放送という立場から、日本サッカーの発展に貢献すべく汗を流している人物がいる。
冨樫理(とがしおさむ)さん。株式会社スカパー・ブロードキャスティングの制作部で働いており、現在は主にJリーグの放送を担当している。父親は、“ジャンルカ・トト・冨樫”の愛称で多くのサッカーファンから親しまれた、故・冨樫洋一さん。WOWOWやスカパー!ではセリエAなどのコメンテーターを務め、イタリアサッカー専門誌『CALCIO2002』では初代編集長として活躍したサッカージャーナリストだ。
日本のサッカー文化の浸透に大きな影響を与えた偉人の息子は、父と同じサッカーメディアで生きる道を選んだ。日本サッカーの発展のため、放送という立場から何ができるのか。その熱い思いを語ってくれた。
冨樫さんが放送業界の扉を叩いた理由の一つは、プロを目指し努力を重ねた選手時代の日々にある。幼稚園からサッカーを始め、高校卒業時には海を渡った。父の紹介を受け、サッカーの本場アルゼンチンへ。しかし、国内外のクラブからオファーがかかることはなかった。それでも、多くを学んだサッカーへ恩返しをしたいという思いから、一度は就めた旅行会社を退職し、放送業界へと踏み込んだ。
サッカーのフィールドから一歩離れた放送という立場からは、どんな恩返しができるのか? 冨樫さんは、アルゼンチン留学時代に感じた日本との“ギャップ”を埋めていくのが仕事の一つだと言葉を紡ぐ。
「日本では、やりたい人しかサッカーをやらない。それ以外の人は体育の授業なんかでちょっとやるけど、それじゃ好きにならない。あと、クラブを応援しに行こうという環境もなかなかないですよね。だけど、アルゼンチンは違う。サッカーの情報が日常にあるし、スタジアムやクラブも、町ごとにあるのが当たり前。どこの町に行っても熱いリーグ戦をやっていて、日本の環境に比べると雲泥の差があったんです」
サッカーの土着性。アルゼンチンには、日本とは大きく異なる環境があった。日本にサッカーを浸透させていくため、映像が果たすべき役割は決して小さくないと、冨樫さんは強調する。
「もっと身近にクラブ関係の人が増えたり、クラブを応援する、アウェーまで応援に行くような人とかが増えていくと、草の根的に広がってサッカー好きが増えていく。そのきっかけを作るのも放送なのかもしれないなと。例えば、サッカーを知らない人にもその楽しさを知ってもらうような放送を行うことも、僕らの仕事だと思うんです」
しかし、人気の向上だけに努めれば良いわけではない。横の広がりに加え、縦への深化、つまりサッカーに対する日本人の知識を深めていくことも重要となる。冨樫さんにとって、それを強く感じたのが2002年の日韓ワールドカップだったそうだ。実況席の隣で仕事をし、日本代表の敗退や様々な人の感情の浮き沈みと直面する中で、「これからの日本代表のために、自分ができることは何なのかをその場で感じられた」という。
「試合をたくさん見せて知ってもらうっていうことがとても大きい。例えば、うまいにしたってテクニックだけうまい選手は日本にたくさんいるけど、どんな状況でも100%のプレーができる選手を育てるのは、まだ日本だけでは難しい。そこで、映像を通して『世界ではこういうテクニックが進んでいるんだよ』、『世界ではこういう戦術が出始めててこういう監督がいて……』という情報を伝えていくことも大切だと考えています」
日本サッカー、あるいは日本代表の経験不足を解消するために、映像を通してできることがある。しかも、選手だけが対象ではない。「欧州で日本人の監督が活躍するために、試合を放送し学べる環境を提供する。これは僕たちにしかできないことだと思っています」と熱い思いを吐露する冨樫さん。いつか世界最高峰のリーグで指揮を揮う監督を――。そのためにも、放送を通して欧州サッカーの戦術的トレンドなどを早く正確に伝えていく必要があるのだという。
日本サッカーには、改善点がまだまだある。それでも、日韓W杯から10年が経ち日本のサッカーは成長した。代表戦は高い注目を集め、有料チャンネルで多くの海外サッカーが放映されるようにもなった。経験という点に関しても、海外でプレーする選手が増えたことは大きなメリットだ。今の日本サッカーがあるのは、これまでの人たちが“サッカーインフラ”を整備してきたからだと、冨樫さんは指摘する。
「80年代の頃は本当にサッカーがすたれていた。でもJリーグができてサッカーが注目されて、お金が入ってくるようになって、強化するものができて、W杯っていう目標ができていった。そうやって整備がされていって、今ではJ2まで40クラブがあって、そこに加入したいクラブが100クラブくらいあって、それが全国規模になっています。それこそ、今までサッカーを支えてやってきた人たち、親父たちの世代の功績だと思うんですよね」
では、先人たちからバトンを受け継いだ自分たちが成すべきことは何なのか。冨樫さんは「僕たちの課題はっていうと、100クラブまでできたのを、今後どうやって残して、評価していけるようにしていくか」と述べ、こう続ける。
「特に子供ができてから、親父たちが作ってきたものをどうやって次の世代に伝えていったらいいか、みたいなことも考え始めるようになった。そういうのがずっとつながっていけば、より良くなるんじゃないかな、と思うんです」。日本サッカーへの思いをつないでいくことが、その発展に欠かせない要素なのだ。
先人たちからのバトンの意味の重さを理解しているのは、父に冨樫洋一さんをもったことも大きく影響しているだろう。冨樫さんは「親父と一緒にいってあいさつをするとほとんどの人が覚えてくれる。今でも『冨樫の息子なんですよ』っていう話をするとみんながよくしてくれるし、そのへんは非常に恵まれているなと感じます」と尊敬の念を隠さない。
父と同じくサッカーメディアに生きることを決めた冨樫さんにとって、父の背中は永遠の憧れであるようだ。「できるんですよね、親父は仕事が。人をつなぐ、人に伝えるっていうことがたまに大げさなんだけど、ものすごいうまい。そういうところが親父はすごいなあって思います」。父親について語る時、冨樫さんは現在形の口調となっていた。羨望の対象として、大きな目標として、今もなお洋一さんが胸の内に生きているのだろう。
父親を筆頭とする日本サッカーの基盤を作り上げた先人たちの思いを乗せ、冨樫さんは今日も放送を通してサッカーの魅力を発信する。彼の流す映像の裏には、日本サッカーの強化に貢献し、次の世代へサッカーを伝えていくという、熱いメッセージが込められている。
インタビュー・文=古川智大(サッカーキング・アカデミー)
●サッカーキング・アカデミー「編集・ライター科」の受講生がインタビューと原稿執筆を担当しました。
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