「奈良劇場総支配人」奈良クラブ岡山一成のJリーグへの道:第三回

 11月22日に発売されたJリーグサッカーキングの松本山雅特集で、俺とマツ君との物語が掲載される。

 内容は読んでもらいたいから、詳しい部分は省くけど、マツくんの意思を受け継いで奈良クラブでやってることが松本山雅に関わる人たちに認められての掲載やから、本当にうれしいです。

 8月2日でアルウィンで試合をしてから、俺の止まっていたサッカー時計が動き出したのも、俺もこの人たちのように未来に向かって踏み出そうと思ったから。応援される温かさをもう一度感じたいと心が求めたから。

 独りよがりではなく、松本山雅の人たちも俺に松田直樹の意思を託してくれているんだと、心に期するものがあります。奈良クラブとしていつか必ずアルウィンに辿り着けるように頑張ります。

 今回はマツくんとも一緒にプレーした3人の先輩を紹介するで。

「オカ、直樹の時と俺に対してとは全然態度が違うやないか、俺もちょっとは敬えよ」
 佐藤由紀彦がブータれた。

「ユッキーはツレやから、しゃあないやん。マツくんは絶対服従やもん。」

「それにしても(吉田)孝行)に対しては先輩として接してるくせに」

「孝行くんはマツくんと同じ誕生日やで。運命感じるやろ。そりゃ、リスペクトやで」

「(安永)聡太郎は?」

「ヤスくんはそれこそ顔が似ているからお兄ちゃんそのものやからな」

 みんな俺より2つ上の先輩やけど、接し方を露骨に変える俺にユッキーはいつもボヤいていた。

 マツくんが亡くなった次の試合でゴールを入れて3本の指を天に飾した孝行くん。今シーズン限りでの引退を表明したけど、チームをJ1に復帰させた。今年の天皇杯で対戦してゴールを入れられた時はさすがやなと思ったけど、交代する時に「ナオキの分もサッカー、頑張れよ」と言ってくれた。

 追悼試合でゴールを決めたヤスくんは「ナオキに食わせてもらっている」と言っていたけど、俺がサッカーをしていなかった時も「生活、大丈夫か?」と気にして、「ユメセン、一緒にやろう」と誘ってくれた。

 柏レイソルとベガルタ仙台で俺と一緒やったユッキーはいつもツレ扱いしているけど、マツくんと同じくらいサッカーが好きなサッカーバカやねん。

 2009年にV・ファーレン長崎へ移籍する時、同じく所属先が決まってなかった俺を熱心に誘ってくれた。

「ユッキーありがとう。でも、俺はJリーグというカテゴリーにこだわりたいから、Jの道を探すわ」

 ユッキーがJクラブのなかった長崎に行ったその後を俺も、マツくんもずっと見ていた。そしてマツくんが松本山雅に行く時に、一番相談した相手がユッキーやった。

 アマチュアからプロへ、道なき道を切り拓いた先輩。

 俺なんかより、松田直樹と人生を共有して影響を与えたユッキーをうらやましくもあり、普段は絶対に言わんけど、ユッキーのサッカーに取り組む姿勢を尊敬しています。続けられる限り、マツくんの分までサッカーをしてほしいと思っています。

 俺もいつまで心と体が持つか分からんけど、長崎のサッカーバカを見習って、奈良にJリーグを切り拓くまで、そして松本山雅と対戦するまで、サッカーにしがみつくで。

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