提供=サカイク
専門学校時代の地区大会。元プロ選手として周りからの期待は大きかった
96年に高卒でジュビロ磐田に入団し、わずか2年で現役Jリーガーからの引退を余儀なくされた松森亮さん。戦力外通告を受けて地元の千葉へ戻り、恩師からの紹介で情報ビジネスの専門学校へ入学し再スタートを切りました。一旦サッカーから一歩引いたスタンスであったものの、専門学校でのサッカー部の練習試合をきっかけに、再びサッカーへの情熱が湧きあがってきたそうです。一度大きな挫折を味わった松森さんが、改めて自分はサッカーが大好きなんだという事を再認識し、どのような道を歩んでいったのかをお届けします。
■大好きなサッカーを軸に、さまざまなビジネスにチャレンジ
「やはり自分が好きなのはサッカーだし、自分の武器はサッカーしかないと再確認しました。また、就職したシステム会社の社長がサッカー好きな方で、“新しくサッカービジネスをやろう”と言ってくれたんです。小さな会社ではありましたが、自分の考えを理解してくれましたし、自分で何かを成し遂げたいという思いが強かったので、僕にはあっていたのだと思います」
まずはサッカー情報サイトを立ち上げ、次にしばらく遠ざかっていた同世代のメンバーたちに連絡をし、「オフィシャルホームページをたちあげないか?」と交渉した松森さん。彼らが所属する各クラブのフロントにも挨拶に出向いたものの、残念ながらビジネスには発展しませんでした。そこで、新たなプロジェクトが始動し、会社を立ちあげることとなります。
同じ志を持つ者同士で立ち上げた会社でしたが、時間の経過とともに、互いに目指すものが変化していき、ついに02年、松森さんはウェブクリエイターとして独立することを決意しました。
「フリーになって、最初はどうしようかとあれこれ考えましたね(苦笑)。そんな時、いろいろ相談していたのが古巣・ジュビロでした。“何か仕事はないですか?”と営業をした時に、ちょうど有料サイトがスタートするところで、その担当者を探していたところだった。車1台にパソコンと生活必需品だけを詰め込んで、千葉から磐田に。最初はマンスリーマンションを借りて、1週間、3週間……と少しずつ更新し、3カ月後、とりあえずは1年間契約してもらえることになったんです。その後、最初は有料ホームページの仕事だけでしたが、試合速報が加わり、その翌年は携帯速報も追加され……、徐々に仕事が増加。合計5年間ほどホームページ関連の仕事をしていました。
1997年ジュビロ磐田Jリーグ制覇。しかし個人としてはこの年でプロサッカー生命を終える弱冠20歳
■苦しかった時期に支えてくれたのは、現役時代にお世話になった大先輩たち
お金のなかった時期は、本当に周りに助けられましたね。中山(雅史・現札幌)さんや(藤田)俊哉さん、名波(浩)さんを始め、ヒデ(鈴木秀人・現ジュビロ磐田U-18監督)さんや(田中)誠さん、それに福西(崇史)さんもよく面倒を見てくれたり、話を聞いてくれました。今でも、その頃のことはよく覚えていますし、自分の心の中にしっかり刻み込まれています」
そして、06年から広報業務を手伝い始め、ジュビロで仕事を始めた02年から6年後の08年、クラブから正式なオファーを受け正社員となったのです。ジュビロから正社員に誘われた際、迷いがなかった訳ではありません。組織の中に入る抵抗を感じ、そして自分で何かを成し遂げたいという気持ちも強かったそうです。結果的に正社員という道を選びましたが、今も「組織にがんじがらめになりすぎないように、自分で何かを動かしていきたい」という気持ちに変わりはありません。
その言葉通り、広報業務はもちろん、松森さんの仕事内容は実に多岐に渡っています。アイデアがあれば自ら綿密に調べ、営業に出向き、そして実現にこぎつける。また、積極的に新しい試みも取り入れ、“今までやったことは、やらない”というほど、絶えずチャレンジすることを忘れないようにしています。
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■失敗や挫折をするからこそ、成功したときの喜びは計り知れない
「今の自分には天職だと思います。これまで培った経験を発揮できる場所ですからね。でも、一番の軸は“サッカー”ということに変わりはありません。社員になれば当然、他の業務をやる可能性もあります。でも、営業でもホームタウンでもグッズ担当でも、なんであろうと、サッカーが軸であれば何でもできると思い社員になりました。僕におけるサッカーのように、何かを1つ頑張っている人は、それを軸に物事を考える。僕の場合は、好きなサッカーを職業に取り入れることができているので幸せですが、たとえそうでなかったとしても、“あの時これだけ頑張ったんだから、こうしよう”と前向きに考えられていたはず」
わずか20歳で解雇され、絶望感に打ちのめされた青年が、失意の先から希望を見出し、あの頃とは違った形で、今、サッカーと携わっている松森さん。“サッカーのある場所”で、以前とは違う姿で輝きを放っています。
「確かに、プロサッカー選手は安定した職業ではありませんし、次の年、自分がどうなっているかわからない。でも、それはサッカー界だけでなく、大学を卒業して、会社に就職した方でも、ある日突然、会社が倒産することだってある世の中です。先のことは誰にもわからない。
僕はサッカーを通して、“頑張ればなにか形になる”ことや、もっと小さなことでいえば、友達ができたり、幼い頃から様々な場所に遠征に行くことで地域の名前を覚えました。本当に小さなことですが、そういった些細なところからいろいろなものを吸収し、生きていく上で大切なものを身に着けられたと考えています。それはサッカーに限らず、同じことが言えます。1つのことに夢中に、そして一筋になれることで掴みとることができるものは多い。その過程の中で、失敗したり挫折したりすることもあるでしょうけれど、だからこそ、成功した時の喜びは大きくなります。
僕は20歳で解雇されて自分の人生としては良かったと思うんです。20歳であれほど大きな絶望感を味わう人なんてそうそういないでしょうし、1つのことに夢中になっていたからこそ、絶望を感じることができた。よく、“助走が長い分だけ高く飛べる”と言いますが、どんなにツライ思いをしても、多少のことではへこまない。万が一、今、解雇されたとしても、また次のチャレンジをすればいいかなという気持ちになると思います。この年齢になって思うのが、20代でどれだけ失敗するかが、いかにその後のパワーになっていくかということ。だから、10代はさまざまな経験をし、20代は多くの失敗を経験すべきだと思います」
1977年11月19日生。千葉県出身。ジュビロ磐田広報担当。高校時代は市立船橋高校サッカー部に所属し、1995年(1994年度)の全国高校選手権に優勝。1996年にジュビロ磐田に入団、同年のAFCユース選手権にU-19日本代表として出場した。1997年シーズン後に戦力外通告を受けて現役を引退する。引退後の1999年に千葉県の情報ビジネス系専門学校に入学。システム会社勤務を経て、サッカービジネス会社を設立。 その後、 フリーでの活動を経て、2002年、ジュビロ磐田の広報担当として入社。 企画や交渉が評価され、現在ではクラブの中心スタッフとして引っ張っている。 選手たちからの信頼も厚く、常に新しい企画を提案しジュビロ磐田のアイディアマンとしてJリーグでも高く評価されはじめている。
取材・文/石井宏美
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