病気や事故で手足を切断した選手が松葉杖をついてプレーするアンプティサッカーの全国大会が5月9(土)から5月10日(日)にかけて大阪で開催された。「第二回レオピン杯Copa Amputee」(特別協賛:湧永製薬株式会社、オフィシャルサプライヤー:株式会社エスエスケイ、hummel)には全国から6チーム50名が集結。障がい者スポーツの枠を越えたスピードあるプレーで会場を沸かせた。
■アンプティサッカーとは
30年以上前にアメリカの負傷兵が、松葉杖をついてプレーするサッカーをリハビリテーションとして始めたのがアンプティサッカーの起源と言われる。フィールドプレイヤーは主に片足の切断者で、日常生活で使われる通常の松葉杖をついてプレー。GKは主に片手を切断しており、片手だけでプレーする。日本には2010年に導入され、2010、2012、2014年と3大会連続でアンプティサッカーワールドカップに出場。2014年メキシコW杯では、初勝利を手にし、決勝トーナメント進出も果たした。
昨年末のW杯以降初の公式戦となった今大会。初日はJ-GREEN堺フットサル屋外コートにて、トーナメント2試合と全選手参加での東西戦、および日本代表クラスを集めたオールスターゲームを実施。片足とは思えないトップ選手のドリブルやフェイント、パスなど、同じ会場でサッカー大会を終えた高校生も、その質の高さに息を飲んでゲームを見守った。
■変則的な状況で行われた決勝戦
2日目は南津守さくら公園スポーツ広場に会場を移して、ベスト4の戦いが繰り広げられた。快晴に恵まれた2日目は初日と違いグランドコンディションも良く、また風が通る一日。片足を失っている分、放熱ができにくく、熱中症になりやすい選手にとっても、比較的プレーしやすい天候となった。
決勝戦は昨年10月の日本選手権決勝戦と同じカード。日本にアンプティサッカーを普及させるきっかけを作った元ブラジル代表のエンヒッキ・松茂良・ジアス選手率いるFCアウボラーダ川崎と8名と少人数ながら、代表クラスを揃え質の高いサッカーをするFC九州バイラオールとの一戦。ただし、前回とは違う要素があった。九州の選手3名が持病を悪化させ、今大会に出られなかったのだ。
サッカーコートの半分のサイズで、フィールドプレイヤー6名とGKの計7名で戦うアンプティサッカー。九州はGKもおらず、全員で5名という状況。今回他チームからGKをレンタルし、フィールドプレイヤーは1名少ないという変則ルールで、出場を許可された。準決勝では人数が一人少ないという中で、2-1で3位になったTSA FCに勝利。難しい状況ながら、日本選手権チャンピオンに立ち向かった。
エンヒッキ・松茂良・ジアス選手は、相手が一人少ないながらも、「簡単には勝てないと思う」と試合前に話したように、拮抗した戦いが続いた。結果的にはエンヒッキのハットトリックなどの活躍で4-1と川崎が勝利したが、「レベル的には、九州の方が上だと思ってるんで」と語ったエンヒッキ。日本代表のチームメイトで萱島比呂選手がいなかったことについては、「やっぱり彼が九州のエースで、彼がいないことで、ケアしないといけないことは減ったかな、と思います。優勝はもちろん嬉しいですが、秋の日本選手権は、メンバーの揃った九州に勝って優勝したいですね」と複雑な思いを語った。
■アンプティサッカーの持つ魅力
エンヒッキ選手の優勝コメントに引っ掛かりがあることが、アンプティサッカーの持つ魅力だと言える。それはAFC BumbleBee千葉の金井隆義選手の言葉に集約される。「今回、広島が公式戦初ゴールを記録したんです。嬉しくてしょうがないですよね。勝っても負けても仲間だから。みんな勝ってほしいし、もちろん僕だって勝ちたいですし」。アンプティサッカーをするに至った経緯には、それぞれの事情があり、葛藤もある。それでもこうして仲間に恵まれ、サッカーをできる喜びを感じている選手たち。今回の九州の選手のように、昨日と同じプレーが今日できるわけではない、という難しさも同時に抱えている。それだけに今日のこのプレーに、自分たちの力を精一杯出し切り、それをみんなで喜ぶという雰囲気がアンプティサッカーにはある。秋に行われる日本選手権、今回欠場となった九州の3選手が戻ってくることを誰もが待ち望んでいる。その選手一人ひとりの姿に日本アンプティサッカーの底力が見えた気がした。