだと思います。練習がある日は、練習が全部終わった後に必ずYo-Yoテスト(シャトルラン)を50本やるんです。制限時間に間に合わなくても絶対に50本。それが本当にキツかったですけど、みんなで声を出して、まさに青春だなと思いながらやっていました。
吉森 Yo-Yoテストは流経大でもやっていて、平均はだいたい25本くらいで、僕は13本しか走れないんですけど(苦笑)、大は35から40本くらい走れています。相当すごいです。
日高「選手権の前夜に泣いてしまった」
――日高選手は選手権に関して、何か思い出はありますか?
日高 僕たちはシードを獲得したので2回戦からだったんですけど、2回戦の前日練習中に、流経大でもチームメートの塚川孝輝にスライディングされて、太ももに重い打撲を負ってしまい、全国大会は1試合も出られずに終わりました。
――それは悔しすぎますね。
日高 その日の夜はもう歩けない状態だったので、ホテルで泣いてしまったんですけど、孝輝が部屋に来て「お前の分までがんばるから」と熱く語ってくれたので、許してしまいました(笑)。
吉森 これぞ“高校サッカー”って感じですよね。
日高 しかも当時の広島観音は、キャプテンが試合のメンバーを決めて、監督に承諾をもらう方式だったんです。孝輝がキャプテンで、ボールも蹴れない状態だった僕をメンバーに入れてくれたので、一人だけアップをせずにベンチから試合を見ていました。
吉森 良い話だね。
日高 勝っていれば良かったですけど、初戦で負けてしまったので。
吉森「JFL1stステージでナンバーワンの良いゴールだった!」
――流経大の中には複数のチームがありますが、お2人はずっと同じチームに所属しているそうですね。
吉森 自分たちが1年生の時は、トップチームの下に流通経済大学FCとクラブ・ドラゴンズの2チームがあって、2チームともKSL(関東サッカーリーグ)1部に出場していました。それぞれに1年生が半分ずつ分かれて所属していたんですけど、流経大FCの方にレベルが高い選手が集まっていて、僕たちはドラゴンズにいたので、成績も直接対決でも流経大FCには勝てず、苦しい1年目を過ごしました。
――2年目は?
吉森 2年生からは、2軍扱いされている流経大FCに入りました。
日高 そのチームはめっちゃ強かったよね。
吉森 そして、3年目から流通経済大学ドラゴンズ龍ケ崎です。クラブ・ドラゴンズがJFLに入る権利を得て、名前が変わったんです。元々は1年生だけのチームだったんですけど、去年から上級生も入って、僕たちも入れてもらいました。でも、去年は結果が出なくて、今年になってようやく飛躍しました。
――中野雄二監督が、今年は関東大学リーグとJFLのどちらも本気で優勝を狙っていると話していました。
吉森 今年は今までトップチームにいた選手も何人かドラゴンズに入っているので、去年の経験をとおして、チームとして方向性を変えたのかもしれないです。
日高 良いメンバーがそろっているよね。
――そして、学生チームとしては初めてとなるJFL1stステージ制覇を達成。お2人は中心選手として活躍しました。
日高 恭兵はゲームキャプテンを務めていて、MIO(びわこ滋賀)戦で貴重なゴールを取ってくれました。最終節は2位FC大阪との直接対決だったのですが、勝ち点、得失点差では並んでいて、得点差で1点上回っていたので、引き分け以上で優勝という状況で。結局、1-0で勝利して優勝を決められましたけど、恭兵や自分の得点も含めて、チーム全体として結果を積み重ねてきたからこそだと思います。
吉森 全然すごいことをしたとは思ってないですけど、自分のゴールはJFL1stステージでナンバーワンと言ってもいいくらい良いゴールだったと思います!
日高 マジですごかったよね。
吉森 サイドで起点ができて、もう1人のボランチが横に置く感じで良いパスを出してくれたので、僕が走りこんでそのままミドルシュートを打ちました。
日高 あれはめちゃくちゃうまかったです。元々、シュート力は持っているよね。たまにすごいゴールが出る。
――日高選手の活躍はいかがでしたか?
吉森 すべての試合で活躍していましたよ。4点取ったでしょ?
日高 決定的な場面での活躍はなかったので……。
吉森 大がボールを持ったら、点が入る気配がします。
日高 言い過ぎだよ(笑)。でも、シーズン前の栃木SCとの練習試合でFWとして起用された時に、相手との駆け引きを意識して、めちゃくちゃ動き回ったんですよ。相手のセンターバックも困っていたと思うんですけど、そういうプレーをすることで相手が嫌がるんだなと再確認できたので、サイドに戻った今もその経験を活かせています。
吉森 相手のサイドハーフとの駆け引きとかね。
日高 あとは、恭兵がホントにすごく良いパスを出してくれるおかげです。
日高「今も試合前に『江坂任プレー動画集』を見ています」
――吉森選手のアシストから点を取ったことは?
日高 何度もありますよ。
吉森 1年生の時からずっと一緒にやっているから、息は合うと思う。僕がボールを持ったら動きだしてくれます。
日高 恭兵はしっかり見てくれているので、動きだしたくなりますね。
――JFL1stステージ優勝を果たした時は、率直にどんな気持ちでしたか?
日高 純粋にうれしかったです。
吉森 結果を出せばトップチームに上がれるので、そのためにも優勝しようとチームがまとまっていたと思います。
日高 やっぱりトップチームで試合に出ることがスタート地点なので。
――先日、関東大学リーグデビューを果たし、JFLとの違いはどう感じましたか?
日高 桐蔭横浜大戦で前半早々に2点取られたように、大学チームの方が勢いはあるけど、JFLのチームはここぞというところで点を取ったり、頭を使ったサッカーをしてきます。
吉森 大人のサッカーをしてくるよね。
――お2人は、憧れている選手はいますか?
日高 偉大な先輩である江坂任(現大宮アルディージャ)さんです。僕が2年生の時に4年生で、いろいろと良くしてもらいました。例えば、奪われないボールの持ち方や左足の使い方のアドバイスをもらったり。今も試合前に「江坂任プレー動画集」を見ています。
吉森 僕は、1年生の時に4年生だった中山雄登(現ロアッソ熊本)さんです。関わる機会は少なかったですけど、体が小さくてポジションも同じだったので、いつもプレーを見ていたし、尊敬していました。
――最後に、今後の抱負を聞かせてください。
日高 目の前の試合を一生懸命がんばりたいです。そして、任さんを上回るくらい活躍したいと思っています。
吉森 JFLの移籍ウインドウが開いている間にもう一度落ちることがなければ、大学リーグだけの所属になります。まだ誰がトップチームのレギュラーになれるのかわからない状況なので、しっかりとアピールしていきたいです。
By 平柳麻衣