国見高校在籍時に第81回全国高校サッカー選手権(2002-03)で2年生ながら7得点を挙げて大会得点王に輝くと、2003年のワールドユース(現U20ワールドカップ)に臨むU20日本代表に飛び級で選出されて活躍。同年の高校サッカー選手権(2003-04)では当時の歴代最多タイとなる9得点を挙げて2年連続の得点王に輝いた。
恵まれた体躯を生かしたポストワークとゴール前での冷静なフィニッシュワークでゴールを量産。選手権史上初となる2年連続得点王という実績を引っさげて、アテネ五輪出場を目指す日本代表にも飛び級で選出。大きな話題と期待を集めたが、筑波大への進学を決断。19歳でアテネ五輪代表に選ばれ、2005年のワールドユースにも出場。いずれも成績は振るわなかったが、同年7月にオランダのヘラクレスと3年契約を結んで欧州移籍を果たす。
ヘラクレスでは1年目からチーム最多の8得点を挙げたが、指揮官の交代などもあって出場機会を減らし、2006年に帰国。FC東京で新たなスタートを切り、ケガなどもありながら在籍11シーズンで公式戦225試合に出場し、56得点を記録した。2017年にベガルタ仙台への移籍を果たしたがケガにより出場機会がないまま現役を引退。その後、仙台大に入学し、筑波大大学院に進学。2024年に仙台大サッカー部の監督に就任した。