前橋育英のキャプテンを務めた大塚諒 [写真]=瀬藤直美
「最後は笑って終わりたかったから」。泣き崩れる仲間に声を掛けている間は、必死にこらえようとした。だが、“ある瞬間”を境に、抑えていた涙が止めどなく溢れ出した。
9日に行われた第95回全国高校サッカー選手権大会決勝は、大塚諒にとって前橋育英でのラストゲーム。キャプテンとして、メンバー外の選手の思いも背負って、勝利だけを目指して臨んだ一戦だった。
昨夏のインターハイで県予選初戦敗退を喫し、「史上最悪の代」とも称されたところから這い上がってきた大舞台。チームとともに、大塚自身もキャプテンとして大きな成長を遂げてきた。
「最初は嫌われるのが嫌で、何も言えないキャプテンでした。でも、インターハイに負けた時、監督から技術面よりも選手間の関係性を指摘されて、周りに強く要求することを意識するようになった」
「強いリーダーシップを持った選手がいない」という理由でキャプテンと部長の『ダブルリーダー制』が用いられた今季の前橋育英。就任当初の大塚には、キャプテンとしての自覚が足りなかった。だが、夏の屈辱を機に変化した大塚を軸にチームはまとまり、選手権では粘り強い守備と巧みなコンビネーションを武器に快進撃を見せていく。決勝の青森山田戦でも、前橋育英は立ち上がりから積極的に相手ゴールに迫り、決定的な場面を何度も作り出した。しかし、「決定力」の差に泣いた。前半を0-2で折り返すと、後半はさらに3失点。準決勝まで無失点を誇った守備が崩壊した。
それでも、5点の大差がついた後も大塚は前を向いて戦った。「スタンドで応援してくれている人がいたので、最後まで諦めない姿を見せたかった」。大塚の声に鼓舞された前橋育英イレブンは、最後の最後までゴールを目指した。しかし、一矢報いることさえもできないまま、無情のホイッスルが鳴り響く。
ピッチにひざをつき、倒れ込み、各々に涙を流す前橋育英の選手たち。大塚は一人ひとりに声を掛け、崩れ落ちる選手の背中を支えた。整列時には、懸命に笑顔を作り、青森山田の選手たちの顔をしっかりと見て「おめでとう」と言葉を贈りながら握手をかわした。優勝校が表彰される姿も目を逸らさずにじっと見つめた。そして、彼らが高々と優勝旗を掲げた瞬間――。
大塚の両目から、こらえていた涙が一気に溢れ出した。準優勝の表彰を待つ前橋育英の選手列の先頭で、チームメイトに背中を向けながら、顔をくしゃくしゃにした大塚の涙は止まらなかった。
「みんな泣いていたけど、ここまでよくやってくれたので、最後は笑って終わりたかったんです。でも、(青森山田が喜ぶ瞬間は)やっぱり自分たちがあそこに立ちたかったなと悔しさがこみ上げてきて、堪えられなかったです」
1年時には先輩たちが同じ舞台で悔し涙を流す姿をスタンドから見た。前橋育英への愛校心が強くなったのはその時からだった。
「一昨年の先輩たちの姿をスタンドから見て、自分もここに立ちたいと強く思いました。今年はメンバーに入れる3年生が少なかったので、彼らの思いも背負ってやってきた。こういう結果になってしまったけど、最後までこのユニフォームを着れて、育英のプライドを持って戦えたことは良かったです」
「史上最悪」のチームを立て直し、決勝戦では大敗しながらも“良き敗者”として堂々と振る舞った。「最後は本当に『最高のチーム』だったと思います。よくここまで頑張った」と、最後までチームメイトを称えた大塚の姿は、立派なキャプテンそのものだった。
決勝で胸に深く刻まれた悔しさを糧に、大塚は新たな道へ進む。卒業後は立教大学でサッカーを続け、プロを目指す。
「この悔しさは絶対に忘れないと思います。この経験をバネに、まずは大学で活躍していきたい。誰よりも努力して、陰役ではなく、チームの要として輝く選手になりたい」
次のステージでは、歓喜の輪の中心に居られるように。様々な思いが詰まった大塚の涙は、これからの飛躍へとつながるはずだ。
文=平柳麻衣
By 平柳麻衣