「もっとサッカーにどっぷりかかわりたくなって、血迷って会社を辞めてしまいました」
人生の大きな決断にもかかわらず、穏やかで優しそうな笑顔を浮かべながら、当時の心境を打ち明ける。その言葉の端々にはサッカーへの確かな想いが詰まっていた。
現在、フリーライターとして関西を中心に活躍する永田淳(ながた じゅん)さんは、かつては商社マンだった。
「サッカーは好きだけど『仕事とは別』と考えていて」と大学時代の記憶を辿り、「就職活動して商社で働こうという感じだった。だからマスコミとかは受けていなくて。仕事になるとは思っていなかったんです」と淡々とした口調で続けた。
商社マンとして奮闘する日々に転機が訪れる。
「2005年だったかな? たまたま『エルゴラッソ』の携帯サイトで記者募集の情報を見つけて。それで、履歴書と原稿を送ったのが最初ですね」
偶然か必然か。「仕事になるとは思っていなかった」サッカーの世界へ大きな一歩を踏み出した。
「本当に何の縁もなくて、それまではJリーグを見に行ったり、フットサルをやるくらいだった。本当に原稿を出したところからのスタートです」
2005年終わりから商社マンとライターの二束のわらじを履いた。最初の担当は当時J2のヴィッセル神戸だった。
「サッカーが好きで、選手や監督に話を聞くのは刺激的だった。見て疑問に思ったことをぶつけられることもすごく魅力的でしたね」
取材を重ねると、次第にサッカーに対する熱が帯びていく。
「もっとどっぷりやりたい」
しかし、周囲の反対は大きかった。安定した収入が入るサラリーマンを辞めるリスクは決して小さくない。フリーライターは華やかな職業に見えるが、毎月決まった稼ぎを得られるとは限らない。
「会社の人はかわいがってくれていたし、親も『好きなことやれば』と言ってたけど、いざそうなると……『もうちょっと考え直して』と言われたこともありましたね」
サラリーマンを続けるか。安住の道を捨て、好きなサッカーを仕事にするか。思いが揺れる日々が続いた。
一歩踏み出せずにいた時、ある選手との出会いが決断を後押しする。
「会社を辞めるにあたって三浦淳寛選手がいなかったら、そこまでどっぷりやろうとは思ってなかったかもしれないですね」と人生の英断を回想する。「あの時の神戸にはアツさんがいて、はまりこんでもいいかなと思わされてしまった気がします」と当時を懐かしそうに振り返った。
「もともと好きな選手だったし、僕自身が高校の時に人がいなくてサイドバックをやらされた時があって」と、三浦氏との巡り会いを語る。
「昔のサッカー雑誌で攻撃の選手だったアツさんがサイドバックに転向した頃のインタビューを読んで僕も頑張ろうって思ったことがあったんですよね。そんな選手が取材先にいて、話すようになって、すごく人望があって人を惹きつける力がありましたね」
2006年9月。サッカーの魅力に導かれるように、会社に辞表を出した。
人とのつながりを大切にして
晴れてフリーライターになると、2006年末にはヴィッセル神戸のJ1昇格に立ち会い、サッカーライターの魅力にますますはまっていく。07年から『エルゴラッソ』の契約記者になり、神戸と名古屋グランパスを担当。08年から神戸とガンバ大阪を担当した。神戸のJ1昇格、ガンバのACL優勝、天皇杯連覇などクラブの飛躍とともに、自らもライターとして着実に成長を遂げていく。
「やっているうちにいろいろな人と知り合うことができたし、神戸、ガンバを取材しているということで他の媒体でも書かせてもらえるようになりました」
フリーライターとして生きていく上では、サラリーマン時代の経験が生きていると言う。
「原稿をうまく書くかどうかももちろんあるけど、結局、選手や監督と話をしなきゃいけない。普段のコミュニケーションは会社員の時に学んでおいてよかったと思う」
続けて「人とのつながり」の大事さを強調した。「この仕事は人とのつながりがほとんどだと思う。何を書いてるかも大事だけど、人を知らなかったら仕事は回ってこない。どこかの雑誌編集者が自分のことを神戸やガンバを取材してる人だと知らなかったら、仕事もくれないし。いろいろな人と知り合ってやっていくというふうにはしていますね」
フリーライターに転身して6年。様々な媒体で記事を書くようになった。順風万帆に見えるライター人生だが、意外にも手応えや自信はないと言う。
「自信はないです。今後が大丈夫かと思うこともあるし」と飄々と笑顔で漏らす。それでも、時折、ライター業に対する流儀が垣間見える。
「この仕事をしていると、『サッカーを難しく考えなければ』と考えがちになります。ややこしいこと見つけなきゃといった具合に。でも、それはしないよう心がけるようになりました」
情報を発信する側として気をつけていることを、ある選手とのエピソードを交えながら明かしてくれた。
「加地亮選手に『サッカーって難しいですよね』って話をした時に『いやいや、サッカーなんか簡単でしょ? ボーンと蹴って、ダーっと走って、ドーンと決めたらいいんだよ』って言われて、『確かに』と納得したことがありました」と笑みを浮かべながら教訓を話す。
サッカーというシンプルなスポーツをあえて複雑にしない。独りよがりにならず、わかりやすく伝える。「サッカーって複雑な要素がいっぱいあるんだけど、常にそんなことばっかり考える必要はないのかな」という落ち着いた語り口ではあるが、表情からはサッカーを生業とした矜持をのぞかせる。
「好きなサッカーが仕事になって恵まれている。たまたまみたいなところもあると思うけど、いろんな機会をもらえて、様々な人とつながることができていることはよかったですね」
淡々と。飄々と。一つひとつの言葉を丁寧につむぎながら語る表情には、サッカーを仕事にできた喜びが満ち溢れる。これからも自然体でサッカーに関わっていくだろう。人との出会いを大切にしながら。
インタビュー・文=藤井純也(サッカーキング・アカデミー)
●サッカーキング・アカデミーの受講生が取材、原稿を担当しました。
●「編集・ライター科」と「カメラマン科」について詳しく知りたい方は、資料請求でスクールパンフレットをお取り寄せください。送料無料です。
By サッカーキング編集部
サッカー総合情報サイト