チームの勝利に欠かせない専門家 井田征次郎(フィジカルコーチ)

井田征次郎


 フィジカルコーチという職業をご存じだろうか。チームの中で選手のコンディショニングを整えフィジカル面でのサポートを行うほか、ケガをしないためのトレーニングを指導する専門家だ。スポーツの世界では比較的知られたこの職業も、一般的な認知度はまだまだ低い。そんなフィジカルコーチとして、イタリア、日本、中国と世界を股に掛け活躍してきた日本人がいる。井田征次郎さんがこの世界に飛び込んだきっかけは高校時代に見たテレビ番組だった。

「ある野球選手がトレーナーの指導を受け、肉体改造に取り組んでいて、その時トレーナーという仕事が取り上げられていました。私も学生時代にサッカーをしていて、ケガが多かったこともあり興味を持ち始めたのがきっかけです」

 その後進学した筑波大学ではサッカー部のトレーナーとして活動する日々を送る。サッカーの世界でトレーナーは、主にケガをした選手のリハビリやマッサージなど、ケアの仕事を担う。ケガをしないための身体づくりやトレーニングについてより深く学びたいと考え、研究室では体力学やトレーニング学を専門に学んだ。卒業後は大学院へ進学することも考えたが、井田さんはあえてチャレンジする道を選んだ。2005年5月、単身イタリアへ渡ったのだ。

「人と違うことを学べば、それが武器になると思ったのが一つ。それからサッカーの本場ヨーロッパの中でもイタリアには専門のフィジカルコーチがいてライセンスもありました。つまり専門的に学ぶ環境がある。そこに行けば何か得られるのではないかと考えたんです」

実績を積み上げ、ミランへ

 井田さんが向かったのはイタリア中部、ウンブリア州の州都ペルージャ。人口約16万人ほどの小さな町だ。

「初めは言葉が分かりませんでした。語学学校に通いながら、2005年9月からはサン・マルコ・ユヴェンティーナという町クラブのU-18チームにボランティアでサポートをさせてもらい、サッカーに必要な言葉はそこで覚えました」

 その後チームの監督の紹介で移ったのは、セリエC1(3部に相当)のペルージャ。かつて1998-99シーズンから1年半にわたり、元日本代表の中田英寿氏が活躍したチームだ。07年8月から翌年6月までU‐16ではトレーナーとしてチームに帯同。その後08年7月から09年5月まで、ペルージャ近郊の町グッビオにあるアマチュアクラブのセモンテへ。トップチームのフィジカルコーチとして正式契約を結び、着実に経験を積み重ねていった。

「ただ帯同するだけだったらコネ次第である程度どのチームでも入れますが、契約やお金が絡むと相手は急にシビアになります。そんな中で、少額でもきちんと契約してお金をもらうところにつなげられたのは自分にとって大きかったですね」

 イタリア在住5年目に入った09年、井田さんは慣れ親しんだペルージャを離れる決断をする。「セリエAのチームがある都市」ミラノへ向かう。ここでは、あのミランで働くチャンスを得た。

「友人に誘われてフットサルに行ったら、そこがミランのアカデミーのスクール会場で、指導者募集の広告が出ていたんです。翌日連絡したところOKの返事を頂き、スクールのコーチとして働かせてもらえることになりました。その後は人のつながりでミランの育成部門のフィジカルコーチを紹介してもらい週2~3回、研修のような形で勉強させてもらいました。ミランはイタリアの他のクラブと比べても特別で、育成だけでフィジカルコーチが5人ほどいます。普通は多くても1~2人ぐらいです。その5人が1カ月ごとに担当を回しながらミランの育成組織のすべてを見ている。それぞれ5人のフィジカルコーチが10の目と5つの脳を駆使して、気付いたことは話し合い、お互いに情報を共有して、問題のある選手には迅速に対応します。施設は街の中にある公共のものを借りて使っていましたが、環境としてはずば抜けて良かったですね」

肌で感じた、イタリアと日本との違い

「イタリアも日本も、特別変わったトレーニングはしていません。ただ、イタリアの場合は子供のころから年間を通したリーグ戦に出場しながら、経験を積める環境があります。僕の専門はフィジカルトレーニングですが、あくまでもサッカーに生かすことを目的として行っています。なので、単に体が大きくなればいい、強くなればいい、速くなればいいという考えだけだとサッカーの上達にはつながりません。フィジカルトレーニングをどのように組み込んで、サッカーに生かしていくのかという部分が重要視されています」

 あくまでも目的はサッカーの上達でありゲームで勝利すること、トレーニングとはそのために必要な手段である。練習のための練習ではなく、目的を達成するために行うのが練習だということを選手も指導者も理解している。だからこそ、同じトレーニングをしても効果に差が出てくるし、それは結果にも表れてくるのだ。

「日本の場合、どちらかというとサッカーは積み重ねていくもの、という考えがあるように感じます。小さいころはまず技術を習得し、体が大きくなるにつれて体力トレーニングや戦術トレーニングを取り入れていくなど、一つひとつ積み重ねて高くしていく。その過程では、いわゆる根性論的な部分も残っていたりする。対してイタリアの指導者はサッカーというもの全体をしっかりと捉えていて、その中でサッカーに必要な技術も戦術も体力もメンタルもすべてを成長させることに力を入れている。指導に対する視点の違いを感じました」

 帰国後の2011年2月から2013年1月まではファジアーノ岡山U‐18コーチ、さらに2013年3月から9月までは中国・遼寧省サッカーチームのフィジカルコーチを歴任。イタリア、日本、中国と様々な現場を渡り歩いてきた井田さんの言葉には、イタリアサッカーの強さの秘密、そして日本サッカーがさらに発展していくためのヒントが隠されている。

日本におけるフィジカルコーチの現状

 フィジカルコーチとは、サッカーを支えていくために必要不可欠な専門家だ。しかし、日本国内において彼らが置かれた現状は決して良いものとは言えない。Jクラブでも、厳しい財政事情によりフィジカルコーチを雇っていないチームはまだまだ多い。

「日本ではフィジカルコーチの需要が少なく、『欲しいけど、必ずしも必要ではない』というのが現状だと思います。実際にフィジカルコーチを置いていないJクラブではコーチや監督がフィジカルトレーニングの指導を行っているところもありますし。最終的に練習メニューを決めるのは監督です。フィジカルコーチという立場としては、トレーニングを考え指導する監督をはじめとするコーチングスタッフ、ケガ人やリハビリ選手などを担当するドクター、トレーナーなどのメディカルスタッフの間の橋渡し役となり、そして選手ともしっかりコミュニケーションをとった上で信頼関係を構築できれば、チームにとってより良い結果が出てくるのではないかと思います」

 これまでにも数多くの才能ある選手たちがケガを理由に現役を退いてきた。彼らの中の一人でも、もし現役時代に井田さんのようなフィジカルコーチから専門的な指導を受けていれば、さらに長く、そして高いレベルの舞台で活躍することだってできたかもしれない。

「フィジカルコーチは必要だと監督やコーチから思われるだけの力をもっと付けて、チームの勝利に貢献したい」

 世界を舞台にフィジカルコーチ井田さんの挑戦は続く。

インタビュー・文=小林良宏(サッカーキング・アカデミー
写真=高山政志(サッカーキング・アカデミー

●サッカーキング・アカデミー「編集・ライター科」の受講生がインタビューと原稿執筆を、「カメラマン科」の受講生が撮影を担当しました。
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