インタビュー=安田勇斗 写真=兼子愼一郎
第28回ユニバーシアード光州大会に臨むユニバーシアード日本代表の神川明彦監督が、日本サッカーの育成事情に警鐘を鳴らす。大学サッカーの本来あるべき姿とは――。明治大サッカー部を10年率いた名将がクラブユースの奮起を促す。
「なぜ武藤が出てしまったのか」を考える必要がある
――現在の大学サッカーはどのような特徴があると思いますか?
神川 そうですね、一時期よりは勝敗にこだわるようになったと感じます。勝たないとダメだという風潮が強まりました。それまでは理想のサッカーというか、それぞれの大学が持っているスタイルを追求していき、それで負けても仕方がないというような雰囲気がありましたが、近年はどの大学もタイトルを貪欲に狙ってきているという印象を持っています。
――神川監督の考えとしては、現在はいい傾向にあるということでしょうか?
神川 貪欲にタイトルを狙うことについてはいいと思います。これは当たり前のことではありますけど。ただし当然、失われているものもあり、サッカーの中身のことで言うとロングボールが多いというか、不確実なスタイルが多い気がしています。よりリスクを避けるサッカーが横行しているなと。基本的に自陣でリスキーなプレーをやらないというのは、どうなのかなって思います。僕のような選手を選考する立場の人間が何十、何百という試合を見ていく中で、そうしたチームの最終ラインから人を選ぼうと思っても、守備はいいとしてもビルドアップは期待できなくなってしまいますから。
――では、現在の日本サッカーにおける大学サッカーの位置付けはどういったところにあると感じていますか?
神川 選手自身もそうだと思いますけど、サッカー界としても一番期待しているのはトップレベルへの選手供給源であることだと思います。
――FC東京の武藤嘉紀選手など、大学サッカーを経てスター街道を進む選手が増えてきている印象がありますが、監督としてはどのように感じていますか?
神川 長友(佑都/インテル)もそうですけど、僕は一つの選択肢としては日本サッカー界の幅を広げるいいことだと思っています。高校はサッカー選手を育てる場所ではないですから、そこから大学進学という道もいいですよね。ただし、Jリーグの育成組織には問題があると思っています。現在Jリーグは52クラブありますが、仮に一学年20人だとしても、1000人ほどいる高校3年生の選手のうち、育てきれなかったから大学へというのは少し違うかなと。Jリーグのクラブは、「なぜ武藤が出てしまったのか」を考えるべきです。「なぜ慶應大に送りこまないといけなかったのか」、そして本人も「なぜ慶應大を選択したのか」。それで3年経ってクラブに戻ってきたら、わずか1年ちょっとで海外という次のステージへ行ってしまうわけですから。そう考えると、FC東京のうまみというか収穫みたいなものは1年ちょっとしかない。しかも、昨シーズンの1年間は大学に在籍しながらプレーしていましたからね。仮に僕が今Jリーグクラブの育成部長だったら、「なぜ大学で人材が育つのか」を疑問に思い、大学で何が行われているかを観察して、実地研修をさせてもらって、そのノウハウをまずはジュニアユース世代に落としこみます。
――つまり、もっと若い年代から飛躍していく選手がたくさんいてもいいのではないかということでしょうか?
神川 そうです。だって彼らはフットボールのエリート教育を受けているわけですから、できれば17歳ぐらいで芽が出てほしいわけです。それで数試合はトップでも出られるとか。そうやって考えると、ジュニアユース世代でやっておかないと間に合わないと思います。何をするのかというと、僕は人間形成だと思います。
――そう考えると、大学サッカーの役割はどこにあるのでしょうか?
神川 教育です。あくまでも教育の一環だと考えています。特待生など免除される一部の学生を除き、当然、学生は学費を払って初めて学生になれます。明治大の学生は全員が学費を払っています。学生という身分があり、その上でサッカーをしているので、あくまでも教育の一環でしかないわけです。明治大では「プロの養成所ではない」とずっと言ってきましたし、プロフットボーラーをここで育成することが本来的なやり方だとは思っていません。延長線上にあるものでしかないんです。明治大の選手たちは一生懸命勉強して単位を取得しつつ、自分とは異なる環境で育った仲間と友情を育み、教授などの専門的な学のある人物と、サッカーでは形成できない人間関係を築いていき人としての幅や深みを出しながらサッカーをしています。
――限られた時間の中でサッカーをするわけですね。
神川 そうです。でもその限られた時間を最大限に使ってサッカーをすることで、サッカーをやれることが当たり前ではないと気づき、より濃密に向き合うことができます。そこで技量を磨いた先にプロフェッショナルな道が開けたら、それはその人の努力が認められてしかるべきですが、プロフットボールの世界に22歳でデビューするのは本来では遅いですよね。だから大学サッカーはあくまでも補完的な立場であって、王道ではありません。一番危険だと感じているのは、大学サッカー界の人たちが、「大学サッカーは必要不可欠」とか「大学じゃなきゃダメだ」と言うことなんです。そうではないんですよ。もちろん、真剣に勉強をしながら真剣にサッカーをしたい人はいますから、そういう人の受け皿として、教育を主眼に置いた大学サッカーは絶対に必要ですけど。でも世界的に見ても、スター選手を輩出するための場としての大学サッカーであれば、それはなくてもいいんです。
――長友選手は海外に出て活躍していますが、欲を言えば高校から上がっていってほしかったということでもあるのでしょうか?
神川 まあ、ああいった選手はたまに出てくるのでそれはいいのかなと思いますけど、その流れがメインみたいになるのは違うと思います。それでいて大学サッカー界の人がそういうふうに声高に言うのはおこがましいのかなと。あくまでも指導者もみんなアマチュアですし、人生をかけてやっていないですから。大学の教授としての籍がありますし、成績が出なくてもクビにならないことが普通にありますから。でもそれはプロのサッカーシーンからすると違いますよね。「粛々と人を育て、それがフットボーラーになればそれは好ましいこと」だと捉えておくのが大学サッカーであり、フットボーラーを作るのはプロクラブの役割。エリート教育の激しい競争の中で一人、また一人とプロのピッチに送りこんでいくことが、プロの育成としては一番いいのではないかなと思います。
サッカーの技術よりも人として生き抜いていく力が大事
――ではそれを踏まえて、大学サッカーの指導においての信念やこだわりは?
神川 この10年、明治大の監督をしてきた僕の信念は、「ここにいる意味を常に考えて、ここにいる貴重さを常に心に留めて、日々自分で1日1日を作っていきなさい」と伝えることだけです。週に一度は必ず行うミーティングで選手には毎回言い続けてきました。まずは、「なんでここにいるのか」と。選択の連続なんです。大学に来るか来ないかから始まり、来るという選択肢の中で日本の大学に行くことを選びました。そして国内の700校の大学から明治大という一つの大学を選んだことになります。サッカーをやるのもやらないのも構いませんが、推薦で入ってきた場合はまずサッカーをしますよね。でも「なぜサッカーをするのか」。学生たちは小さい頃からサッカーをしてきて、サッカーをすることは、毎日なんとなく歯を3回磨くのと一緒なんです。大切なのは、歯を磨くのに1本1本を意識するのか、サッカーをするのに1回1回意識するのかということ。最初は、無意識に歯を磨くような感覚でサッカーをしているんです。だからこそ、サッカーがなくなって始めてサッカーのありがたみがわかったり、レギュラーで出るのが当たり前だったりすると試合に出られないことが日常的になって、出られない厳しさに直面するんです。そうなると、弱い人間はすぐに原因を外に向けます。監督が悪い、コーチが悪い、環境が合っていないと。でも違うんです。実力がないだけ。そしてもう一つ、「なぜここに居続けることができるのか」。それは保護者がお金を払っているからです。学費、生活費、部の活動費をざっと試算しても4年で1500万円ほどかかります。そのうちの3割が学費です。仮に授業料を算出すると、1回の講義で5000円ぐらいなので、1回サボると5000円を捨てていることになります。そういう話を学生にして、「それでいいのか。それで自分が選んだ道を進んでいると言えるのか」と伝えています。それでいる意味がないのであれば僕はすぐに辞めろと言います。「そういうことがわからないのに、明治大に来てサッカーなんてやってるんじゃない」と。僕自身は10年間ですけど、選手には4年間、それを常に考えさせてきました。
――大学サッカーにおいて最も重要なのは人間性なんですね。
神川 そうです。僕はステークホルダーと言っていますが、それは保護者や世の中のことです。学生が4年間でやったことの“果実”を受け取るのは、本人はもちろんですけど、保護者や世の中。保護者は22年間、子供を手塩に掛けて育ててきていますから。大学は社会に出る最後の砦であり、わたしたちの立場から言えば「社会に輩出する以上はもう言い訳はできないぞ」という刻印を押されているようなものです。「どこで何を教わってきたんだ」とか「明大サッカー部はダメだな」って言われたらダメなんですよ。そういうことを考えた時に彼らにとって一番身につけさせないといけないことはサッカーの技術ではありません。人として生きていく、生き抜いていく力です。それは世の中も求めているし、何よりも保護者が求めています。保護者はプロサッカー選手にしてくれとは思っていないですし、人間として生きていく力を成長させてほしいと思ってお金を払っているんです。