前橋育英の山田耕介監督 [写真]=瀬藤尚美
1986年度の第65回大会で全国高校サッカー選手権大会初出場を果たし、実に20度目の挑戦となった全国の舞台。前橋育英はあと一歩、頂点に届かなかった。
指揮官に就任した1983年から30年以上、前橋育英を率いてきた山田耕介監督は山口素弘、松田直樹、細貝萌をはじめとした多くのプロ選手を輩出し、高校サッカー界の名将の一人として挙げられる。高校選手権では前述のとおり初出場からの30年で20度の出場。ベスト4には4度進出し、一昨年は初の決勝進出を果たした。着実に栄冠へ近づいてきたが、優勝には今回も足りなかった。
夏のインターハイでは県予選の初戦でまさかの敗退。“史上最悪の代”とまで評されたが、「最初はパスさえもできなかった。それがだんだんとつながるようになってきて、コンビネーションプレーの練習や高さの弱さを克服する練習を積み重ねて、トレーニングマッチでも通用するようになって。自信をつけて、夏過ぎから光が見えてきた」と山田監督が振り返ったように、着実に力をつけてきた。
選手権の県予選では4試合中3試合で1点差ゲームをものにしてきた。本大会では決勝まで無失点で勝ち上がった。冬の舞台でも一歩一歩階段を上がってきたが、決勝では青森山田の前に5失点を喫して、夢は儚く散った。
「(指導者仲間の)みんなからは日本で一番勝負弱いと言われています」と会見で笑った山田監督だが、「どこか甘いところがあるんですかね。ただ、失敗は一つひとつ取り除けばいいので。まだ取り除く内容があるということですね。今回は2、3失点目を辛抱するメンタリティーがあれば、4、5点目はなかった」と、指導者としてもまだまだ成長する必要があると話す。
一昨年は、大会直前の事故で本大会は不在だったが盟友である星稜の河崎護監督のもとに初の栄冠が目の前で渡り、今大会では青森山田を指揮して22年目の黒田剛監督に初の選手権タイトルが渡った。
黒田監督は優勝会見で「これだけやってきたのに、なぜ勝てないのか、自分も悩む時期がありました」と監督生活を振り返り、多くの先輩指導者から「行くときは一気に行く」とのアドバイスや激励の言葉をもらったことを明かし、「指導者は地道な作業だし、いつ結果が出るかわからない。ただ、自分がやってきたことを信じて、やる。言葉をありがたく頂戴して、ただただやってきただけです」と22年間を振り返っている。
決勝後のロッカールームで「インターハイの県予選初戦で敗退して、何とかここまで選手が成長してくれて、選手権では準優勝できたということで。力がなくて、だけど一歩一歩進んで、ここまでやってきたんだから、胸を張って群馬に帰ろうという話をしました」と選手に声を掛けたという山田監督は、「だけども、この0-5を忘れてはいけないという話をしました」と、これまでと同様に最後まで選手への“指導”を行った。
決勝での大敗は、「選手は一生忘れないと思いますし、私も一生忘れないと思います。もう一回最初から頑張れということかな」と自身の糧にもすると話した名伯楽。今年の前橋育英は2年生が中心だった。決勝戦のディフェンスラインもすべて2年生。大敗を糧に「来年、もう一回チャレンジしたいと思います」とリベンジを誓う山田監督は、会場を後にする直前の取材エリアで「次は5失点からの逆襲!」と高らかに宣言し、新たな挑戦に向かう。
取材・文=小松春生
By 小松春生
Web『サッカーキング』編集長