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[リーダー対談]長谷川健太(ガンバ大阪)×加茂周(元サッカー日本代表監督) 「素晴らしい監督はたくさんいたけれど、絶対に自分が一番だと信じていた」

2013.10.26

写真=コラソン齋藤友也

 10月8日にガンバ大阪の監督、長谷川健太氏の著書『一流のリーダーたちから学ぶ勝利の哲学 今すぐ実践したい指導の流儀』(が発売された。著者とスポーツ界&教育界の名将たち7名による対談集で、一流の指導論や組織論、マネジメント論を気楽に学ぶことができる本書から、加茂周氏(元サッカー日本代表監督)との対談の一部を紹介する。

長谷川 加茂さんは日産を指揮して何年目でリーグ戦のタイトルを取られたんですか?

加茂 ちょうど10年目。県リーグの2部からスタートして、1部に上がって、関東リーグに上がって。あの頃のJFLの2部に上がったんだけど、降格して。それでもまた上がって、という感じで10年かかったね。

長谷川 10年かかってタイトルを獲得してからは、天皇杯も含めてたくさんのタイトルを取られましたよね。

加茂 天皇杯とJSLカップ。いまで言うとヤマザキナビスコカップかな。監督として天皇杯を5回獲得することができたからね。競争相手が少ない時代だったとも言えるけれど、運が良かったと思う。

長谷川 やはりリーグ戦のほうが難しかったですか?

加茂 そう。昇格してからチャンピオンになるまでに3シーズンか4シーズンかかったかな。最終的には相手が読売だけになったんだけど、ヴェルディにはラモス(瑠偉)、与那城ジョージ、北澤(豪)、小見幸隆がいたりして、良い選手が揃っているチームだった。松木(安太郎)と都並(敏史)もいたな。勝つのが大変だったけど、勝ち出したらずっと勝つことができたね。

長谷川 勝つためのコツみたいなものはありますか?

加茂 リーグとトーナメントはちょっと違うと思う。天皇杯なんかは、やり方を途中で変えないこと。期間も1カ月ぐらいでそこまで長くないしね。リーグ戦は中断期間があったりして、途中でやり方を変えなければいけないときもあった。逆にトーナメントはこれと決めたらまっしぐらにいけばいい。選手には「負けたら次をしなくていいんだ。だから思い切ってやれ」とよく言ったよ。リーグ戦は負けてもまたやらなくてはいけないからね。

長谷川 リーグ戦で勝つのは大変ですよね。期間が長いですし。

加茂 いろいろなこともあるしね。選手個人でも恋愛の問題や家庭の問題もあるし、改めて振り返ると精神的に波のある選手がいたように思うね。

長谷川 やはりリーグ戦は守備ですか?

加茂 あの頃は対外的には、日産は「攻撃サッカー」という触れ込みだった。確かに攻撃力はあったんだけど、練習やミーティングで話すことは、実はほとんどが守備に関することだったね。守備さえしっかりやれば、点差が開かないような試合でも勝てるから。

長谷川 攻撃は個の力でも得点が取れますからね。守備の大切さというのは十分に分かっています。

加茂 私が監督をやっていた時代よりも、いまは戦術的に進歩してきて、すごくコンパクトになっている。そういうなかで休まずに90分間戦い抜くことがすごく大事。

長谷川 JSLからJリーグに変わりましたが、加茂さんは指導者として第一線でやられていました。何が変わりましたか? 選手によく質問されるんですが、私は「選手はすぐに変われないので、見に来てくれるお客さんに試合に向かう姿勢、気持ちの部分で訴えるしかない、そういう思いで試合に臨んでいた」と話しています。監督として、何がどのように変わりましたか?

加茂 第一にお客さんの数が違ったね。日産が1部に上がった時代は、日本リーグの一番の低迷期で、国立競技場で50人ぐらいの観客のなか、試合をしたことがあった。土砂降りの雨だったんだけど、スタンドを見たら上のほうに人がぱらぱらと座っている感じ。そんななかで試合をしたことを覚えているね。でも、Jリーグが始まるとスタジアムが満員になった。いま言ったように、選手たちは「見に来てくれたお客さんのために良いプレーをしなくてはいけない」と考えたし、私も選手たちにそう訴えたね。

長谷川 アマチュアリーグの時とJリーグが始まってから、やり方を変えたということはありませんか?

加茂 それはないね。Jリーグが始まってから2、3年が経ち、外国から経験があり有名な選手が各チームに来た。名古屋グランパスにも(ゲーリー)リネカーが来たりしてね。

長谷川 横浜フリューゲルスにもたくさんの選手が来ましたよね。サンパイオやジーニョ、FWにはアマリージャもいました。

加茂 アマリージャはすごい選手だったね。

長谷川 左利きのエドゥもいましたしね。

加茂 国を代表するようなすごい選手が多く来てくれたからね。

長谷川 彼らは真面目に練習をしていたんですか?

加茂 やっていたね。他のチームは分からないけれど、アマリージャやエドゥは9時開始の練習の日は、8時前には絶対に来て、車のなかで静かに音楽を聴いていた。練習が始まったら集中してやる。「やっぱりこいつらはすごいな」と思った。それが日本人選手にとって良い手本だった。

長谷川 選手もですが、外国人監督も多く来ていましたよね。「すごいな」と思った監督はいらっしゃいますか? たいしたことなかったですか?

加茂 素晴らしい監督はたくさんいたけれど、絶対に自分が一番だと信じていたから。そう思うようにしないと監督はやれないからね。絶対に自分がサッカーのこと、チームのこと、選手のことを一番に考えていると自分に言い聞かせていた。それぞれ名のある監督が来たけどね。

長谷川健太(はせがわ・けんた)
1965年、静岡県生まれ。ガンバ大阪監督。清水東高等学校、筑波大学、日産自動車でプレーし、Jリーグの創設に合わせて1991年に清水エスパルスに加入。決定力の高いFWとして1999年まで活躍した。J1通算207試合45得点、日本代表27試合4得点。現役引退後、浜松大学サッカー部(現・常葉大学浜松キャンパス)のサッカー部を指揮、2004年に日本サッカー協会S級指導者ライセンスを取得し、2005年から2010年まで清水の監督を務めた。サッカー解説者を経て、2013年にG大阪の監督として現場復帰を果たしている。
加茂 周(かも・しゅう)
1939年、兵庫県出身。元サッカー日本代表監督。兵庫県立芦屋高等学校、関西学院大学を経て、ヤンマー(現・セレッソ大阪)に加入、選手、コーチを歴任した。1974年に日産自動車サッカー部(横浜F・マリノスの前進)の監督に就任し、1988-1989シーズンにはJSL、天皇杯、JSLカップの3冠を達成。1991年からは全日空横浜サッカークラブ(後の横浜フリューゲルス)を率い天皇杯を制した。1995年から2年間は日本代表も指揮。2007年からは母校の関西学院大学サッカー部総監督を務め、テレビや新聞の解説者としても活躍する。

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