文・写真=安藤隆人
今、兵庫県で熱き戦いが繰り広げられている。インターハイもいよいよ佳境に入り、8月9日にはノエビアスタジアムで決勝戦が行われる。この決勝戦をもって、インターハイは幕を閉じるが、今度は10日から石川県で再び熱き戦いが繰り広げられる。
『石川県ユースサッカーフェスティバル』。これは石川県で開催されるユース年代のサッカーフェスティバルで、スタートは1983年のことだった。この2年後の1985年に石川インターハイが開催されるとあって、県外からチームを招待し、石川県内の高校と試合をし、強化を図る狙いで始まった。このフェスティバルが32年の時を経て、より大きなフェスティバルとなって今に受け継がれている。
中心人物となっているのが、星稜高校サッカー部の河﨑護監督。彼がこのフェスティバルをここまで大きくしたと言っても過言ではない。当初、このフェスティバルは石川インターハイ閉幕と共に消滅するはずだった。しかし、「北信越、石川がもっと強くなるためには、全国の強豪と戦えるこの重要な大会をなくすわけにはいかない」と、存続を提案し、当初は星稜の校舎を宿泊先にしたり、グラウンド確保、県外チームの招待など、大会開催に向けて大会運営に注力した。
この活動に河﨑監督の指導者仲間である、前橋育英高校サッカー部の山田耕介監督、四日市中央工業高校サッカー部の樋口士郎監督らが賛同し、大会は徐々に軌道に乗って行ったのだ。
そして、歴史を重ねるごとに参加チームが増え、2000年を過ぎると、参加チーム数は80チームを越える大きな大会にまで成長。そうなると星稜高校や金沢市周辺だけでは、グラウンドや宿が足りなくなり、ここで浮上したのが、能登半島にまで範囲を広げてのフェスティバル開催だった。
河﨑監督を始め、実行委員会はすぐに能登半島の観光地である和倉温泉、七尾市を中心に働きかけをし、結果、多くのグラウンドが完成。能登半島はたちまち北信越きってのサッカーどころとなった。
「天然芝、人工芝のグラウンドがたくさんあって、ホテルなどの宿泊施設のすぐ近くにある。朝起きて、サッカーをして、温泉に入って、石川のおいしいものを食べる。これを一度経験してしまったら、もう何度も来たくなると思うよ」。河﨑監督がこう笑いながら語ったように、多くのチームがその魅力と、参加チームのレベルの高さもあって、強化には格好のフェスティバルとして認識しているからこそ、大会規模はどんどん大きくなっていったのだった。
今では大会は金沢ユースと和倉ユースに分かれている。和倉ユースは文字通り、和倉温泉を中心に能登半島で行われる大会で、的確な言い方をすると『1部の大会』で、金沢ユースは金沢市、津幡町、小松市などで開催される『2部の大会』。この2つの大会は毎年入れ替え戦があり、昇降格があるのだ。つまり金沢ユースは和倉ユースに行くための予選のようなものであり、和倉ユースの王者こそ、石川フェスティバルの真の王者となる。ただの強化試合ではなく、来年自分たちがどの大会にいられるのかを懸けた戦いでもあるのだ。
今年の和倉ユースは10日から13日までの4日間、金沢ユースは8日から11日までの4日間。この和倉ユースに密着取材し、全国トップレベルの戦いを報じていきたい。