近年、高校から大学を経由してJリーガーになる選手が増加している。今年も20人以上の大学生が来季のJクラブ入団内定を受けている。
多くのJリーガーを生み出している現場は、どのような考えを持って選手を大学へ迎え入れ、Jへと送り出しているのか。今回は清水への入団が内定している中央大学MF六平光成を指導した中央大学コーチ陣のコメントを紹介。高校時代に国立の舞台で活躍し、将来が嘱望されていた原石を、大学側はどのようにして育成したのだろうか。
取材協力:中大スポーツ 写真:内藤弥穂
Jからオファーがないのが不思議だった、「この子は獲らなきゃもったいない」
■白須真介監督(2011年までコーチ、2012年から監督就任)
―彼をスカウトした理由を教えて下さい。
白須 それはもちろん能力があったからですよ。Jからオファーが来ていないのが不思議でしたね。セレクションを見た時もずば抜けて能力が高かった。「この子は獲るしかない、獲らなきゃもったいない」と思いました。
―彼が入学してきた当初の印象はどうでしたか?
白須 今も1年生の時もあまり変わらないですね。彼はどこに行ってもマイペースというか、動じないというか。1年生から試合に出ていても堂々とプレーしていました。学年が上がるにつれてスキルには安定性が出てきましたが、リスクのあるチャレンジするプレーは少なくなってきたという印象を持っています、でも、安定性がある分、ミスが少なくなってきたということは間違いなくありますね。
―どのようなプレーヤーに育てようと考えていましたか?
白須 彼は能力が高かったので、僕がいじっちゃうと逆にヘタクソになると思って、とにかく良い所をなくさないように心掛けました。ゴールに向かうドリブルの仕掛けだったり、動き出しだったり……。やっぱり、点の取れる選手が相手にとっては脅威になるので。元々ポテンシャルの高い選手ですから、その能力を最大限に引き出そうと。今ではチームの絶対的な存在になっています。
―この4年間で一番成長した部分はどこですか?
白須 プレーが安定してきたということは、やはりメンタルの部分かな……。彼のレベルぐらいになるとプレーの質はそこまで変わらないので。本人のサッカーに対する意識やチームに対してどのように取り組んでいけばいいのかという、メンタル的な部分が一番成長したんじゃないかと思います。
六平にはW杯に出場してほしいし、それぐらいの能力はある選手だと思っている
―彼を指導してきた中で印象に残っているエピソードを教えて下さい。
白須 彼に対しては本当に何もしていないからね(笑)。とにかく1年生の頃から「チームに貢献できることをやってくれ」としか言っていないですから。強いていうなら、昨年メンバーから外した時のことかな。彼と一番話しましたね。昨年はあまりチーム状態が良くなかったし、彼自身もチームと噛み合ってない部分がありました。まあ、その時期はけがも多かったですからね。前期はほとんど出ていないし、総理大臣杯も出ていないんじゃないかな。どうしても昨年のチームは大岩(一貴・現千葉)とかがいて、後ろを中心にサッカーが進んでしまっていたので、彼は「こういうサッカーはやりたくない」と話していたし、僕も「そうやってお前自身が自分勝手にプレーするのなら外すしかない」と彼に話していました。でも、今年はそのことを乗り越えて、主将の奥山(慎)らと中心になって、彼の理想とするサッカーに近づいてはいるんじゃないかな。
―Jの舞台でどのようなプレーヤーに成長してほしいですか?
白須 チームを第一にして、チームが勝つためのプレーを心掛ける選手。けがをしたときにだけメンテナンスするんじゃなくて、普段から心身のケアを心掛けて長くサッカーをやってほしいですね。彼には日本を代表してワールドカップに出てもらいたいし、それぐらいの能力を持っている選手だと思います。まあ、サッカーをやっていれば監督次第で運命が変わる部分もあるし、そういう運も引き寄せられる選手になってほしいですね。そういうのは、普段からどういう風にサッカーに取り組んでいたか、体のケアをやっているかという、コツコツと積み重ねてきた選手に転がってくるものだと思うんです、目には見えない部分だけど、長くやり続けてきてよかったと分かる部分だから、彼にはそこまで見通して頑張ってもらいたいです。
中村憲剛を超える、プロに行っても成長し続ける選手に
■佐藤健GM(2011年まで監督、2012年からGMに就任)
―彼をスカウトした理由を教えて下さい。
佐藤 ちょうど中盤の選手を探していたんです。ゲームをコントロールできる選手だったのでスカウトしました。
―彼が入学してきた当初の印象はどうでしたか?
佐藤 予想通り、1年生からゲームで使える選手でした。ただ、システム的にサイドでの出場だったので戸惑いはあったようですね。
―どのようなプレーヤーに育てようと考えていましたか?
佐藤 ここの卒業生である中村憲剛(川崎・日本代表)を超える選手になれるよう、育てていこうと思っていました。つまり、ここを卒業してからも成長し続ける選手ということですね。そして自分のことだけでなく、チームの勝利を第一に考えられる選手になってほしいと思っていました。その甲斐もあってか、4年生になって「チームを勝たせたい」という気持ちが出てきましたね。大きな成長だと思います。
―Jの舞台でどのようなプレーヤーに成長してほしいですか?
佐藤 大学での4年間が土台となって、清水での活躍はもちろんのこと、日本代表も狙って頑張ってほしいです。
白須監督が「Jからオファーが来ていないのが不思議でしたね」と話すほど、技術的にはJに行ってもおかしくないレベルにあった六平。実際、U-19日本代表ではJリーガーを押しのけて10番を背負い、チームの主将としてプレーした。そんな彼が大学4年間で成長したのは、「メンタル面」だと2人は口をそろえて話している。チームの顔として、OBや周囲の注目を一身に集めながらのプレーは、相当のプレッシャーがかかったはずだ。
そのようなプレッシャーは、高卒でJリーガーになった選手にはなかなか味わえない経験だろう。プロ入り前に技術面はもちろんのこと、精神面を鍛え「一人の大人として自立させる」ことが、大学の重要な役割になっているのかもしれない。
そんなプレッシャーを乗り越えたからこそ、2人は「日本代表」という高いハードルを六平に課している。大学を経て一回りも二回りも大きくなった彼の活躍に期待したい。