そのドリブルは観客を魅了する力を持つ [写真]=スポーツ東洋
文=當麻彰紘(スポーツ東洋)
東洋大学屈指のテクニシャンが、今大きな飛躍を遂げている。チーム内から“タツ”の愛称で親しまれるMF坂元達裕は、今季ここまで6ゴールを挙げチームに欠かせない存在に。右サイドハーフのポジションを確立し、得意のドリブルで相手DFを翻ろうしている。一昨年度の第92回全国高校サッカー選手権大会で名を馳せ、今まさにスターダムを駆け上がる坂元の過去、現在、そして未来を紐解く。
スポーツ万能な血筋に生まれ、今となってはプロの道さえ開け始めた坂元。しかし、彼のサッカー人生は決して順風満帆なものではない。小学校2年生からサッカーを始めた坂元は、FC東京U-15むさしに在籍していた中学校時代まで、FWとしてプレーしていた。プレースタイルも現在とは異なり、「裏に抜けたり頑張るタイプだった」という。FC東京U-15むさしでは満足な出場機会を得ることができず、当時チームメイトだった高橋宏季らがU-18に昇格する中、坂元はそのスター街道を断たれた。
坂元が選んだ進学先は群馬県の強豪・前橋育英高校だった。これが彼のサッカー人生を大きく変えることとなる。北村仁コーチとの出会いだ。強豪校ということもあり、入学当初からポジションをつかむことはできなかった。しかし、この間にプレースタイルは変貌を遂げる。「落ち着いてプレーすることを教わった」と、北村コーチとともに日々成長した。3年生になりベンチ入りを果たし結果を残すと、夏のインターハイ準々決勝からスタメンに名を連ねるように。そして迎えた選手権。「流れに乗れている中での大会だった」と振り返る坂元は全試合でスタメン出場を果たし、準々決勝の京都橘高校戦ではゴールを挙げるなど活躍した。準決勝の流通経済大学付属柏高校戦ではPK戦となり、決めれば決勝進出という場面で登場したのは坂元。「入ればヒーローだと思っていた」という坂元は冷静にゴール右隅へと叩き込み、望み通りのヒーローとなった。
東洋大への進学が決まったのは選手権の前のこと。練習試合での対戦を経験し、「最初から東洋に行きたい」という希望を出した。しかし、当時まだ実績の少なかった坂元はスポーツ推薦で入学することができなかった。サッカー部では数少ない社会学部に所属している理由は「指定校で来るなら来てもいいよ」という扱いだったから。スポーツ推薦ではなく指定校推薦の枠を使い、東洋大への門戸を叩いたのだ。選手権での活躍もあり入学時には注目を集めていた坂元。昨年の「アミノバイタル」カップ2015第4回関東大学サッカートーナメント大会(兼総理大臣杯全日本大学サッカートーナメント関東予選)、東京国際大学戦で初スタメンを飾ると、49分に大学初ゴールを奪う。総理大臣杯全日本大学サッカートーナメントでもレギュラーを奪うなど、華々しい道を歩み始めたと誰もが思った。しかし、その年のJR東日本カップ2015第89回関東大学サッカーリーグ戦後期での出場は、途中出場の1試合に留まる。「足りない部分や決めきる部分を痛感した」と、ベンチにも入れない日々を振り返った。
しかし今季は昨年の大黒柱・遊馬将也(現ブラウブリッツ秋田)が着けていた背番号9を受け継ぐと、リーグ戦全試合に出場するまでになった。本人の強みは「関東1部にも通用する」と古川毅監督が評価する足元の技術で、チームにアクセントを加えている。もう一つの強みは空中戦にある。170センチという恵まれた体格ではないものの、そのジャンプ力で相手DFとの身長差をもろともしない。そして「怯えずに突っ込んでいく感覚」。これは坂元がサッカーを始める前、両親に勧められ始めたラグビーをやっていた頃に身に着けたものだ。「幼稚園で毎日けがして泣いて帰ってくるっていうのがあった」という幼少期の経験も、今の坂元を支えている。
20歳を迎えたばかりの青年の視線の先には、早くもプロの世界が広がる。8月末には高橋とともに関東大学選抜の選考会メンバーに選出されるなど、大学屈指のMFとしての階段を着実に歩んでいる。坂元は語る。「いつでも当たり前のように自分のできることができるような選手にならないといけない」。より相手の脅威に、そして東洋大の未来を担う存在となるべく、努力の日々は続く。“あと2年ある”と捉えるべきか“もう2年しかない”と捉えるべきか。いずれにしても、坂元はどんな困難が訪れようとも、それを成長に変える力を持つ。その力は、光ある将来を確実に切り開く道しるべとなるであろう。
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