文・写真=安藤隆人
秋田県決勝の秋田商業高校vs西目高校は、異例の出来事となった。決勝のキックオフは10月24日で、試合終了が26日。これは24日の秋田市内は激しい風と雷雨に見舞われ、0-0で迎えた前半30分11秒、西目ボールのスローインになった段階で一旦試合は中断。スタンドに居た人たちもメインスタンドに避難をさせた。以降も風と雷雨は止むこともなく、ベンチも風でなぎ倒されるほどに。この状況を受け、秋田県サッカー協会は試合中断を発表し、残りの50分あまりを26日に再開する決定を下した。
24日とは打って変わって、青空がのぞく天候の中、30分11秒に24日と同じメンバーで、西目のスローインから試合が再開された。難しいシチュエーションとなった試合だったが、後半にペースをつかんだのは、選手権史上最多40回の出場を誇る名門、秋田商業だった。
「持ち味である裏への抜けだしを狙っていた」。こう語るのは、4-3-3の右ワイドを務めるMF青山和樹。準決勝の秋田西戦ではハットトリックを達成するなど、1年時からレギュラーとして活躍する攻撃のキーマンは、絶妙なポジショニングと縦への仕掛けで、西目の守備陣が崩れる瞬間を狙い続けていた。
そして64分、ついに“その時”がやってきた。中央で1トップの加賀谷昴貴がボールを持った瞬間、「相手センターバックが昴貴に食いついたので、センターバックとサイドバックの間にスペースができた。この間に潜りこめば、一気にチャンスになると思った」と、ダイアゴナルランでセンターバックが食いついた裏のスペースに走りだした。そこに加賀谷から正確なパスが届くと、「すぐにファーサイドに出せば、晟也が走りこんで来ることはわかっていた」と、間髪入れずにアーリー気味でグラウンダーのクロスをファーサイドに送りこんだ。青山の読みどおり、これをファーサイドで左ワイドのMF菅原晟也が受けて、ゴールに押しこんだ。これが決勝点となり、秋田商業が1-0で西目を下し、2日に掛けて行われた「異例の決勝戦」を制し、2年ぶり41回目の選手権出場を決めた。
「ミーティングで逆サイドのスペースに走りこむことは確認していた。狙いどおりのゴールです」。試合後、青山は胸を張った。実は彼は秋田県出身ではなく、福岡県行橋市出身。中学時代は地元のドゥマンソレイユ福岡ジュニアユースでプレーし、「選手権に出たい気持ちで決めた」と、チームの監督と当時、秋田商業の監督だった長谷川大元監督(現神奈川大学サッカー部監督)とのつながりで、遠く秋田にやってきた。「最初は寒さと雪には本当に苦労しましたし、フィジカルも全然ついていけなくて……。でも、秋田で大切な仲間もできて、みんなと厳しい練習をこなしてきたことで、フィジカルも強くなったし、精神的にも強くなりました」。
入学当初、体重はわずか45キロだった。しかし、あふれるサッカーセンスで攻撃の起点となった。だが、夢だった選手権に出場したものの、履正社高校に0-2の初戦敗退。この試合で青山はフィジカルコンタクトであばらの骨を折るけがを負った。「全国レベルだと、自分のフィジカルでは到底通用しないと思った」と、自分の弱さを身をもって痛感した。
ここから彼は率先して筋力アップと、俊敏性のアップ両方に務めた。あれだけつらかった寮から学校までの片道徒歩1時間の雪道も、トレーニングの一環として受け止め、練習の後も鍛錬を怠らなかった。
結果、体重は17キロも増え、62キロに(身長は167センチ)。屈強になったフィジカルと、雪道での意識的な踏みこみが、重心の安定と、体重移動のスムーズさをもたらし、彼の武器であったドリブルと飛びだしの質をさらに向上させたのだった。
「昨年は選手権に出られずに悔しい思いをした。1年と2年の悔しさを最後の選手権にぶつけたいです」。秋田で見つけた最高の仲間たちとともに。福岡からやってきた高性能アタッカーは、2度目の選手権で有終の美を誓う。